ステッキ~はなむけ

十一月二十五日 ステッキ

 体調がよくなってきたので、今日は祖父の本を読むことにした。短編集を選んだのは、長編を読み通すほどの集中力はまだ戻っていないように思ったからだ。

「どうだね、面白いかい」

 ソファに転がって本を読む僕を、シモツキさんが背もたれの後ろから顔を出して覗くのがお決まりになっていた。

「ものすごいストーリーでした……」

 僕は手短にいましがた読み終わった小説のあらすじを説明した。

 究極の理想の女性を追い求めて、妻や娘を美しく育てようとする男がいた。

 あるとき男とその美しい娘は交通事故の現場を目撃する。事故に遭ったのは若き天才画家で、以来足が不自由になってステッキを突いて歩くようになってしまった。

 その後、娘には超エリートでイケメンの許嫁ができるのだが、画家のほうに恋している自分に気づいてしまう。

「……ていうだけならまだ分かるんですけど、その画家がなぜかお母さんのほうともできちゃってて」

「ほう」

「しかもエリートイケメンはものすごい浮気者で隠し子がいて……とにかく、ものすごかったです」

「一昔前の昼ドラみたいな話だなあ」

 シモツキさんいわく、昔のテレビでは昼間にドロドロした愛憎劇が流れていたらしい。僕にはちょっと信じがたい話だ。

「そんな小説が、君のお祖父さんの本棚にあったとは意外だね」

「僕もです。教科書に名前が出てくる有名な作家だから、もっとお堅いのかと」

 僕は本の表紙をシモツキさんに見せた。書名は『女神』、作者は三島由紀夫である。僕が読んだのは表題作だ。

「三島由紀夫って、自衛隊のところに乗り込んでって切腹した人ですよね」

「愛人と川で心中したんじゃなかったっけ?」

「それは太宰治じゃないですか?」

 シモツキさんの知識は僕以上にあやふやだ。

「切腹なんて、なんでそんなことしたんだろうなあ。まったく僕の理解を超えてます。昔の作家って自ら死を選んじゃった人多い気がしますけど、三島由紀夫はちょっと毛色が違いますよね」

 僕は本をスマホに持ち替え、検索窓に入力しようとして、やめた。

「検索しないのかい」

「いくら昔の有名人だからって、人が死を選んだ理由をネット検索するのは、なんだか悪趣味な気がして」

「なるほど、旬君は優しいな。まあでも、検索して分かることだったら検索してもいいんじゃないか」

 私の名前や死因は検索しても分からないがな。

 シモツキさんの言外の声が聞こえる。僕はただ「三島由紀夫」とだけ検索した。


 三島 由紀夫(みしま ゆきお、一九二五年〈大正十四年〉一月十四日 ‐ 一九七〇年〈昭和四十五年〉十一月二十五日)は、日本の小説家、劇作家、随筆家、評論家、政治活動家。


「十一月二十五日、……今日がその日だったんだ」

 今日、三島由紀夫の本を読んだのはまったく偶然だった。

 彼のように有名なら、死んで五十年経っても顔も名前も残るし、なぜ死んだのか少なからず興味も持たれる。

「私の名前を思い出してくれよ」と、誰かに取り憑くこともないのだろう。



※作者注:

三島由紀夫についての解説文については、Wikipediaより引用しました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB

(2021年11月24日閲覧)

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