第12話 炎を再現

「実際に使った時はどちらも液体だったか、ヘリウムは液体だったんだろう。ま、どのみち五分も保つ必要はないんだから、さっさと消えてもらった方がいいだろう」

「五分。そんなに短かったんですか?」

「短かったよ。君が最初に見た時も、それほど長くなかったはずだ。あり得ない現象を前にして、感覚がずれていただけさ」

「はあ」

 確かに見入っていたから、実際の時間は解らない。それに他の目撃者も同じだろう。何だこれと理解する前に炎は目の前から消えたわけで、とすると、やっぱり短時間だったと考えるべきか。

「あまり長々とやっているとトリックがばれるからな。それに水が電気を通している時間だって、長くは保てない。それで炎は残っているガスの残留量に関係なく消えてしまうからな」

「ああ、そうか。ネオンですもんね。電気で光っているのと変わらないわけか」

 理土は巧く考えたものだなあと、まだ名前も知らない犯人に感心してしまった。相手は、さすがは変になったとはいえ物理学者というわけか。

「だから、どういうことか、早く説明してくれ」

 勝手に納得してるんじゃないと、放置されている長谷川は怒鳴った。

 ああ、これ、自分だけ理解できなくてイライラしているんだ。

 理土は同情してしまう。こういうのは誰だって経験することだ。理土も受験生の頃、古文がさっぱり理解できなくて似たような状況に陥ったのを思い出す。

「そうだったな。とはいえ、実験で再現できるのは一瞬だ。一応はビデオカメラを用意しておこう」

 そう言って優弥はほいっと理土にカメラを渡した。それは家庭用ハンディカムで操作は簡単なものだ。

「一応はあの水槽の中にしか電気が流れないはずだが、放電するから万が一ということもある。水槽から離れて見るように。金属類は外して、感電に注意してくれ。それと倉沢はゴム手袋と長靴を履いて。ファインダーは見るなよ」

「あ、はい」

 優弥から色々な注意が飛んできて、意外と危険な実験だということが解った。しかも、犯人はそれを山の中の、それも河原でやっているのだから、これは驚異的なことではないか。

「なあ。そんなに危険を伴うのに、どうして河原にいたこいつらは大丈夫だったんだ」

 そんなに危険だったら、他にも被害者が出ているはずじゃないのか。その長谷川の疑問は最もだった。しかし、優弥は河原だからこそ大丈夫だったんだと説明する。

「えっ」

「周囲に感電するものはなく、電気を通す大きな木も倉沢たちがいた側にはない。ついでに下は石と砂利だ。通電しようがない」

「ああ。でも研究室の中だと、他の場所に電気がいく可能性があると」

「まあね。非常に少ない可能性だがゼロではない」

 というわけで、準備万端。危険を伴うため、実験では炎は一瞬しか保てないとはいえ、ちゃんとした準備が必要というわけだ。

「ガスの充填とともに電気を流すからな」

「はい」

 実験を行う優弥と蘭子の表情が一変して厳しいものになる。電気を流すための機材に電源が入り、ぶんという低音が研究室に響く。水槽にあった蓋を僅かにずらし、優弥がネオンガスとヘリウムを充填した。

「今だ!」

「はい」

 優弥の合図で、蘭子が電気を流すための端子を水槽の中に放り込んだ。途端にばちんという大きな音と発光がある。と同時に、オレンジ色の炎が上がった。しかし、すぐにそれは消滅してしまう。まるでマジックのようだった。

「マジで起こった」

「当たり前だ」

 呆然とする長谷川に対し、優弥は平然としたものだった。しかし、実験器具の傍にいたせいだろう。汗が額に浮かんでいた。それだけ危険だということだ。

「こ、これの大規模なものが河原で見たあの炎」

 そして理土も、頭で解っていても実際に再現されるとびっくりしてしまった。本当にガスと電気で炎が上がってしまった。それに純粋に驚いてしまう。

「ああ。そして焼死体の理由も、ほぼこれだろうな」

「えっ」

「まさか、実験の事故だと」

 これには長谷川だけでなく理土も驚いてしまう。もしそうならば、事件ではなく事故。犯人はいなくなってしまう。

「もちろん、一人では不可能な実験だ。必ず犯人はいるだろうが、その被害者である佐藤君には、危険性は伝えられていなかったんだろうな」

「な、なるほど」

 確かにこの実験はガスを充填する人と電気を流す人が必要だ。ということは、佐藤は高電圧のせいで火傷を負っていたというわけか。それを、あのネオンが作り出した炎のせいで焼死したと勘違いした。

「じゃあ、佐藤はガスをいじくっていたってわけか」

「そうだろうな。電気に関しては何かを投げ込むだけでいい。ひょっとすると、下流に何か残っているんじゃないか。ドライアーというのは古典的すぎるが、何か山には不釣り合いな電化製品が怪しいだろうな。とはいえ、不法投棄なんかもあるだろうから、すぐに特定できるとは思わないが」

 優弥がそう言って解ったかと長谷川を見た。長谷川は了解と、急いで出て行ってしまった。ビデオは見なくていいのだろうか。

「あいつはそういう男なんだよ。ま、証拠が欲しいって言い出すだろうから、保存はしておこう」

「はい」

 やれやれと、理土はビデオカメラを優弥に渡した。ともかく、これで理土が疑われることはもうないのだ。あの長谷川と、刑事と容疑者として出会うこともないだろう。

「またすぐに会うわよ」

 実験室を出て行く時に蘭子が不吉なことを言っていたが、その時は思い切り無視した。そう、理土だってこれで終わりとならないだろうとは解っている。だって、長谷川と優弥は友人関係なんだから。

「はあ」

 しかし、四年になって他に厄介になれる研究室があるとは思えず、理土は全くもうと項垂れつつも半年は先送りできるよなと、この時は思っていたのだった。

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