第27話 上野
「美莉がいない?」
「ああ。ここ一週間、連絡が取れないんだ。どうしてだろうと思ったら、家にも帰っていないって。警察にはすでに両親が届け出たらしいんだが」
「なっ」
それが事件を知った最初だ。当時、すでに助教をしていた優弥は、いつものように研究室にいて、夏輝からの電話で知った。夏輝と美莉は付き合っているものの、互いに忙しくてべったりだったわけじゃない。
美莉は企業で研究員をやっているし、夏輝は別の大学で研究を続けている。それに夏輝は妖怪を追うという趣味まである。事件発生当時、夏輝は大学のある東京にすらいなかった。
「ともかく、美莉から連絡があったら俺に回してくれ」
「解った。その、事件に巻き込まれたのか」
「解らない。いなくなったのは唐突だって。まるで、神隠しだ」
「まさか」
当時は夏輝から話を聞いて、適当に相槌を打つ程度だった優弥は苦笑した。しかし、夏輝は本気でそう考えているかのようだった。
「待てよ。本気で神隠しだと思っているのか。東京での話だろ」
「ああ。だが、美莉が最後に目撃されたのは上野だ。ちょっと引っ掛かる」
「上野が」
「ああ。あ、今は時間がない。後で連絡するよ。今日の夜は大丈夫か」
「大丈夫だ」
「解った。じゃあ、どっかで話そう」
「ああ」
優弥と夏輝は電話で話していては埒が明かないと、仕事が終わってからレストランで待ち合わせることにした。大学院を出て以来、そうやってゆっくり話すのは久しぶりだなと、優弥はそんなことを思った。
「事件か、神隠しか、か」
おかげでその日の優弥は集中できなかった。ともかく適度に仕事をして時間を潰し、待ち合わせの時間より少し早くに約束の場所に行ったくらいだ。
「早かったな」
「そっちもな」
それは夏輝も同じだったようで、待ち合わせ場所に着いてすぐやって来た。その格好は何時にもましてよれよれで、美莉がいなくなったという事実をようやく実感したほどだった。
「大丈夫か」
「ああ。これはちょっと、別の理由のせいだ。でも、俺がそれに関わってしまったから美莉は」
「えっ」
「――順を追って話すよ。こんな話、笑い飛ばさずに聞いてくれるのはお前だけだし」
夏樹はそう言うと先に歩き始めた。食事をしようと約束した場所はもう見えている。大通りから少し入ったところにあり、落ち着いた雰囲気が定評のあるイタリアンレストランだ。しゃれた店が似合わない二人だが、よくここを利用している。というのも、聞き耳を立てられないという点がいいのだ。隠れ家のようという表現がよく似合う店だ。
「なあ、どうしてお前とその、美莉が神隠しに遭ったことが関係するんだ」
一通りの注文を終え、どうにも気になって仕方がないと優弥は早速質問する。すると、待ってくれと夏輝は手を翳した。
「順番に言うよ。だからそう急くな」
「解ってるが」
「それに、もしかしたらこの事件の解決は、お前に託すしかないかもしれん」
「は?」
「俺は、俺でなくなるかもしれない」
「一体、何を言ってるんだ?」
禅問答かと、優弥は苦笑した。しかし、そこ顔があまりにも真剣なので、すぐに笑みを引っ込める。これは本気の時だ。付き合いの長い優弥は解る。
「俺は、触れてはならないものに触れてしまったんだ」
「それは」
「本物は、確実にあるんだよ」
「――」
本物。それは何だと、なぜか問えなかった。問うてはならないと、夏輝が全身から気として発しているというべきか、ともかく、踏み込める雰囲気ではなかった。と、そこに注文した料理が運ばれてきて、二人はしばらく黙々とそれぞれの料理を食べた。
「上野だと言っていたな」
しかし、こうしていても何も聞き出せないと、再び優弥は訊いた。色んなことが気になって、いつもはすぐに平らげてしまうペスカトーレも、味がしなくて半分ぐらいしか食べられていない。
「ああ、そうだ。そして、ここ一か月ほど俺が調査していたのも、上野なんだ」
「何だと」
「そう。すぐ傍にいたんだ。すぐ近くに。それなのに、異常に気付くことが出来なかった」
「それは」
お前のせいじゃないだろう。そう慰めようとしたが、夏輝はふるふると頭を横に小さく振った。
「いや、気づけなければならなかったんだよ。俺には、力があるのに」
「お前」
「なあ、優弥。お前は上野の
「もちろん」
急に話題が変わったなと思いつつも、それはいつものことなので頷いた。上野にあるあの大きな寺を知らない都民はいないだろう。優弥も国立博物館に寄った際、散歩がてら境内を歩いたことがある。
「あそこは、
「艮っていうと、鬼門か。鬼が出てくるという」
「ああ。江戸時代、
「へえ」
そういうものなのかと、当時は気晴らしに夏輝から妖怪の話を聞く程度だった優弥は感心した。大きな寺だとは思っていたが、家康の肝煎りだったとは。
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