第2話 

 由香と弘樹が一緒に登校しているのかどうかはわからないが、もしそうだとしたら、俺に関係がバレないようにわざと時間をずらしているのかもしれない。

 由香は弘樹の動揺と憔悴に満ちた顔を見て、何かを察したのかもしれない。バッグを置くと、女友達のグループに話しかけようとした。

 先手を取って俺が、「由香」と呼ぶと、さすがに無視や聞こえなかった振りはできないので、「なに? どうしたの?」と返してきた。


「ちょっとこっちきて」


 手のジェスチャー付きで言うと、観念したのか、


「……わかった」


 由香は頷いて、こちらにやってきた。


「どうしたの?」


 もう一度、尋ねてきた。

 俺は説明する前に、水野に合図した。写真を見てもらうのが一番手っ取り早いと思ったからだ。水野が由香に携帯電話で撮った写真を見せつける。


「――というわけだ」


 俺は努めて冷静な口調で、がっくり俯いている由香に言う。


「由香、弘樹と浮気してるのか? いや、浮気してるよな」

「…………うん」


 長い沈黙の後で、由香は肯定の言葉をひねり出した。

 罪悪感があるのか、罪悪感がある振りをしているのか……。


「いつから?」

「……七月、くらいから」


 今が九月ということは、二か月前後といったところか。俺が三年かけてもまだたどり着けていない領域に、弘樹はわずか二か月――あるいは、もっと短いかもしれない――でたどり着いたのか。弘樹がアグレッシブなのか、俺がパッシブなのか……。


「どうして?」


 どうして――弘樹と浮気したのか?


「弘樹くんのこと、好きになっちゃったから」

「俺よりも?」

「うん、かずくんよりも」


 みぞおちにストレートをぶち込まれたような衝撃。急に苦しくなって、吐きそうになった。

 俺より、弘樹のほうが好き……? そんなこと、聞きたくなかった。そんな残酷な現実、知りたくなかった。


「おい、和真。大丈夫か?」


 水野が心配そうに声をかけてくれる。

 俺はカクカクと頷いた。言葉を発せられる余裕はなかった。

 一方で、弘樹は失っていた余裕を少しずつ取り戻していた。口元にはうっすらと勝者の微笑みが浮かんでいる。


「ごめんね」

「いまさら、謝られても……」


 俺は必死に言葉を紡いだ。


「私たち、別れよ?」


 それは提案というよりも、一方的な通告のように聞こえた。

 浮気されたことを知った時点で、由香に対する愛情の灯火は鎮火されてしまった。別れない理由なんて一つもない。


「……わかった」


 俺が頷いたのと同時に、チャイムの音が鳴り響いた。その日の授業はまったく集中できなかった。

 このようにして、俺たちの恋人関係は幕を閉じたのだった。


 ◇


 その後、俺は二人と同じクラスなので気まずさを感じながら学校生活を送った(由香と弘樹は俺の存在を――そして、俺との関係を――なかったことにして、存分にいちゃついていた)。水野たち友人は「元気出せよ」と慰めてくれた。


 二年生になったらクラス替えが行われる。それまでの辛抱だ。二年でも由香か弘樹と――あるいは両方と――同じクラスになる可能性があったが、担任の教師に事情を説明して、二人と同じクラスにならないように配慮してほしい、と頼み込んだので多分大丈夫だろう。


 しかし、担任への根回しは無駄に終わった。

 二人と同じクラスになってしまった、というわけではない。なんと二人とも学校を中退してしまったのだ。


 年が明けてしばらくして、由香が妊娠したという話が流れた。誰の子かは言わなくてもわかるだろう。その話は事実だったようで、由香は学校を休むようになり、そのままフェードアウト。


 弘樹は由香を妊娠させた相手として、一年生内で話題になり、なおかつ略奪愛を行ったという話が、尾ひれがついて流れた。前者はともかくとして、後者はかなりの悪評となり、知らない生徒にまで悪口を言われた。

 弘樹は悪口を言われたり、陰口を叩かれたりするのに耐えきれなくなり、学校をやめてしまった。ざまあみろとまでは思わないが、同情はできない。


 その後、二人はどうなったのか――。

 風の噂で聞くには、二人は結婚して由香は子を産んだとか。どこで暮らしているのか、大学に進学したのか、仕事は何をしているのか、そういった情報は手に入らなかった。

 由香が高校を中退してから、一度彼女の家に行ってみようかと思ったこともあったが、山川一家は引っ越していた。もちろん、お別れの挨拶なんてなかった。


 もう二度と、由香と関わることはないんだろうな、とそのときは思っていた。

 だが、世界というのは案外狭いもののようだ。

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