13. 手紙 新里真夜編
わたしは、新里真夜は――――何者でもなかった。
成績下の中。スポーツもそこそこ。
取り立てて優れた芸術的才能も無い。
裕福な家庭で生まれ育ったという自覚はあるけれど、それはパパとママが凄いから。わたしの能力ではない。わたしは……空っぽの人間だった。
中高一貫の私立校に通わせて貰ったのに、普通に成績が足りなくて、内部進学出来なかった。
両親の威光を被らなければわたしは、凡人以下の出来損ないでしかなかったのだ。
「青柳くん……わたしの、教祖様……」
部屋の明かりを消す。
パパから借りたライターで蠟燭に火を灯す。
青白い炎の先で、御神体が揺れている。
木工ボンドで貼り付けた写真。
プリクラ機で加工された彼の顔。
(彼は、持っている)
女子バレー部に入部したのは偶然だった。
一つ上の先輩に勧誘された。
先輩は本当にカッコいい人だ。上手く言えないけれど、自分の力で生きている、確固たるポリシーを持っている、そんな気がする。
憧れていた。
あの人みたいになりたかった。
これといった趣味を持っていなかったわたしにとって、女子バレー部での日々は何もかもが刺激的だった。練習は厳しいし、一年の中でも下から数えた方が早いくらいの実力だったけれど、他のことが目に入らない分、逆に良かったのかも。
バレーに打ち込めば打ち込むほど、わたしは先輩に近付ける。先輩のような人間になれる。わたしは、何者かになれる……そう思っていた。
(わたしには、無いもの)
新人戦で大きな怪我をした。
全治半年の重傷だ。
医者に『もうバレーは辞めなさい』と言われた。
その瞬間、わたしのなかの何かが切れてしまった。
一年間死に物狂いで積み上げて来た、バレーというたった一つのアイデンティティーが、無くなってしまったのだ。
部活も半ば勢いで辞めてしまった。
先輩に合わせる顔が無かった。
バレーの無いわたしは……空っぽだから。
(わたしには、何も無い)
それからは抜け殻のような日々。
なにをするにもやる気が出ない。
進級しても気持ちの変化はほとんど無かった。なんならもう、ゴールデンウイークが明けたら学校を辞めようと思っていた。
目標もなにも無く、ただ時間を浪費するだけ。
そんな人生に意味はあるのだろうか。
一度希望を持ってしまったからこそ、絶望は、揺り戻しは激しかった。
これから先、なにを目印に生きていけばいいのだろう。火は燻り、死は縁まで迫っていた。
(でも、それでいい)
救世主。
まさに言葉通りの存在だった。
SNSで綴られる日々の何気ない言葉が、指針が、生き様が。わたしの心を潤してくれた。溢れ返ったやり場のない焦燥を掬い、あるべき場所へ導いてくれた。
彼は言った。あんなのすべて出鱈目だと。
なにもかも偶然の一致なのだと。
――果てしてそうだろうか?
その気が無かったとしても、わたしの命は、空っぽの過去は、手つかずの未来は……救世主ヤギ、ブルーメェ~ソンによって肯定されたのだ。
だとすれば、それはもう必然だ。
例え偶然の出逢いだったとしても。
彼がいなければ、わたしはここにいない。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう……」
手を合わせ、無心に祈る。
強く、強くイメージする。
彼の笑顔。困っている顔。
救世主ヤギを前に、わたしは、わたしを着飾る必要は無い。必要以上に気を張ることも無い。頑張らなくたっていい。
何故なら彼は、なにも無い空っぽのわたしを、赦してくれたから。
――いや、このままじゃダメだ。
彼は言った。教祖は信徒の良き友である。
わたしは彼に、なにか返せただろうか?
友を名乗るだけのことをして来ただろうか?
わたしはもう、空っぽなんかじゃない。
彼に埋めて貰った。
埋めて埋めて、埋め尽くして貰った。
なら、零れ出した有り余る愛情、優しさを、少しでも返さなければ。彼が本物の教祖として、誰からも認められる存在になるために……わたしは、いつどんなときでも力を貸したい。
彼は認めてくれた。
わたしは立派な信徒、側近である。
初めての、唯一無二のアイデンティティー。
「…………ちょっと、だけ……」
小瓶の蓋を開ける。
とろとろと溢れ出して来た彼の唾液。
少し掬って、唇をなぞる。
感じる。彼の吐息を。
温もりを。優しさを。
言い表しようのない何かが、満たされていく。
信じて良いんだ。頼っても良いんだ。
彼は、赦してくれるんだ……!!
「青柳くん……青柳くん……っ!!」
もう失いたくない。
わたしは、何者かであり続けたい。
だから教祖様。わたしをお導きください。
そして、共に手を取り、歩んでいきましょう。
わたしがそうなれたように。
青柳くん。貴方も本物の教祖になれる。
自覚が無いなら、わたしが証明してみせる。
救世主ヤギのチカラは、こんなものじゃない――。
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