十一月二十九日 地下一階

 時間通りに僕を迎えに来たのは、伯母さんではなくタカアキ君だった。車はフクマツ不動産の営業車だ。

「旬君、大丈夫?」

 タカアキ君にも同じ事を尋ねられる。

「大丈夫だよ。大丈夫じゃなさそうに見える?」

 助手席に乗り込みながら尋ねると、タカアキ君が横顔で苦笑した。

「正直ちょっと顔色悪そうに見える。ちゃんと寝れてる?」

「寝たよ。薬も飲んでるし、今日は体調がいいほうだと思う」

「そっか、ならいいんだけど」

 車が走り出した。目指すは隣町にある新築の学生用マンション、「スコラ24」。「24」というのはワンフロアにつき六部屋の四階立てで合計二十四部屋なのと、管理人が二十四時間常駐しているというダブルミーニングになっているらしい。

「タカアキ君は運転が上手だね」

「大学生のときから乗ってるからねー、もう慣れてるよ。最初は家継ぐの嫌だったからさ、普通に就職しようと思って簿記とかTOEICとか勉強してたけど、結局普通自動車の運転免許が一番仕事の役に立ってる」

「すごいな。僕も一応免許は取ったけど、取るのに精一杯だったよ。結局怖くて一回も運転してない。筋金入りのペーパードライバーだ」

「てことは、筋金入りのゴールド免許じゃん」

 タカアキ君が笑う。

「俺なんか全然すごくないよ。就活でいくつも会社説明会に行って、いっぱいエントリーして面接も受けて、でも箸にも棒にもかからなくてさー、母さんに『ごめんなさい、やっぱり家継がせてください』って土下座したんだからね」

「伯母さんは喜んだんじゃないの」

「どうかな。母さんは俺が普通に就職したら、店畳むつもりだったと思うけどね」

 話をしながらも、タカアキ君は手足のようにハンドルを操作している。交差点を東へと曲がった。

「旬君のほうがすごいよ。ちゃんと就活して、東京でひとりで生きてきたんだもんな」

「そんなことないよ。内定もらって舞い上がって、まさかあんなブラック企業だなんて想像すらしなかった。見る目がなかったよね」

「分かりっこないよ。大学四年生なんて、いたいけな二十二才かそこらの青年じゃん。ブラック企業なほうが百パー悪いでしょ。……っと、ごめん。前の会社の話なんて、あんまりしたくないよね」

「いや……」

「ごめんね。俺、考えなしに思ったことをべらべら喋っちゃうからさー、こんなだから面接で落ちちゃうんだよなあ」

 赤信号が灯った。車はスコラ24の最寄駅前の交差点で停まる。あの家に越してくる途中で通過した駅だ。

 あのとき、寝過ごしかけていた僕を、シモツキさんが起こしてくれたんだよな。

 僕が物思いにふけっていたせいか、その後は到着するまで会話はなかった。

 スコラ24は、もう完成している。ただ、入居予定者は全員来春からの新大学一年生なので、入居は早くても来年三月からということになっている。管理人の仕事が始まるのも三月一日からだ。

 オートロックの共用玄関を開けると、真新しい建物特有の化学的な匂いがした。

 管理人室は真正面にあり、一番手前の小部屋は入居者や来客者の対応をする窓口になっている。管理人の休みは水曜と日曜及び祝日、そのほかの日は午前九時から午後六時までが業務時間だが、入居者に呼ばれれば可能な限り対応する必要はある。「まあ、そんなに回数はないと思うけどね」とはタカアキ君の見解だ。ちなみに、ちゃんと時間外手当が支給されるらしい。

 住居部分は八畳ほどのワンルームで、奥にシンプルなシステムキッチンがある。僕が前に住んでいたマンションよりは広いがあの家に比べれば手狭だ。凝った料理を作るのは難しいだろうし、祖父の本を並べる本棚を置く場所はない。

「実は、これだけじゃないんだよね」

 タカアキ君が指さす。キッチンの隣に、なんと地下へ続く階段がある。僕はタカアキ君に続いた。

 分厚い二重ガラスのドアを開けた先にある地下室は、上の住居部分よりも広かった。十畳……いや、もっとだろうか。

「すごいでしょ。この部屋、完全防音なんだよ。ここで大声を出すから、ドアの外で待ってて」

 わーっ。タカアキ君が叫んでいる途中でドアを閉めると、声はぴたりと聞こえなくなった。

 当初は、伯母さんが隠居してこのマンションの管理人をやるつもりだったそうだ。だから伯母さんの好きなように設計してある。しかしタカアキ君が一人前になるまでは――少なくとも宅建の資格に受かるまでは、現役でいなくてはならない。

「かくして母さんのカラオケ部屋の野望はおあずけになったわけ」

 ここなら本棚も置けるし、大音量で映画を観ることもできる。

 シモツキさんと会話してても、誰にも聞こえないのに。

「こんな部屋、……いいの? 僕が使わせてもらって」

「たまには母さんが下手な歌を歌いに来ると思うけどね」

 と、タカアキ君のスマホが鳴った。

「うわー、めんどくさい大家さんから電話来たし。ちょっと待ってて。歌っててもいいよ」

 タカアキ君は階段を駆け上がっていった。

 わーっ。わーっ。防音室にひとりになった僕は精一杯声を張り上げる。

 わーっ。うおーっ。ぎゃーっ。

 シモツキさああああん、さびしいよおおおおお。

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