【短編】クラス一塩対応の美少女ですが、姉になった途端甘やかしてくれるようになりました

宮元戦車

【短編】クラス一塩対応の美少女ですが、姉になった途端甘やかしてくれるようになりました

高校の入学式も終わり、それなりに慣れてくるとまとまったグループも出来てくる。


「でさー。明日どうする?」


「バイトー」


「マジで部活疲れたー」


「あー、大会近いしなー」


 高校に向かい、並木道を歩く彼らは陽キャと呼ばれるグループだった。


 友人やクラスメートと話しながら校舎に向かう彼らだったが、一人の女子生徒が来た途端、その場の雰囲気ふんいきが変わった。


 まるで学校の象徴しょうちょうのような品格を持つ彼女に一同は感嘆かんたんのため息を吐いた。


「やべ、なんだよ。めちゃくちゃ美人じゃん」


「お前知らないの? あれがこの学校の女神『小坂愛衣こさかめい』じゃん」


 すらりと伸びた足に、制服の上からでもわかる大きな胸。


 そして、さらさらと流れるような栗色の長い髪。


 アイドルみたいな端正たんせいな顔立ち。


この春、入学してから一気に女神にまで上り詰めた彼女とお近づきになりたい者は多い。……俺含めて。


「あー、あれがそうなんだ。でも、なんで一人なの?」


 あの溢れるような美貌ならば取り巻きは十人くらいいてもおかしくない。


 しかし、彼女の周りには誰もいない。まるで結界でも張られているかのようだ。


 それも当然のことだ。


 なぜなら、彼女は――。


「よし、話しかけよっ」


「あ、おい!」


「ね、小坂さん。俺らさー。これからカラオケ行くんだけどいかない?」


 声をかけてきたのはなかなかのオシャレな美男子だった。しかし。


「いかない」


 即断そくだんだった。


 快刀乱麻かいとうらんまの切れ味に声をかけた男子生徒が言葉を失う。


「人を捜してるから」


 それだけ言って愛衣は再び歩き出す。


「マジかよ。この俺ともあろうものがぁぁぁ」


「強キャラが負けたみたいな台詞だなおい」


「自信あったんだけどなぁ」


「だから言っただろ。なんで小坂さんが女神なんて言われてるかわかるか? 俺たち地上人では手に入らない神様みたいな存在だからだ」


「はぁ……そういうことか」


 愛衣は背後の会話なんて気にせず、校舎に入ってくる。彼女にとってはこれが日常なのだろう。


 げ、こっち来る!


 慌てて俺はスマホをしまおうとするが。


 駄目だ。せめて、この文を書き終えて――。



『それはいつもの日常で出会った――』



 これでよし。


 ほっと一息ついた途端、


「やっぱり教室にいたんだ。――透」


 目の前には愛衣がいた。先ほどと同じ憮然ぶぜんとした表情。


「……なんか用か?」


 俺たちの関係を知ろうと聞き耳を立てている周囲の気配を感じる。


 あまり目立つほうじゃない俺にとっては居心地いごこちが悪い。


「ふーん」


 あ、やべ、機嫌を損ねた。


 そう思った瞬間、俺の机の上に愛衣が座った。


「用がないと来たら駄目なの?」


 冷たいオーラに教室にいたクラスメイト達がおびえる。


 ……あのさ。目が笑ってるんだけど。


「そういうわけじゃないけど」


「じゃあ、いいよね」


 ……。


 ……。


「いつまで目の前にいんの?」


「別にいいじゃん、どうせスマホで小説書いてたんでしょ?」


「違う。シナリオだ」


「変わらないでしょ」


「小説は相手の描写びょうしゃなどを入れるが、シナリオは基本立ち絵があるからそれを省くことが多い。全然違う」


「ふーん」


 興味なさそうなふりをしているが、実際は視線がちらちらと動いている。


「ね、見てあげてもいいけど?」


 一瞬、「ほんとに?」って甘えそうになった。


 駄目だ! それは『甘え』だ!


 鋼の意思で自らの気持ちを自制じせいする。


「何を?」


 あえて気づかないふりで問い返す。


「わかってるくせに。いいでしょ?」


「いや、別にいい」


「あっそ。ま、なんかあったら言って」


 さして気にする素振そぶりを見せない。


 あくまでも俺なんか気にしていないというような言い方だ。


 でも、本音は違う。


(あ~、めちゃくちゃ見たい! 甘やかしたい! 構ってあげたい! よしよし、すごいの書いてるね~って言いたい!)


 って、思ってるんだろうな。


 姉オーラがすごいから言わなくても伝わってくる。


 というか、目の色からして違う。


 そう、俺は理解している!


 彼女の好意もしたいこともわかっている。


 出来ることなら彼女の好意に甘えたい。


 だが、それでも俺は受け入れられなかった。



 だからこそ、俺は耐えてるんだ!



 なぜなら。


「姉だし」


 ぼそりと呟いた愛衣の言葉は俺にしか聞こえていなかった。


 一か月前――。


 俺の父親と愛衣の母親が再婚した。


 そして、誕生日が早いほう、つまり愛衣が姉となった。


 そう、愛衣と俺は姉弟になってしまったのだ。


「でも、好きだ」


 その返答として、とても小さく、誰にも聞こえない程度に俺は呟く。


 姉弟だから諦めないといけない。でも、諦めきれない。


 だからこそ、俺は姉からの甘えを断ち切る!


                   ※


 キーンコーンカーンコーンと授業が終わり、休み時間になる。途端にざわざわと賑やかになる教室。


「なんか最近のゲームや漫画のメインヒロインって暴力系幼馴染いなくなったよな」


「俺、暴力系幼馴染とか好きなんだよ。なんか知らないけどさ」


「めちゃめちゃ厳しい人たちがふいに見せた 優しさのせいだったりするんだろうね!」


「ありがとうございます! って、そうじゃなくてさ。女子がからかいでパンチしてくるのっていいじゃん?」


「わかります。気安い感じがしますよね。なんか距離が近いというか。ふふ、ボクの計算によればそういう行為は大体惚れてますよ」


 それ勘違いだろ。


「『はぁ? マジでバッカじゃん。……でも、そういうの悪くないよ』」


「それそれ!」


 男子たちの馬鹿話を聞きながら。



『勘違いしないでよね! 別にあんたのためじゃないんだからね!』



 俺はシナリオを書いていた。


 シナリオはノベルゲームの根幹だ。


 だからこそ、一文字一句しっかりと書かなければならない。


 ただ俺が目指しているのは立ち絵やイベントCGもあるノベルゲームだ。


 どちらかといえば、立ち絵があるギャルゲに近い。


 立ち絵がある分、キャラクターの描写は簡素かんそでいい。


 その分、心理描写などに力を入れることができる。


 ……でもなぁ。


 肝心かんじんの立ち絵を描いてくれる人がいない。


 ネット上で探してはいるのだが、あまりうまくいかない。


 俺自身人見知りする性格のせいだろう。


 どこかにいないものかね。


「愛衣っち。愛衣っち」


「やめてその呼び方」


「えーいいじゃんいいじゃん」


 俺の悩みをよそに前の席にいた愛衣とクラスメイトの女子がきゃっきゃっと騒いでいる。


「ねーねー、そのお菓子ちょーだいよー」


「駄目」


「いーじゃん。代わりに消しゴムのカスで作った蛇あげるから」


「いらない」


「名前は『ウロボロチュ』。好きな食べ物は自らの尾」


 ウロボロスは好きで自分の尻尾食べてるわけじゃないだろ。……多分。


「いらないから。春奈。……ん、おいし」


 春奈に見せびらかすように、愛衣が細い棒のお菓子をかじる。


「冷たいー。愛衣っちのけちー」


「そう言われても駄目」


「友達なのに!」


「友達じゃなくてクラスメイト」


「もー、塩対応すぎー」


 文句を言いつつも何がおかしいのか春奈はケラケラと笑う。


 タフなメンタルだな。


 そのメンタルには敬意をひょうする。


 俺にもそのメンタルがあればノベルゲームを作るだけの人材を集められたかもしれない。


 それどころか、俺は愛衣をあきめられたかもしれない。


 もしくは、告白、してたかもしれない。


 いやいやいや! 駄目だろ! 俺らは姉弟だ!


 そんなことしたら父さんと義母さんに申し訳がない。


 あの二人は今が一番幸せなんだ。身勝手な行為で傷つけるわけにはいかない。


「ちなみにさー。私だけじゃなくて、透っちもお菓子欲しそうにじっと見てるよ」


 げ、こっちに話をふるなよ!


「……透が?」


 ほら、見ろ。いたぶる獲物えものを見つけた猫みたいな目で愛衣が興味持ったじゃん。


 なんも関係ないですよと、慌てて目を背けるが。


「ふーん、透も食べたいの?」


 いつの間にか目の前には愛衣がいた。


 いやいや、残像拳ざんぞうけんでも使ったのかってレベルの素早さだ。


「そんなこと思ってない。もう休み時間終わるだろ?」


「別に。食べてもいいけど」


 あくまでもそっけなく愛衣が誘ってくる。


 ……相変わらず不器用だな。


 愛衣は基本的にどんな相手に対しても塩対応だ。


 だからこそ、逆に相手を誘ったり、甘えさせるという行動に経験がないため、やや挑発的な物言いになってしまう。


 素直に『お姉ちゃんだよ~。よしよししてあげるよ~』みたいなことを言いたいのに言えないのだ。


「ほ~ら、おいしいよ~」


 人の話聞いてた? 


「あ~ん」


 愛衣が口を開けてお菓子を差し出してくる。


 一瞬、あ~んしたくなる衝動にかられた。


「いらないって」


 でも、耐えた。


 はっきりいってそんな恋人みたいな真似したら俺の恋心が耐えられなくなるからだ!


 その場で押し倒すことだってするかもしれない。


 舐めるなよ? 俺の恋心回路。


「食べたいんじゃなかったの?」


「そんなこと一言も言ってないだろ。男塾おとこじゅく出身の俺はお菓子なんて軟弱な食べ物嫌いでごわす」


「あれ? 口の端に朝食べたチョコついてるけど?」


「マジで!?」


 慌てて口元を拭うが。


「う・そ」


 愛衣はニヤニヤと笑いながら俺の頬をつっつく。


 胸の奥から感情が沸き上がってきて、かぁーっと俺の頬が赤くなる実感じっかんがした。


 いやいや、なにそれ。お前は俺の恋人か?


 油断している愛衣の指をめてしゃぶりつくしたい!


 駄目だ駄目だ。


 落ち着け。


 ふぅーっと深呼吸しながら必死にこらえる。すると、その様子をお菓子が食べたくて仕方ないと勘違いした愛衣が面白そうに頬を緩ませる。


「ほ~ら、お菓子食べてもいいよ」


 やめろ! 催眠術さいみんじゅつするみたいにお菓子をゆらゆら揺らすな!


「く、絶対に屈したりしない!」


 図らずも女騎士みたいな台詞になってしまった。これ屈するやつじゃん。


「じゃあ、こっちを見たのはなんで?」


「見てない」


「う・そ」


「見てない」


 俺と愛衣はにらみ合った。


 愛衣の視線は厳しく、周囲にいた男子たちは一瞬で委縮してしまった。


 仕方ない。なにしろ、愛衣のオーラは冷たく、背後にはドラゴンが見えるほど迫力がある。


 対しては俺の迫力は……せいぜいがチワワ。


 俺の内心のおびえをあらわしているかのようにブルブルと震えている。


「見た、よね?」


 最後通告。


 それ以上、否定するとバッドエンドまっしぐら。


 鈍い俺でもわかる。それでも。


「見てない」


 受け入れることはできない。見たか。これが俺の鋼の意思だ。


 ……本当はめちゃくちゃ『あ~ん』したかったけど。だって、『好きな女子にあ~ん』って男の夢ランキングベスト10くらいには入るでしょ!


「ふーん、そう」


 つまらなそうにお菓子を引っ込める。


 あれ、それだけ? 想定外の塩対応に戸惑とまどっていると。


「あ」


 俺を見ながら何かに気づいたように愛衣が口をぽかんと開いた。


「あ?」


 同じように口を開いた瞬間、


「はい、これ」


 お菓子が口に突っ込まれた。


「んんん!?」


 思わず口を閉じるが、既にお菓子は口の中に入ったままだ。


「美味しいよね?」


 してやったりという笑顔を浮かべる愛衣。ぐぅぅぅぅ! や、やられたぁ!


 完全な油断だった。だが、食べてしまったものは仕方ない。


 これが『好きな女子からあ~ん』か! くそ! めちゃくちゃ美味いじゃん! 生涯忘れない味じゃん!


 こんな体験したら、ますます愛衣のことが好きになってしまうだろが!


「う、美味い」


 そんな思いを隠しつつ、ぶっきらぼうに言い放つと。


「ふ~~~~~ん」


 愛衣がそっけなく言うが、顔はニヤニヤが隠しきれていない。


 だが、周囲の人間からは愛衣の表情をそこまで読み取れていないらしく、からかわれてかわいそうにという同情の視線しかない。


「また食べてもいいけど」


 と言いつつ、今度はさっきよりも三倍近い量のお菓子が差し出される。


 こんなの口の中が破裂はれつするわ。


「ほら、あ~ん」


 魅惑のあ~ん。さっきは耐えられた。でも、それは食べる前だったからだ。


 あの味を知ってしまい、一度ちてしまったら、


「あ、あ~ん」


 二度と俺は拒否することができない。


 弱い人間なんだ! 俺は!


 だからこそ、ずっと拒否していた。


 なんともいえない甘酸っぱい雰囲気の中の再びの『あ~ん』。


 周りの雰囲気も『あれ? 愛衣のやつ、からかってるわけじゃない?』みたいな猜疑心さいぎしんが含まれた視線に変わっていく。


 居心地の悪さを感じつつも、無理やり口の中にお菓子を詰め込む。


「きゃはははは。ハムスターみたいじゃん! きゃははは!」


 春奈の馬鹿笑いで再び茶化されているような雰囲気になり、視線も『あ、やっぱりからかわれてた』というような雰囲気ふんいきになった。


「ほら、まだあるから。がっつかないで」


 完全に姉目線になった愛衣。


 そう、この目が好きで――嫌だった。


 他人に向けられているのなら構わない。むしろ、彼女の優しさが表れていて好きだった。でも、俺には向けないでほしい。


 俺が弟だと実感してしまう。脈なしと言われ続けているようで辛い。


「美味しいでしょ?」


 そこに文句はない。


 ただ自分自身の弱さに文句が出る。


 くっそ! でも、お菓子美味しい!


 幸せと悔しさの同居に、どうにもモヤモヤする。


「じゃ、授業始まるから」



「ばいばい」



 姉として満足した愛衣が軽く手を振る。……その口元にはにっこりと笑みが浮かんでいた。今の笑みは他のクラスメートに気づかれたら大変なことになっていただろう。


 敗北感にさいまれた俺だが、ちょっとした優越感も得られた。



                    ※


 主人公は青年。


 ヒロインはその妹。


 青年は妹に恋心を抱いているが、やがて、その感情は抑えきれずに。



 これが作ろうとしているゲームのシナリオのあらすじだ。


 ……うん、わかってる。


 立場が妹になっただけですね。


 仕方ないじゃん。だったら、この溢れる思いを何で発散しろっていうの!?


 ということで下校中は俺の思案タイムだ。


 ストーリーを考えつつ、立ち絵、BGMなどの構成を考えていく。


 ふ、友達がいない俺だからこそできる時間の活用だ。


 ……ちょっと悲しくなるのは内緒だ。


 商店街の雑多な人ごみを歩き、住宅街を目指す。


「君、アイドルに似てるって言われない?」


「さぁ?」


「いや、言われるでしょ。君、自分の可愛さを自覚したほうがいいよ。あ、これは親切心で言ってるんだけどね」


「そう」


 前にいる男女から声が届いてきた。


 お~、ナンパだ。よくそんな勇気あるなぁ。


 って、女子のほうが着ている制服はうちの学校のものだ。くそリア充すぎるだろ。ナンパなんて俺の人生で一度も縁がないイベントだ。


……いや、待てよ。あのきめ細かい栗色の髪は……愛衣じゃん。


 まさかの姉でした。


「あのさー。うちアイドルの事務所? みたいなやってんだけど。興味とかない?」


「ない」


「~~からの?」


 めげないナンパ男に、愛衣は一切の表情を変えず断固だんことした口調で言った。


「しつこい。そろそろ離れて」


 決してナンパ男を受け付けないその態度に、俺は安堵を隠し切れない。


 よかった。これでほいほいついてったらどうしようかと思った。


「いやいや、わかるよ。自分の心を閉じてるんだよね。……辛い過去のせいで」


 すげぇ勝手にストーリーを作ってやがる。


「……」


 呆れはてた愛衣は、ナンパ男を無視することにしたようだ。すたすたと先を歩いていく。


「暗い闇を抱えていたとしても俺は構わないよ。一緒に水着でバランスボールの上に乗ろうよ!」


 うちの義姉が闇属性扱いされてる。というか、若干怪しい仕事っぽくなってきてない?


「……はぁ」


 面倒くさそうに顔をゆがめながらため息を吐く。こめかみにぴくっと青筋が立ったところを見ると、愛衣の塩対応も限界みたいだ。


 ……よし。ここは俺が助けよう!


 って、なんて言って出ればいいんだ?


 『弟です』と言ったところで、ずっと弟だったわけじゃないからボロが出そうだし。


 そもそも愛衣のことを姉としても思ってないのに『弟』なんて言いたくない。


 『恋人です』なんて嘘は勇気りんりん状態でも言えない。


 じゃあ、俺と愛衣の関係はなんなんだ?


 一か月前はぶっちゃけ他人だった。でも、親が再婚して姉弟になった。


 浅い関係性だ。はっきりいって知人に近い。


 そう考えると、俺が間に入る理由はない。


「ねぇ、一度考えてみてよ」


 ナンパ男がしびれを切らして、愛衣の腕を掴んだ。


 驚きと恐怖が愛衣の瞳に宿やどった。



 どうでもいいことだ。



 俺はこっそり二人の背後にしのび寄る。



 関係ない。はずなのに――。



「てい!」


 愛衣を掴んでいる手を空手チョップで叩き落とす。


 何してんの、俺?


 呆気に取られる愛衣とナンパ男。


「逃げるぞ!」


 俺が走り出すと。


「うんっ」


 愛衣は頷いてこちらについていく。残ったのは突然の出来事に対処できなかったナンパ男だけだった。


 愛衣が振り返って軽く手を合わせた。


「あー、ごめん! 弟が嫌みたいだから!」


 我に返ったナンパ男は慌てて追いかけようとする。だが、時すでに遅しというやつだ。


「は? 弟? は? ちょ、待てよ!」


 初動で大きく距離を突き放した俺たちは商店街の人ごみにまぎれていく。


 ………。


 ……。


 …。


「はぁはぁ」


「ふぅふぅ」


 住宅街の裏道に入ったところで俺たちは足を止めた。……しばらく息をひそめて待つが、誰かが追ってきてる気配はない。逃げ切ったみたいだ。


 二人で悪人から逃げる。ゲームの冒頭シーンみたいで少し興奮した。


 ……これを最初のシーンに持ってくるか。


 妹がナンパされていて、青年がそれを助けて逃げ出す。そこで妹は青年に助けられて恋を意識する。


 うん、悪くない。


 忘れないうちにスマホでメモしておこう。


 気に入ったフレーズや面白いストーリー展開など思いついたらなるべくメモするようにしていた。


 個人的な意見だが物語には『鮮度せんど』がある。


 そのときの感情、風景、交わした会話などを文に乗せることで物語に色彩しきさいが生じる。


 非科学的な感情論だ。自分でもわかってる。でも、ロマンなんだ。


 ……こんなことを言ったら馬鹿にされたから一時期ノベルゲームを作るのはやめていた。


「またシナリオ書いてんの?」


「ああ」


「ふーん、良い展開が浮かんだんだ」


「まぁな」


 でも、愛衣だけは馬鹿にしなかった。


 それどころか出来上がったら見せて欲しいと言われた。


 おそらくお世辞だろう。それでも。


 ……嬉しかったなぁ。


 その時の心臓の鼓動こどうは忘れない。はっきりと高鳴り、彼女から目が離せなくなった。そして、気づいた。


 塩対応だからって冷たいというわけじゃない。


 どう接すればいいかわからないだけだと。


 彼女の不器用な優しさに心がかれてしまった。



 ――その時、恋をした。



 メモを書き終えて、スマホを閉じる。


「終わった?」


「ああ、待っててくれたのか。ありがとな」


「別に」


 照れくさそうに髪をいじりながら愛衣は呟いた。


 言葉だけ聞くと、出会った頃と変わらずの塩対応だ。


「あのさ」


「なんだよ」


「助けてくれてありがと」


 本来なら姉は弟を助けるものだ。その点が不満なのだろう。礼を言いつつも、愛衣は唇をとがらせていた。


 途端に気恥きはずかしさがこみあげてくる。


 体が咄嗟に動いてしまった。


 普段の俺からは考えられない大胆さだ。……はぁ、思い返すだけで「あぁぁぁ~」ってうつむきたくなる。


「べ、別に」


「もしかしてさ。……照れてる?」


「そ、そんなことないって」


 慌てて俺は否定するが……はい、図星です。


「ふーん、そっか」


 愛衣の瞳が姉モードに切り替わる。


「……なでなでしてあげよっか?」


「なんで!?」


「別に。姉ならいいじゃん」


 どうやら姉力が限界突破したみたいだ。目に『姉』と書かれているかのようだ。


 子供ならまだしもこの年になってなでなでは恥ずかしい。


 そもそも冴えない男が好きな女になでなでしてもらうってどういう状況だよ。


 開いたらいけない扉が開きそうだ。


「いらない」


 断固とした決意で拒否するが。


「よ~しよし」


 無理やり頭を撫でようと手を出してきた。


 だが、甘い! 俺と愛衣の身長は10センチ以上ある。そう簡単に撫でられる身長差ではない!


 容易たやすく愛衣の手を叩き落とす。


「やめろって」


 俺は弟じゃないという意思を込めて愛衣をにらむが。


 愛衣はこれ見よがしにため息を吐いて、ぷいっと顔を背けた。


 そして、頬をきながら顔を背けたまま一言。


「さっきの恰好良かったじゃん」


 そう、呟いた。


「マジで!?」


 思わず前のめりになる勢いで聞き返すが。


「う・そ」


 その隙をついて愛衣に頭を撫でられた。細い指の感触が頭から伝わってくる。恥ずかしさと気持ちよさ。色んな感情が渦巻うずまいて胸中があらぶる。


「……やめろよ」


 必死にしずめながら呟いた言葉には力がなかった。


 我ながら情けない。でも、好きな人が間近にいる喜び。その人に触れてもらうドキドキ。なんともいえない幸せだ。


 ……完全に弟扱いだとしても。


 仕方ない。愛衣は俺を男として認識してないんだから。今の関係がベストなんだ。


「へぇ、髪固いね。男の子っぽい」


「そりゃ男だからな」


「知ってる」


 わずかな不満を押し殺して俺は仲のいい姉弟をえんじる。


 この思いは忘れてしまったほうがいいのだろう。


 それがお互いのためだ。



「さっき恰好良かったのはほんと。……結構ドキドキしたかも」



 その呟きを耳ざとく聞きつけた俺の心にはわずかな希望が宿った。今の言葉は弟として言われたものじゃない。ともすれば、俺にも聞こえないくらい恥ずかしそうな小さな声だったことが証拠だ。


 もしかすると思いは届くのかもしれない。



『恋は諦めきれないものだ』



 うん、シナリオの最後の文章はそうめくくろう。


                    ※


 その夜、父さんと義母さんはデートに行ってしまった。残されたのは俺と愛衣だけだった。


「透、何か食べたいものない? お姉ちゃんがなんでも作るよ」


 教室とは違い、誰もいない家の中だからだろう。いつもより愛衣は積極的せっきょくてきだった。


 距離も近い。ほぼ体がくっついている。


 愛衣の甘い花のような匂いとやわらかな肉感に背筋がぞくぞくしてくる。


「俺がなんか作るよ」


 そう言って、俺は愛衣から距離を取る。はっきりいって限界だった。これ以上は顔の赤さを隠し切れなくなる。


「は? 作れんの?」


「父子家庭をめるなよ? 炒飯くらいは作れる」


 自信満々で言うと、愛衣はむっとした顔で反論した。


「あたしやるって。弟に作ってもらうわけにはいかないでしょ」


「いや、俺がやる」


「お姉ちゃんの言うこと聞けないの?」


 愛衣が睨んでくる。


「うぉっ」


 さすがは学校一のクールキャラだ。迫力がすごい。心臓を鷲掴わしづかみするような氷の眼差まなざしだ。


 だが、俺とて引くわけにはいかない。


 これ以上、愛衣に甘えるわけにはいかない。


「なら、お姉ちゃんと勝負しよっか?」


「はぁ?」


 愛衣は成績優秀、運動神経も抜群の完璧美少女だ。対して俺は成績も平凡。部活も帰宅部だ。はっきりいって勝てる見込みはないんだけど。


「……そっちが有利なことで勝ってあげる。ん~、腕相撲うでずもうで勝負しよっか」


 愛衣は机の上に右ひじをたてて待ち構える。いくらなんでも調子に乗りすぎじゃないか?


 単純な腕力勝負で男子が運動もしていない女子に負けるわけがない。かなりナメてるなよな。


 さすがにちょっとイラっとした。


「わかった」


 俺も肘を立てて愛衣の手と握って組んだ。


 こ、これは――!


 不意にとんでもない事実に気づいた。


「顔色、悪くない?」


「いや、別に?」


 ごめん、嘘です! めちゃくちゃ動揺してるからだよ!



 ――だって、女の子の手って小さくてすごい柔らかいんだ!



 それに――。


「それならいいけど」


 愛衣は腕相撲するために前かがみになっている。


 つまり、豊満な胸の谷間がばっちり見えているのだ。


 こ、これは刺激的過ぎるだろ。愛衣の胸は大きいと思っていたが、間近まぢかで見るとなんて破壊力だ。


 いやいや、それどころじゃない。


 自制を取り戻して、視線を逸らそうと下に持って行った。


 これで一安心だ。


 その間隙かんげきうように。


「んじゃ、いくよ。よーい――」


「あ、いや、ちょっと待って――」


「スタート!」


 勝負は一瞬だった。呆気なく俺の手は愛衣の手に押し倒されていた。


「――お姉ちゃんの勝ちだね」


 愛衣がにやりと笑った。


「……わかった。んじゃ、今回は作っていいよ」


 負けは負けだ。


 めちゃくちゃ悔しいけど。


「……今の勝負、やっぱなしで」


 なぜか愛衣が心変わりした。照れくさそうにそっぽを向く愛衣の心変わりはまさに『乙女心』というしかあるまい。


「なんで急に?」


「わざと負けてくれたんでしょ」


 ……はい?


「だって、普通ならこんなに簡単に負けないでしょ」


 ああ、手加減したって思われたのか。


 ……そういうわけじゃないんだけど。


 おっぱいと手の感触に負けたと思われるよりは全然マシだ。


「まぁな」


 俺は勘違いに乗っかる形でうなずいた。



「そういう優しいところ、前と変わらないよね」



 それは姉ではなく、同級生としての言葉。


「愛衣?」


「――弟、ずっと欲しかったんだよね。でも、うちは小っちゃい頃に父さん死んじゃったからさ」


 初めて明かす、彼女の心の内。


「再婚して、弟が出来たからってちょっとはしゃすぎたかも。……無理に付き合わせちゃったね」


 ――見抜いていたのか。俺が『家族』を壊したくないから愛衣に『姉』じゃないと言えないことを。


 わかっていたから、愛衣はその恩を返すように、塩対応ながらも『やさしい姉』をえんじてくれたのか。


「いつか」


 小さな呟き。


「いつか、返事を、するから」


 顔は伏せられていて表情はわからない。でも、僅かに見えた顔の赤みで彼女の本心が垣間見かいまみえた。

その意思におうじるように俺は頷いた。


「待ってる」


 それから――。


                    ※


 数年後。


 俺たちは無事学校を卒業して大学に進学した。


 その際、家を出て大学近くのマンションに二人で暮らすことになった。


「おーい、愛衣。今日は遅くなるからご飯だけいておいてくれ」


「ん、わかった。……またサークル?」


「ああ、次の即売会には新作を出したいからさ」


「ふーん。あっそ」


 愛衣は話なんて興味がないというようにそっぽを向いた。


 相変わらずの塩対応。


 だが、一つだけ変わったところがある。


「――ちゅ」


 軽く頬にキスをする愛衣。


 体で好意を示してくるようになったのだ。


「先行くから」


 軽く微笑みながら愛衣がマンションから出る。


「あ、ま、待ってくれ!」


 その後を俺は追った。


 表札には『秋山 透』『秋山 愛衣』と書かれていた。


「大学まで一緒に行こうぜ」


「別に。いいけど」


 二人で並んで歩き出す。寄り添い合い、互いの手が繋がる。まるで恋人のように。あるいは姉弟のように。

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