第17話 九龍特区姉妹都市烏龍の運び屋
ドン、ドン、と凄まじい音楽の鼓動でクラブの部屋全体が揺れている。ダンスホールに併設されたバーカウンターへ招かれ、サヤカ・リーは恐縮しながら脚の長いスツールにかけた。アリソンからのご褒美があるらしい。
「ねえ何か飲ませてあげて。この暑い中、外を走り回ってきたんですって。無茶は駄目よ
「あの、そろそろ戻らないと…」
「ご注文は?」
カウンターの奥でグラスを磨くバーテンは愛想よく微笑んだ。サヤカは客だが、彼を従わせるのはプリンセスただ一人。不夜城の主の赦しなしに、サヤカを返すような無作法はしない。
「ミルクください。冷えてるやつ」
諦めて、サヤカはメニューも見ずにノンアルコールのドリンクを頼んだ。牛乳なら腹の足しになる。
「お待たせしました。ハニーミルクでございます」
貴婦人のドレスを逆さにしたような、およそ牛乳を注ぐものではない洒落たグラスを出される。サヤカは礼を言ってはたと動きを止めた。さてこのコップ、どこを持てば良いのだろう。
「気がきかないわね、ストローをつけて」
「失礼いたしましたお客様」
アリソンの鋭い叱責を受け、白いミルクに細くて黒いプラスチックが刺さる。シャリ、と硬い手応えに、どうやらシャーベットにしてくれたのだと悟った。間違いなくキンキンに冷えている。サービス満点だ。十分すぎるほど。
「いただきます」
ちう。ストローで吸い上げたそれは目が飛び出るほど旨かったが、同時に胸の奥がカッと熱くなるような心地がした。酒が、含まれている。サヤカはストローから口を離し、バーテンを見て、アリソンを見た。プリンセスがうっそりと笑う。
「うちにお子様向けのメニューはないわ。からかってごめんなさいね駒鳥。でもお嬢ちゃんが飲むような軽いものよ。ゆっくりしていって」
「あや、わたしは、下戸で…ううん」
チカチカと視界の端が瞬いている。目を回したサヤカはグラスを避けてカウンターに突っ伏した。眠気がすぐそこまで来ている。
「……うそぉ」
「プリンセス、ご存知なかったのですか」
二人の口論をよそに、勤務中のサヤカ・リーはスコンと眠りに落ちてしまった。怒られる、で済めばいいなと頭の隅で考えながら。
アリソンはぺったりと机に頬を付けて動かないサヤカを見、視界の端に真っ赤な頭巾を見つけて振り返った。人形のように無感動でぬるりとした動き。
「……あら。いつのまに入り込んだの?」
ヴァニラが香る鎖骨の上、シルバーのネックレスがチラチラ光る。真っ白い肌を裂いて笑う唇は血のような赤だった。
「集荷。午後の配達があんだよ」
頭部をぐるりと巻き、余った布を肩に垂らした子供のような体つきの男が、挑むように、アリソンを睨みつける。耳を縁取るようにたくさんのピアスがついていて、頭巾の横にもシャラシャラ鳴る金属の飾りがぶら下がっていた。
「
「未だに配達員を狙うバカが後をたたないんでな」
お前とか。肩を竦める男の左半身は百足のタトゥーで埋め尽くされており、クラブの照明がひっきりなしに巨大な怪虫を
赤頭巾。それは主人を持たず、横同士の結束のみで成り立つ傭兵集団。全ての構成員が20歳以下であり、金さえ払えばどんなことでもする烏龍特区の鬼ヶ島だ。百足タトゥーの少年は、九竜ファミリーから金を貰い、非力な配達員のお守りをしているらしい。微笑ましいこと。
「小さい者同士でなんだか可愛らしいわね」
「黙れ。アンタが九竜の末端に毒を盛ったって上に伝えてやっても良いんだぞ」
「毒なんて!」
「アルコールのカテゴリは毒物だろ」
案外口の回る小男にやり込められ、アリソンは両手を上げた。降参の合図。バーテンが金とチョコレートの皿を差し出し、百足は金だけを受け取った。尖った小さな鼻が鳴る。
「ガキのお使いじゃねえんだ」
「大人もチョコレートくらい食べるわよ」
「あっそ」
用が済んだ赤鬼はアリソンを見ない。カウンターのサヤカを揺さぶったり、叩いたりして、起きないと見るや足の下に片手を通す。
「ポストマンは貰ってくからな」
「…落とさないであげてね」
「馬鹿も休み休み言えよ」
ひょいと危なげなくサヤカを抱き上げ、少年はさっさとクラブを出ていった。口止め料を受け取ったということは、今回のことは不問にするのだろう。分厚い扉が閉まり、ホールの空調が元通りになったのを確かめてから、アリソンはヘナヘナとカウンターに伸びた。少し調子に乗りすぎた自覚はある。
「プリンセス、恐れながら…」
「分かってるわよう。
「はい」
「VIPルームには誰も入れないで」
「畏まりました」
コツン。
純白のヒールがいつもより硬い音を立てる。長い脚を交差させ、踊るように歩きながら、プリンセス・アリソンはいつもより数倍不機嫌だった。
短編集 零話 零光 @Zerolite
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