第29話 弁財天
「どういう意味だ」
いつも以上にはっきりしない会話に、つい優弥はイライラしてしまった。どんっと、テーブルを叩いてしまう。
「そう急くな」
「そうは言ってもな」
「いいか。これは非常に重要なことなんだ。弁財天というのは、今の人たちが考えているように、いい面だけを持っているわけじゃない」
「えっ」
それは素直に意外なことだったので、つい、イライラを忘れてしまう。弁財天に悪い面なんてあるのか。その疑問に引っ掛かってしまった。
「そもそも、どうしてあんな池に浮かぶ島に弁財天を祀っているのか、疑問に思わないか」
「ええっと」
別にどこでもいいのではないか。やはり、知識が足りないせいで疑問すら出て来ない自分に腹が立つ。とはいえ、優弥は物理学者であって民俗学者ではない。日常的に神仏を考えるような環境にもない。
「島というのは一つの結界だよ」
「結界」
「そうさ。そこから出られないようにという意味だ」
「――」
出られないようにだって。弁財天が。ますます理解できない。しかし、それを知らなければ美莉の失踪について知ることは出来ないらしい。もどかしさばかりが募る。
「弁財天というのはサンスクリット語では『サラスヴァティ』といい、古代のインドの大河を指していた」
「大河、川か」
まさかここでもさっきの話と絡んでくるのかと、優弥は驚いた。つまりは、美莉の失踪と弁財天は関係していると。それを繋ぐ何かを夏輝は知っているというわけか。では、犯人について見当が付いているのか。優弥は出てくる話に興味を惹かれつつも、心の中では焦りを覚えていた。
「この大河が神格化されて農耕の神となり、弁財天の原型が作られたというわけさ。そして、川に棲んでいるのは」
「龍、か」
「ああ。龍を同等と考えられるならば、あそこに弁財天があるのも、なるほどと合点がいくことになる」
「そう、だな」
しかし、それではいい面しかないではないか。一体何がどうなっているのか。何だか胸の辺りがもやもやとして仕方がない。いや、先ほどの話にも何か悪い部分があったではないか。
「だが、川というのは豊穣をもたらすものばかりではない。昨今では水害が多いから解りやすいと思うが」
「氾濫か」
そうだ。川は氾濫するものなのだ。特に治水工事が進んでいなかった昔はよく氾濫したあだろう。それだけ、常に災害をもたらすものだった。
「ああ。そういう面から考えても、弁財天がただいい面だけを担っているとは思えない。川そのものが両面性のあるものだからな。そして川が氾濫した後に起こるのは」
「疫病か」
「そうだ」
徐々にキーワードが繋がっていく。それに、優弥はぞっとした。となると、弁財天にはそういう悪い面もあったはずだというのか。
「そもそも、日本の神様というのはあれこれと混ざり合っている。今、さくっと話すには難しいほどにね。つまり、弁財天もまた、何かが混ざっているんだよ。川に関係する限りは、それに関係する神とも混ざっているはずなんだ。そこで疑わしい、というより、今の弁財天を見ても解ることだが、
「宇賀神?」
また知らない名前だ。これは非常に困ったことだ。知りたい答えがどんどん遠のいていく。そんな感覚に陥る。と、そこに夏輝のスマホが震える。どうやら電話のようだ。
「悪い」
「ああ」
夏樹は席を立ち、トイレへと向かう。ここでは話し難い相手だったようだ。ひょっとして警察からだろうか。ともかく、夏輝の考えている懸念とは違う形で、美莉が見つかってくれればいい。優弥は冷えてしまったペスカトーレを口に運びながら、そう思わずにはいられない。
「悪い、急用だ」
「警察か」
「だったらよかったんだけど、大学から」
「ああ」
仕事の方ねと、優弥は頷いた。それじゃあまた明日、別の場所で話の続きをやろう。そう決めて二人は別れた。
それがまさか、今後会えなくなるほどの別れだったなんて想像せずに。
「じゃあ、事件の決め手だという不忍池や弁財天について、解らず仕舞いだったと」
「その場ではね」
「ああ、そうか。その後、先生は調べたんですもんね」
夏樹が考えていたことを知ることが事件を解く鍵になる。今回の神隠しというキーワードを得ることが事件解決の鍵になったように。
「とはいえ、俺だって時間が限られているし、そもそも夏輝があっちこっちで余計なことをやってくれている。そっちを調べるのに忙しくて、五年なんてあっという間だった。だから性根を入れて調べたわけじゃない」
「ああ」
美莉失踪の謎が解けないまま、今度は夏輝もいなくなり、そして、妖怪として優弥の目の前に現れるようになった。そんな翻弄の五年間だったというわけか。そりゃあ変人の具合も酷くなっていくことだろう。
「安倍さんは何で妖怪に」
「解らん。ただ、こうすることが解決になるんだと信じ込んでいるらしい」
「犯罪を起こすことが、ですか」
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