第4話 俺を抱き枕にするな


 脱衣所で着替えて部屋に戻ってみれば、持ち込んだサメの抱き枕を両腕で抱きしめているユナが迎えてくれた。

 眠たげなクルミ色の瞳が俺を映して、にへらと細められる。


 手招くユナの隣にそっと寝転がると、ユナは寝返りを打ってこちらに顔を向けた。


「抱き枕はいいのか?」

「柔らかくて抱き心地いいけど、それよりエイジの方があったかいし落ち着く」

「俺を抱き枕にするな」

「いいじゃん。減るものじゃないし」

「俺の精神がすり減る」

「ユナのおっぱいの感触を味わいたい放題なのに?」


 いたずらっぽく口にするユナ。

 言葉につられて視線がユナの胸元へと伸びて――


「いうほどないだろ」


 つい、思ったことがそのまま出てしまった。


 あ、と口をふさいだときにはもう遅く、ユナはにらむような目を俺へぶつけている。


 頭の中に浮かんでくる言い訳の数々。

 しかし、それを言ったところで意味はないだろう。


 誠心誠意謝るに限る。


「ごめん、ユナ。今のは――」

「別に、怒ってない」

「いや絶対怒ってるだろ」

「怒ってない」

「……マジでごめん。どうしたら許してくれる?」


 すると、ユナは表情を一変させた。

 にいと口の端を上げて、罠にかかった獲物を見つけたような目。

 それでようやく、さっきのやり取りが演技だったことに気づく。


「抱き枕になったら許す」

「いやそれは……」

「エイジはユナくらいのぺったんには興奮しないんだよね?」


 挑発的なそれは仕返しのつもりなのだろう。


 ……仕方ない、自分でいた種は自分でなんとかしよう。


「わかった。じゃあ、好きにしてくれ」

「ん」


 抱き枕になるならと寝返りを打って備える。

 正面同士だとやりにくいだろうと思ってのことだったが、


「そっちじゃない。こっち向いて」


 ユナとしてはあくまで正面から抱き枕にしたいらしい。

 ならしょうがないかとユナの方に向き直れば、首周りに腕を回してきた。

 抱き枕にするという宣言通り脚までからめられ、簡単には身動きが取れなくなった。


 ユナの腕の長さに合わせて自然に距離が近くなる。

 そのままユナは胸の近くにぴとりとくっついて、ぎゅっと抱きしめた。


 ミルクのように甘い香り。

 細いのに柔らかな女の子特有の感触を全身で感じる。

 幼馴染の距離感ではない行いに心臓がドキドキとしていた。


 流石にここまで密着すれば、ユナの薄い胸の存在も認識できる。


 それは確かにないと言い切るには大きく、あると表現するには小さいTシャツ越しの質感。


「どう?」

「どうと聞かれても……」

「胸、ちゃんと育ってる」

「そりゃあ多少は育ってるんだろうけど……ってそうじゃなくてさ。これは拙いだろ、色々」


 あせりを隠しつつ、辛うじてユナに返す。


 その焦りは間違いなく、俺がユナを少なからず異性の女の子として認識しているから生まれているもの。

 ユナは幼馴染で、そういう感情を抱かれても迷惑なはずだ。

 幼馴染という関係だからこそ、俺とユナは同居していられる。


 しかし、ユナはそんな俺の考えに反して、


「エイジが触りたいなら、いいよ?」


 自然な流れでユナが言った。

 ユナは背中に回していた左腕を引き戻し、俺の右手を取って――あろうことか自分の胸に引き寄せる。


 ゆとりのあるTシャツに隠れたそれにあと数センチというところまで迫り、


「っ、」


 寸前、手が寸前で離された。


「……やっぱりやめた。そんな顔されるとやりにくい」


 ユナはそんなことを呟いて、「ごめん」と一言謝った。

 突然の変わりように呆気あっけにとられるも、これでよかったんだと息をつく。


「どんな顔してたんだ?」

「なんか辛そうな……ユナが学校休み始めた頃、来てくれたときみたいな顔」


 心配をにじませた声。

 そう言われて、俺はつい苦笑してしまう。


 多分、ユナに従って触っていたら、最終的に傷つけてしまうと思ったのだろう。

 ユナが俺を全面的に受け入れてくれているのは嬉しい。

 けれど、それとこれとは話が別。


 俺がここにいるのはユナを守るため。

 ユナがいいと言っても、できない。


 引いた幼馴染としての一線は、少なくともまだ越えられない。

 越えてはいけない。


「……そっか。俺は大丈夫だから」

「エイジは悪くない。ユナが悪い。今のはやりすぎだし、甘えすぎ。エイジの気持ち、なんにも考えてなかった」


 珍しく早口で続けて、ユナは顔を合わせるのが気まずくなったのか寝返りを打って後ろを向いてしまう。


 ぬくもりが離れていく。

 それは自分のせいでもあるのに、さびしくて。


 ユナの背中に手が伸びる。

 抱きしめるのは躊躇ためらわれ、結局俺の手はユナの肩に乗った。


 ぴくり、と肩がわずかに跳ねる。


「……別に、抱きしめられるのは嫌じゃないからさ。甘えられるのも。それに多分、抱き枕より俺の方があったかいし」


 自分でも矛盾していると思う。

 抱きしめられて胸が触れるのは良くて自分の手が胸に触れるのはダメなんて、都合が良すぎる。


 でも、現実としてそうなのだ。


 一緒にいたい。

 力になりたい。

 頼って欲しい。


 もう二度と、ユナに傷ついて欲しくない。


 それだけが俺の望みで、俺がここにいる理由。


「……いいの?」

「ああ。まあ、そういう誘惑はしないでくれると助かるけど。俺だって男だからさ……わかるだろ?」

「ん。大丈夫、理解があるから。そういうことしてても見ないふりする」

「……めっちゃ複雑なんだけど」


 気遣いが逆に恥ずかしい。


 そんな俺の心情を気にすることなく、ユナが再び寝返りを打って顔を見合わせた。


 気の抜けた笑顔。

 さっきよりは間隔を開けて、ユナは俺の胸に顔を埋めてくる。


「……あったかい」

「それ息苦しくないか?」

「落ち着く。このまま、寝る」


 呟きを最後にユナはしゃべらなくなった。

 呼吸に合わせて上下する肩、冬眠中のようにみじろき一つすらしない。


 ここまで信頼してくれていることに嬉しさと申し訳なさを感じつつ、ユナの背をさすりながら俺もまぶたを降ろすのだった。

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