十一月二十八日 隙間

 朝、目が覚める。外出する用事はないが、いちおう寝癖は直す。

 朝食はバナナと牛乳、デザートに母から大量に送られてきたりんごを食べる。メインもデザートも果物じゃないかと思われるかもしれないが、僕にとってバナナはおにぎりやサンドイッチと同じカテゴリである。

 いい天気だが、寒い。居間のエアコンを入れた。庭の掃き掃除は気温が上がる昼まで待つ。まだ眠たいので、お湯を沸かしてインスタントのホットコーヒーを淹れ、NHKのEテレをぼんやり眺める。

 水野さんと飲んだ「ジュ・ドゥ」のコーヒーは美味しかったな、とふと思い出す。豆を買って本格的なコーヒーを淹れるのもいいなと思うが、思うだけで特に何もしない。

 昼食は冷凍うどんを茹でる。かけつゆはめんつゆを記載通りに希釈する。こないだ伯母さんがくれたねぎの小口切りを冷凍してあるので、一緒に煮る。水で戻した乾燥わかめと水煮のツナ缶も半分入れてみた。悪くはないが、とびきりおいしいわけでもない。そういえば、無限ほうれん草はまだ試していない。

 日射しが出てきたので庭の掃き掃除をする。どこから来たのか、どんぐりがふたつ転がっている。ケント君が公園で拾ってきて、ここに落としていったのだろうか。

 どんぐりころころ、どんぐりこ。……あ、間違えた。

 僕はただの木の実に過ぎないそれを枯葉と一緒に捨てる気になれず、拾ってポケットに入れた。

 居間に戻って、本を読む。『女神』はいったん置いておいて、芥川龍之介にする。「羅生門」なら高校生のときに読んだが、こんなに難しい言葉で書かれていたとは思わなかった。

 眠くなってきた。閉めきった部屋は空気が悪い。僕は換気のために庭側のガラス戸を少し開けた。金木犀の花は終わり、窓の隙間からは代わりに冷たいだけの風とよそよそしい冬の匂いが入ってきた。次に咲く臘梅の花は、二月頃だという。五分だけ我慢して、また閉めた。

 そうしているうちに、伯母さんから電話がかかってきた。

「こないだ話した学生向けマンションなんだけど、旬君の都合のいいときに見に行ってみない? ついでに、何かおいしいものも食べましょう」

「ありがとうございます。ぜひ見学したいです。急ですけど、明日でも大丈夫ですか?」

「もちろんよ。……旬君、大丈夫?」

 なぜ聞き返されるのか、僕には分からなかった。

「僕はいつでも大丈夫ですけど」

「そう……それじゃあ、明日、十一時くらいに迎えに行くわね」

「よろしくお願いします」

 電話を切ったとき、背後に突然生温かい風が吹き付けてきた。

「もう、何ですか、シモツキさん……」

 振り向いても誰もいない。ただエアコンが温風を吐き出しただけだった。

 僕もため息を吐き出した。

 結局僕は、シモツキさんの本当の名前を思い出せずじまいだったな。どうして死んでしまったのかも分からないままだし。

 食欲があまり湧かない。夕食は肉をやめて、無限ほうれんそうを試してみた。おいしいと思うが、とても無限には食べられない。半分タッパーに残して冷蔵する。

 布団に入る前に薬を飲んだ。潮が引く感覚に身を委ねて、僕は眠りに就いた。

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