第41話 手掛かり
「入るか」
「だ、大丈夫ですよね」
「いざとなれば植田刑事に連絡すればいい」
さっき貰った名刺を取り出し、こいつで乗り切ろうと優弥は言う。確かに知り合いとなれば何とかなるだろう。それに、長谷川が意識を取り戻せば弁解してくれるに違いない。
「刑事に助けを請うとしても、女子の部屋に勝手に入るってのは罪悪感があります」
「それは仕方ない」
非常事態だと、優弥が先に部屋に入ってしまう。こういう時、大人はいいよなと、理土は素直に思った。あまり女子の部屋なんて入ったことのない理土は、中に入るというだけなのに顔が真っ赤だ。
「あっ」
しかし、蘭子は女子でも物理学者の卵。さすがに想像していたよりは女の子らしくなかった。というか、ところどころに見覚えのある教科書があるせいで、女子の部屋というときめきは急速に萎んだ。
1Kの室内は非常に片付いていて、ベランダのある窓を正面として左側に勉強用の机、右側にベッドという配置だった。真ん中に小さなローテーブルがあるが、その上には教科書が無造作に積まれている。さらに机の横の本棚にもびっちりと物理学の本が入っていた。
「非常に蘭子さんらしい部屋ですね」
「そうだな」
ベッドの隅にあるぬいぐるみが、あっ、女子っぽいっと思わせるだけで、後は至って普通。下手すれば男子の部屋と言い切れそう。もちろん、タンスの中を見なければだが。
「倉沢君。何か感じないか」
「えっ」
「君に苗字を呼ぶことを禁止したのは、こういうことがあった時のための布石かもしれない。つまり、君ならば何か感じ取れるのではないか」
「ええっ」
そんなことを言われても、理土は今までこれっぽっちも霊感があるなんて思ったことはない。違和感を感知したことだってないのだ。それなのに、何か解らないかと言われても非常に困ってしまう。
その反応を見て、優弥は違ったかなと首を捻った。しかし、あえて苗字を呼ばせずに、名前を呼ぶことに慣れさせたのには意味があるはずだ。優弥はそう確信している。あの蘭子は無駄な行動は一切しない。
「ううん。そうだ、呼び掛けてみてくれ」
「えっ」
「普通に、野崎君を呼んでみるんだ」
「はあ」
それに何の意味があるのか、一体何を閃いたのか。一切解らないがここは言われたとおりにすべきだろう。
「蘭子さん」
理土がそう呼び掛けると、ピコンと何かが反応するような電子音がした。それに、優弥と理土は顔を見合わせる。
「もう一度だ」
優弥はどこか探すからと、体勢を低くした。先ほどの音は床の近くから聴こえたためだ。
「蘭子さん」
もう一度呼び掛けると、またピコンと音がする。それに合わせて優弥は移動し、机の下に潜り込んだ。そして、AIスピーカーのようなものを取り出した。
「確かに似ているが、どうやら単なるAIスピーカーじゃないようだな。そして、君の声に反応するように仕掛けてあるらしい」
「そ、そうですか?」
「じゃあ、試しに。蘭子さん」
優弥がそう呼び掛けても、ピコンという電子音は鳴らなかった。なるほど、確かにこれは理土の声にしか反応しないらしい。
「俺だと夏輝が絡んできた時に危険だと判断して、君にしたんだろうな。つまり、ここに手掛かりが残されているというわけだ」
「ど、どうして俺だと安全なんですか」
「俺だったら、夏輝に呼び出されるがまま、直接対決しに行くかもしれないからさ」
「あっ」
そうか。予想外に二人で行動しているものの、もし今日、理土が朝早くに研究室を訪ねなかったら、一人であれこれと手掛かりを探さなければならなかったかもしれないのだ。そういう場合を想定し、蘭子は理土に白羽の矢を立てたということか。
「そう。ということは、野崎君は夏輝の目を気にしていたということだな。どこで見ているか解らないと」
「そ、そんなっ」
じゃあ、ここにいることも見られているのか。どこかに夏輝が潜んでいて、こちらをじっと見ているかもしれないと。それってストーカーじゃんと、理土はぞっとしてしまう。
が、よく考えれば夏輝は優弥をストーカーしているようなものだ。優弥が研究に没頭し始めると事件を起こし、五年前を思い出せ、過去に囚われろと唆す。
「そうだな。奴はもう、本当に妖怪なんだな」
優弥がぽつりと寂しそうに呟いたのが、理土には妙に気になった。しかし、この場に長く留まるのは色々な意味でよくないだろう。
「戻りますか」
「ああ。ただ、研究室はすでに夏輝が出入りしているんだ。盗聴されているかもしれない。倉沢君、ノートパソコンは持っているかい?」
「え、ええ」
「よし。ともかく車に戻ろう」
「はい」
何だか一気に不穏な空気。そう思いつつも、理土は優弥にくっついて行動する以外に出来ることはない。だから、その指示に従うしかなかった。
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