第44話 揺らぐ信頼

「よう」

 病室に入ると、ベッドの上で寝転んだまま新聞を読む長谷川の姿があった。そして軽く右手を挙げる。本当にすぐに元気になったらしい。

「長谷川さん。もう、あの時は死んじゃったかと思いましたよ」

「おいおい。勝手に殺すなよ。ああ、そう言えば、救急車で運ばれる前に来たんだったっけ。あの時はもう麻酔が効いててぐっすりだったんだ」

 ははっと笑う長谷川に、理土はがくっと肩の力が抜けた。

 確かにあの時、処置をしていると植田は言っていた。その時に麻酔を使ったというわけか。

「ああ。局所麻酔だったらしいんだけど、疲れてたのと傷があったので、寝ちまったらしいんだ」

「なるほどねえ」

「それで、犯人は?」

 安心してほっとする理土とは違い、ずいっと寄ってきた優弥の顔は怖い。

 今まで信頼していた人が犯人だったら。夏輝のように蘭子も唐突にいなくなってしまったら。様々な心配が、その顔には浮かんでいる。

「藤木、大丈夫か。お前の方が重傷患者みたいな顔をしてるぞ」

「そんなことはいい」

「犯人か。俺はあそこ、上野の不忍池しのばずのいけを歩いていたんだが、お前んところの野崎、あいつを見かけたんだよ」

「っつ」

 それに優弥が小さく息を飲む。が、まだ目撃したというだけだ。

「深夜に、それも人気のない公園をうろうろしてるのは危ないなと思って、声を掛けようとしたんだよ。そしたら急に後ろから」

「ああ」

 そうだ。目撃しているのだから、蘭子は長谷川の目の前にいたのだ。つまり刺した犯人ではない。しかし、それは刺した犯人ではないという証拠にしかならない。どうして蘭子がそこにいたのか。それは謎のままだ。

「どうした。あの子が関係しているのか」

「まだはっきりとは解らないが、たぶん」

「マジかよ。まあ、刺したのは男だと思うぞ。どんっと背中に当たった感触からするとな。重さとしても、男と考えて間違いない」

「ふむ」

 驚きつつもそう証言する長谷川に、優弥は顎を擦った。

 これをどう考えればいいのか。非常に戸惑っているのが解る。蘭子が夏輝と繋がっているかもしれない。それがより確かになってしまった。

「一体何がどうなっている?」

 まだ傷が塞がっていないために起き上がれない長谷川は、もどかしそうに理土に説明しろと舌打ちしてくる。

 それが説明を求める態度かと思うが、相手は重症患者。我慢するしかない。

「蘭子さんの部屋を調べたところ、気になるものが出てきたんですよ。しかも、それは安倍夏輝と繋がっていないと書けないものだったんです」

「何だと?」

「これだ」

 長谷川が疑問に思うことを想定していた優弥が、これだと持っていたカバンから神の束を取り出して放り投げる。

「おいっ、こっちは動けねえんだぞ」

「知ってる」

「――」

 そう返されるとは思っていなかったのか、長谷川は唖然とした顔をした。しかし、諦めたようにお腹の上に着地した紙を取り上げた。

「何だこりゃ。論文か何かか?」

「違うよ。まあ、体裁としては論文とも言えなくはないがね」

「へえ」

 どうでもいいかと、長谷川はぴらぴらとその紙を捲った。読む気があるのかないのか解らない。そして案の定、理土に説明しろとばかりにその紙の束を押し付けてきた。

「これによると、蘭子さんは自分と安倍さんの能力の差に興味を示しているんです。そしてそれを詳細に分析しています。単純に先生と追い掛けているだけでは知れないことまで分析しているんです。つまり」

「接触していなければ説明がつかないってことか」

「そうだ」

 長谷川が呻くように言った言葉に、あっさりと頷く優弥だ。それに、お前の助手じゃねえのかよと長谷川は睨んでしまう。

「もちろん、信頼したい気持ちはある。が、証拠がある以上はどうしようもない。それは、刑事であるお前が一番よく解っているんじゃないのか」

「ぐっ」

 痛いところを突かれたと、長谷川はものの見事に顔を顰める。

 確かに今、こうやって分析したデータがある。これをどうにか否定できないことには、蘭子と夏輝の繋がりを否定することは不可能だ。

「なあ、このデータって」

「間違いなく蘭子さんが書いたものだと思いますよ。というより、わざと置いて行ったんだと思います。しかも、これを取り出せたのは、俺の声だけなんです」

「はあ? どういうことだ」

 意味が解らんと、長谷川は今度は優弥を睨んだ。もはやそれは職業病だ。犯人から自供を取る時の癖が、こんな時でも出ている。

「スピーカーに仕掛けが施してあったんだ。そして、それは倉沢君の声、正確には倉沢君の声の波長にしか反応しないようになっていた」

「へ、へえ」

 妖怪の話をしているんだか科学の話をしているんだか解らなくなってくるなと、長谷川は思い切り頭を掻いた。

 そう、これだけ妖怪云々という話をしていながら、全員が理系という状況だ。時折混線するのは致し方がない。

「あれから色々とスピーカーの仕掛けを分析したが、それは確かだ。つまり、この文章は俺には見られたくなかったってことになる」

「なるほどね」

 それもまた、傍証になるなあと、長谷川は諦めたように頭を掻いていた手で顔を撫でた。どうあっても二人が繋がっていることは覆せそうにない。

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