第16話 九龍特区姉妹都市烏龍のクラブ・パライゾ

 配達員のサヤカ・リーは、薄暗い路上で疲れたように吐き捨てた。

「…だから言ったのに。あたしは配達員だって」

 広がる血溜まりと硝煙の匂い。火を吹いた銃を懐に仕舞う数人の黒服たち。

 戦前にどうだったかは知らないが、世界が統一されて10余年__大陸の東は、偉大なる無法者たちが取り仕切る大きな暗黒街だ。こと流通においては旧アジアに大昔から存在するヤクザ・カルテル日本の犯罪組織、クリュウ・ファミリーが独占している。『配達員と輸送船にだけは手を出すな』__暗黙の了解が守れない者は、この烏龍特区で生きていく術を持たない。余談だが、姉妹都市九龍クーロンにはそういう馬鹿は存在しない。すぐに消されてしまうからだ。暴動、抗争、許可のない違法建築が蔓延る巨大都市では、コンクリート塗装が毎日のように行われている。九龍の警察はカルテルとズブズブの関係であるし、いちいちそこらのアスファルトを剥がして成分を調べようとする酔狂な者もいない。表向きは正常なまま、大陸の東では何人ものがそうして行方不明になっている。

「リーさん、お怪我は?」

「ううん。大丈夫です、いつもありがとう」

 黒服が一人、サヤカ・リーの身を案じて近づいてきた。そのまま荷物を持とうとするが、勤勉な配達員は首を横に振る。信用第一の商売だ。お利口でいるうちはクリュウ・ファミリーが彼女の後ろ盾になってくれるが、例えば荷物を少しでも他の誰かに触らせたりしたら。明日、どこかの道路を塗装するのはサヤカ・リーになるかもしれない。その可能性がある限り、滅多なことは出来なかった。

「気持ちだけもらっとくね。アリソンは中?」

「はい。公主コンジュ…プリンセスは、すでにVIPルームで貴方をお待ちです」

「あちゃあ、油売りすぎたかな」

 烏龍の路地裏にひっそりと佇む地下への扉。民家の裏口を装ったそこは、知る人ぞ知る楽園に繋がっている。入るには合言葉が必要だが、サヤカは天下御免の配達員のため顔パスで通ることが出来た。

「アリソンにお届けものです」

「…入れ」

 窓付きの重たい扉がゆっくりと開いていく。中はゴキゲンな音楽が凄まじい音量で響いていた。暗黒街の楽園。地下に沈む不夜城。クラブ・パライゾは休むという言葉を知らない。信じられないことに、昼間も変わらず音楽が流れているのだ。

「ごめんくださ__」

駒鳥クックロビン!遅かったじゃない何してたの?アアンその具なしピザみたいな優しい顔をもっと見せて!」

「躊躇いのない悪口…!」

 入るや否や、巨大なバストを白い革のコスチュームでぎゅうぎゅうに締め付けた美女がサヤカに突撃した。西の方特有の澄んだ金髪に、目鼻立ちのはっきりした、シャンパングラスのような女。

 クラブ・パライゾの城主、プリンセス・アリソンその人である。レザー越しにムチムチと張り出したバストで、顔を塞がれたサヤカが窒息する。

「プリンセス、どうかその辺りで」

 黒服に窘められ、美女の猛進がようやく止まる。

「あらン!ごめんなさい駒鳥、私の身体が隅から隅まで美しく豊かなばかりに、可愛いあなたを絞め殺してしまいそうだったわ」

「リーです、プリンセス・アリソン…ゴホッ」

 女の白いデコルテからは甘く控えめなヴァニラの匂いがした。いい香りだが、少し少女趣味だ。

「こちらがあなたへのお届け物です」

爸爸パパからのね?いつもありがと」

 片手で持てる程軽い箱を差し出すと、アリソンの顔が喜色に染まった。熱い唇が迫り、サヤカは思わず目を瞑る。チュッとリップ音を立てて小娘の頬にサインしたアリソンが、細いペンで伝票に受取人の名前を書き込んだ。きれいな輪郭を描く筆記体。インクは鮮やかなマゼンタだった。

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