第50話 真犯人は

「安倍さんを止めるべきなんでしょうか」

「まあな。それが一番穏便な方法であることは間違いない。五年前の事件をもみ消すことに協力することになるのは歯がゆいが」

「ですよねえ」

 勝手に美莉を連れ去った。その事実は消えないし、それは間違いなく犯罪行為のはずだ。しかし、美莉が納得しているはずだからと、そこで消していいのか。

 もやもやした気持ちは残るものの、報復行為をしていい理由にはならない。

「そう。そこだ。損益だけで考えるならば、夏輝の行動を止めるべきという結論が妥当になる」

「ですよね。このまま安倍さんが何かしても、馬鹿を見るのは安倍さんだけってことになります。それに、蘭子さんだって危ないし」

「そのとおりだ」

 これ以上の危険を冒さないのが妥当。そう納得するしかないわけか。封筒から出てきたのは、犯人と思われる人物のデータがまとめられた紙だ。そこに書かれた名前を見ると、ますますそう納得するしかない。

「なるほどね。五年前から有名だった人物だろうとは思っていたけど」

「ああ、そうですよね。当初から影響力がないと無理な話か」

 二人でそのプロフィールを見ながら、どうすると見つめ合ってしまった。これは予想以上に難問の人物だ。まさしく弁財天の例が正しいと理解させられる。しかも現代の意味でも弁財天も混ざっているような気さえする答えだ。

「そういう風に思考を導いたのは夏輝だけどな」

「そうですね。これを指示した人物は、たぶん、そんなことは知らないでしょうし」

 というか、どこから夏輝は事件を書き換えていたのか。それが疑問になってくる。ひょっとして、上野が現場だからこそあれこれでっち上げられたのか。

「そうだろうな。前にも言ったように、美莉は気分転換でよく上野に行っていた。むしろ、夏輝が上野にいたという方が不自然だからな。おそらく、前々から知っていた情報を巧く組み合わせ、俺たちの思考を一方向へと導いたと考えるべきだろう」

「はあ。つまり、あれは五年前から託された暗号だったということですか」

「そうだな。思えば、わざわざあんな話をした理由が解らなくなるし、そういう話を聞いていなければ、俺もここまで調べることはなかっただろうし」

 上手く操られていたわけかと、優弥は盛大な溜め息を吐く。徒労感ともいえるものが、急速に襲ってくるのを感じる。

「どうしますか。一般人はおいそれと会えないですし、長谷川さんを巻き込んでもどうにもならないですよね」

「それは当然」

 優弥はそのままごろんとソファに寝転び、どうすべきかなと天井を睨んでしまった。

 夏輝をどうやったら止められるのか。その一点に絞っても難しい問題だ。それに、誰かが手先だという事実も残っている。この手先をどうにか出来ないか。いや、無駄か。そんな思考がぐるぐると回ってしまう。

「手先を捕まえても無駄なんですか」

「だって、そこで話が終わるのは見えているだろ。トカゲのしっぽ切りで終わるよ」

「ああ、そうですね。五年前の事件は曖昧に、そして長谷川さんを刺したことでは立件されて終わりと」

「そういうこと」

 もちろん放置するつもりはないが、根本的な解決方法を探し出してからでないと手出しできない。下手にこちらを捕まえてしまうと、多くの物事が曖昧になりかねないからだ。夏輝が掴んでいる美莉の居場所さえ、別の場所に替えられてしまうかもしれない。そうなると、ますます夏輝が暴走する。

「そうか。安倍さんを止めるのを前提としなければならないんですもんね」

「そのとおり。今のところ、奴を立件するのは難しいはずだからな。確たる証拠になりかねない、今回の事件を未遂に終わらせるしかない」

「ううむ」

 総ては夏輝を守るため。

 そちらに完全にシフトして考える。

 理土はどうすればいいのかと、再び封筒に入っていた資料に目を落とす。その資料には、美莉がいるだろう場所も書かれているが、まだ三か所に絞り込んだだけのようだ。

「にしても、政治家じゃなかったのは予想外ですね」

「そうだな。しかし、現代において支配的な地位があるのは政治家とは限らないというのも事実だ。何事も経済優位。政治さえ経済が動かすことがある。だから、犯人が大手企業の社長というのは納得でもあるさ」

「そうですね」

 頷きつつ、そこに書かれた名前にやはり溜め息が出てしまう。

 犯人の候補とされる人物。誘拐事件と今回の傷害事件の手先を使う人物は、IT企業から始まり今やあらゆる分野に進出し今や球団オーナーですらある、その名前を知らない日本人はいないほどの人、五十嵐陸人いがらしりくとだった。

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