12. 一線超えて来た
その後は適当にクレーンゲームを流し見しながら『あれ可愛いね』『最近人気だよね』とか言い合いながら結局一度もプレーしなかった。シンプルにお金が無かったというのもあるが。
(なんなんコイツ)
割とキレていた。
こんなのデート以外の何物でもないというのに、彼女は少しもそれを意識する素振りが無い。口を開けば『畏れ多い』の一点張り。流石に苛々して来る。
確かに可愛い。新里真夜は箆棒に可愛い。
味の好みを分かり合えて嬉しかった。
彼氏気分を堪能出来て、楽しかったさ。
でも信者だ。間違っても彼女にはならない。
向けられているのは純粋たる信仰心。
彼女にならないならもう興味無い、とかそういう話でもなかった。
新里真夜が見ているのは救世主ヤギの生まれ変わりたる俺で、青柳裕貴ではないからだ。
対等な関係が成立しない。
改めて自覚した瞬間、一気に冷めて来た。
やってられん。なにが教祖だ馬鹿馬鹿しい。
こんな思いをするくらいなら、おふざけでも宗教なんて始めなければ……。
「……青柳くん?」
駅への道中。
夕陽の差し込む商店街。
先を行く新里さんは、少し前から一言も喋らなくなった俺の様子を心配しているのか、不安げな面持ちでそう呟いた。
寂しそうな顔さえ、可愛いのか。
悔しい。こんな良い子がただの信者かよ。
友達ですら無いのかよ。キメエ。
「不合格だ。新里さん」
「…………えっ?」
「信徒として、貴方は相応しくない」
この言い方しか無い。彼女を遠ざけるには。
最初からこうすれば良かったんだ。
「……そっ、そんな、どうして……ッ!?」
「キミが信じているのは救世主ヤギの化身としての俺であって、俺自身ではない。教祖も一人の人間なんだ。分かるよね?」
「…………教祖、様……ッ」
「本気でブルーメェ~ソンを信じているのなら、教祖である以前に俺という人間のことを、もっと考えて欲しかった。だから失格だ」
凄まじい言い草である。
要するにデートが不満だったから破門。
でもこれだけは譲れない。
非モテ童貞にもプライドはある。
好きなだけ罵倒しろ。そして嘲笑するが良い。
お別れだ新里さん。一週間ありがとう。
もう宗教なんかに頼るなよ――――。
「――――嫌です! いやです、イヤですッッ!!」
年頃の子どもみたいに泣きじゃくる。
また土下座だ。何回目だろう。
「わたしはただ、青柳くんの役に立ちたくて……! 青柳くんに貰った恩を、少しでも返したくて、それだけで……ッ!」
「なら素直にありがとうと言って終わりだ。教祖扱いする必要は無いよ」
「お願いします、最後のチャンスをくださいッ! ブルーメェ~ソンにまで見捨てられたらわたし、もうどうしたら良いか分からないんです……!!」
「…………だったら条件を出すよ。これをクリア出来たら側近として認めてあげる」
藁にも縋るという表現がこの上なく適切。
絶望に暮れたその姿を前に、つい甘さが出た。
というか、もう相手したくない。疲れた。
「条件……!? どんなことですかっ!?」
「んー、じゃあ……俺の足の爪、髪の毛、唇の皮、あと唾液かな。これを集めて持って来たら、完全に平伏したってことで、側近として認めるよ。どう?」
例のカルト教団でも似たような話があった筈だ。教祖の身体の一部を高値で信者へ売り捌いて、それを軍資金にしていたとか。
遠い世界の話だと思っていたけれど、自分のこととなるとマジで気持ち悪いな。
売りに出す教祖も相当だけど、そんなもの有難がる信者も信者だよ。宗教って凄い。
最後くらい『彼女になってくれ』とゴリ押しでもすれば良かったのに。
あーあ。余計なこと言っちゃった。遠ざけるだけならまだしも、嫌われる必要は無いのになぁ。
「…………あのっ、これ……」
「んっ?」
すると新里さん。持ち歩いていた学生鞄の中から、何やら小瓶のようなものを三つ取り出す。中身は空っぽのようだが……。
……いや、違う。何か入ってる。
あれは……なんだ? ティッシュか?
「……これが、唇の皮です。さっきクリームを拭き取ったときに、一緒に着いていました」
「えっ」
「こっちが髪の毛……入院中に、ベッドに落ちていたものを拾いました……っ!」
「……ちょっと待って」
なんでそんなものを持ち歩いている?
というか何故保管している?
待って。待って?
じゃあその三つ目の小瓶は……ッ。
「足の爪……!?」
「はい、ご入院中に切らせていただいたものです! えっと、実はっ……捨てるのが勿体なくて、そのまま家に持って帰っちゃって……!」
そうだ。切って貰った! 足の爪……!!
やばっ、なんか吐き気が……ッ。
「そしたら、なんだか他のものも欲しくなっちゃって……! 今日もしかしたら手に入るかなって、小瓶を持って来たんです……! えへへへへっ……!」
笑いを堪え切れず、堰を切ったように頬をダラダラと弛ませる。なにかを悟ったような、或いは確信したような恍惚の笑み……ッ!
「あとは唾液……唾液だけ……っ!!」
「ちょっ、待っ……!」
ゆっくりと近付いて来る新里さん。
恐怖で足が竦み、逃げ出すことは叶わなかった。
差し伸ばした白くて細い指先が、唇をなぞる。
「これで、四つめ……っ!!」
あまりの恐ろしさに開いた口が塞がらなかった。涎を飲み込むことさえ忘れてしまった。彼女にとっては容易な作業だっただろう。
掬い取った唾液を振り払い小瓶へ移す。
蓋をキュッと締めて、彼女は笑った。
「ご覧ください教祖様っ……! 足の爪、髪の毛、唇の皮、そして唾液……すべて、すべて集めましたっ! これでわたしも、教祖様の側近としてお迎えいただける……っ! ふっ、フヘへへへへへ……ッ!」
かくして話は冒頭へと戻る。
可憐なる少女、新里真夜。
黒髪ショートの似合うクラスメイト。
幾多の試練を乗り越え、彼女は経った今。
ブルーメェ~ソンの最初の信者として認められ。
救世主ヤギの生まれ変わり、青柳裕貴の側近として、揺るぎない地位を手に入れたのだ――――。
内側から込み上がる何か。それはきっと、この上なく昂ぶりを見せる教祖としての自覚。
ではなく、さっき食べたフルーツサンドだ。待って無理本当に吐きそう。
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