第5話 ダメ人間でもいいのに


 トントントン、と小気味いいリズムにつられて、俺は薄く目を開けた。


 温もりが残る布団。

 隣で寝ていたユナの姿はもうなく、その音をかなでているのはユナだと推察できる。

 結構寝てしまっていたらしい。


 微睡まどろんだ思考は心地よく、否応なしに二度寝へといざなおうとしてくる。


「ふぁ……」


 だが、いつまでも寝ていられない。


 欠伸をして、誘惑へ逆らうように布団を退ける。

 ベッドから起きて身体を伸ばせば、パキパキと関節が小さく鳴った。


 それからリビングとキッチンに顔を出せば、案の定エプロンをつけた料理中のユナがいる。

 食欲をそそるコンソメの香りが漂うキッチン。


「ん、起きた」

「ユナの方が早かったな」

「もうちょっと待ってて。すぐできる」

「手伝えることはあるか?」

「出来たら運んで」

「りょーかい」


 返事をしつつ、調理の様子を盗み見る。


 ふたが落とされた鍋の中身は買い物のときにリクエストしたロールキャベツだろう。

 別の小鍋では彩り豊かな具材が煮られたポトフ、豆腐を主体にしたサラダは既に大きな皿に盛り付けられていていた。


 ユナは家にいた頃から料理が好きで、たびたび作ってもらう機会もあった。

 味については心配していない。


 今日はユナが一人で調理したいのだろう。

 一応俺も料理は出来るが、ユナほどうまくはない。


 後で家事の分担とかも決めておかないとな、と考えつつ、夕食の完成を待つ。


「――できた」


 すると、ユナがひょこっと顔を出した。

 呼ばれてキッチンに行ってみれば、盛り付けもされた料理が並んでいる。


 コンソメスープの海に並んだ二つのロールキャベツ。

 同じくコンソメベースのポトフにはにんじん、タマネギ、ジャガイモなどの大きめにカットされた具材が浮かんでいた。

 豆腐とレタス、トマト、コーンなどが和えられたサラダも美味しそうだ。


 リビングのテーブルに運び、席に着いたところで夕食の時間となった。

 手を合わせて、ユナに勧められるので先に頂く。


 ロールキャベツを箸で一口大に切ると、中から閉じ込められていた肉汁がじわりと溢れ出る。

 そのまま口に運び、咀嚼そしゃく

 噛むたびにほろほろとコンソメの染みたひき肉の種が崩れ、それがキャベツの甘さと溶け合って思わず頬が緩んでしまう優しい美味しさだった。


「……美味い」

「ん、よかった」


 端的な一言だったが、ユナはそれに気を良くしたのか目を細めて微笑ほほえんだ。

 もっと言葉を考えろというのはその通りなのだが、真っ先に浮かんだのがそれだったのだから仕方ない。


「これからもいっぱい作る。いっぱい美味しいって言って欲しい」

「任せろ。毎日美味しいって言うから。それと、俺も料理するぞ? まかせっきりは良くないし」

「任せてくれていいのに」

「それは……同居なんだから、二人でやるべきだろ。いくらユナが良いと思っててもさ。俺がダメ人間になる」

「ユナ的にはダメ人間でもいいのに」


 男としての甲斐性かいしょうを考えると遠慮えんりょしたい。


 前々から思っていたけど、ユナは俺を甘やかしたい欲があるのだろうか。

 時々見せる幼馴染以上の距離感はその表れと考えれば納得できる。


 だが、同じくらいに甘えたがりでさびしがり屋なのも知っている。

 実家にいた頃からよく引っ付いてきたし、昼寝をしていたときに抱き着いてきたのも延長線上。

 スキンシップが過激すぎる気はするものの、それは信頼の裏返しだ。


 それを裏切りたくはないし、裏切る気もない。

 ユナの両親にも任せられている。


「そいえば、家事の分担どうする? 朝は俺が作った方がいいよな」

「ん。起きれない。じゃあ、ユナが夜担当」

「おっけー。掃除洗濯は一日交代、ごみ捨ては基本的に俺がやるよ。ユナには重いだろうし」

「いいの? それだとエイジの負担が大きい」

「むしろユナを動かしてたら男の矜持きょうじ的な何かが減る。だから気にせず任せてくれ」

「……わかった。なら、休みの日のお昼はユナがやる」

「まあ、そんな厳密に守る必要はないけどな。二人で作っても面白いだろうし。できないときは変わるからさ」


 二人で暮らすのだから、助け合うのは当然だ。

 ユナも納得しているのか、もぐもぐと口元を動かしつつ頷く。


 とりあえずの役割分担が決まった頃には、俺は完食していた。


「おかわりある」

「……なら貰うか」

「ユナが持ってくる」

「そこまでは――」

「いいから」


 俺よりも先に椅子から立ったユナが、空になった皿を持ってキッチンに消えていく。


 そこはかとない新婚感……いやまあ幼馴染ではあるんだけどさ。

 甲斐甲斐かいがいしいユナのそれはありがたいものの、くすぐったさを感じてしまう。


 ちゃんと俺もユナを支えないとな、なんて思っていると、おかわりの皿が目の前に置かれた。

 コンソメの香り、その美味しさを知っているからこそ頬が緩んでしまう。


「まだあるから」

「かなり作ったな」

「実質初日だから張り切った。それに」

「それに?」

「今日はたくさん栄養補給したから元気」


 いつになく上機嫌な表情でユナが呟く。

 ユナはあまり表情を動かす方ではないが、今回のはわかりやすい。


 それにしても栄養って何のことだ?

 間食でもしたのだろうか……にしては普通に食べてるし。


 うん、わからん。


 聞いても教えてくれそうな雰囲気ではないし、俺はユナの料理を食べるので忙しい。


「美味しそうに食べてくれるの、嬉しい」

「だって美味しいからな」

「ん。明日も明後日も、これからずっと美味しい料理作る」

「楽しみにしてるよ」


 素直に思いを伝えて、おかわりのロールキャベツに舌鼓したつづみを打つのだった。

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