十一月二十三日 レシピ
今日は伯母さんが来る。僕の代わりに、食事の支度をしてくれるそうだ。
「勤労感謝の日だから、働き者の管理人さんにはお礼をしなくっちゃね」
伯母さんは電話越しに笑っていた。本当は病み上がりの僕を心配してくれているのだと思う。
確かに僕は一応この家の管理人を務めているが、感謝されるほど働いているとは思えない。一方伯母さんたちフクマツ不動産のみんなは、祝日も店を開けている。お客さんは土日祝のほうが多いはずだ。忙しいだろうに、僕のために時間を取ってくれるのは申し訳ない。
それでも、伯母さんの手料理をご馳走になるのはありがたかった。結局昨晩は無限ほうれん草を作るのも断念して、レトルトごはんと鯖缶とりんごでお腹を満たした。シモツキさんに口うるさく言われたからだ。
鯖缶も悪くはないが、やはりちゃんとした料理が恋しい。まして他の人に作ってもらえるなら、なおさら嬉しい。
伯母さんは午前十一時ごろに来てくれた。てっきりうちのキッチンで料理をしてくれるのだと思っていたが、おばさんはタッパーに入ったおかずをすでに準備してくれていた。ここで料理をすれば調理器具を洗わなければならない。食洗機がやってくれるとしても、片付けるのは僕だ。極力僕の負担にならないように気を遣ってくれているのが分かる。
「必要な分だけ取り出して、レンジでチンして食べるの。冷蔵庫に入れておけば3日くらいはもつから」
なるほど、作り置きというやつだ。「働く主婦の知恵よね」と伯母さんは笑った。
「今日はどれにする?」
伯母さんが作ってくれた料理は全部で主菜と副菜三種類ずつ、合計六種類。それと薬味として万能ねぎの小口切りもつけてくれている。
主菜は僕の好きな肉じゃがに、煮込みハンバーグ。鶏肉と大根を一緒に煮た鶏大根は、大根に茶色がしっかり染みている。副菜はさやいんげんの胡麻和えとにんじんと卵の炒めもの(「にんじんしりしり」という名前だそうだ。僕は初めて知った)、キャベツにハムとコーンが入ったコールスローサラダ。どれもおいしそうで、俄然食欲が湧いた。
「鶏大根のがいいです」
鶏大根は、うちの母親もよく作っていた料理だ。見た目が地味だから子どもの頃はあまり好きじゃなかったけれど、いまならそのおいしさが分かる気がする。
「了解。それじゃあお米を炊くわね」
伯母さんはキッチンに立った。僕は何もしなくていいと言われたが、さすがに申し訳ないのでりんごくらいはご馳走する。得意な皮むきは、伯母さんにも褒められた。
うちの米は無洗米なのに、伯母さんはちゃんと洗っている。僕は洗ったことがない。
「無洗米でも、多少洗ったほうがおいしく炊ける気がするのよね。思い込みかもしれないんだけどね」
あとは米が炊ける頃を見計らって、おかずをレンジで温めるだけだ。欲張って副菜は全部少しずつ食べることにした。
いつもはシモツキさんが座っている食卓の正面に、今日は伯母さんが座っている。炊き上がった米は自分で炊いたときよりもはるかにふっくらしていてつややかだった。温めた煮物にはねぎをパラパラとトッピングすると、彩りが加えられてよりおいしそうに見える。
煮物を一口食べてみる。おいしい、だけではない驚きがあった。
「母さんが作るのと同じ味だ」
「あら、そう? 姉妹だからかしらね。子どもの頃はおばあちゃんの手伝いをよくさせられていたから、同じ味を継いだのかもね」
煮すぎて少し硬くなった鶏肉も懐かしい。肉から染みだした旨味は大根が吸う。箸で切れるほど柔らかい。
思いがけず母の味に出会ったせいで、僕は涙を一筋流していた。
「帰りたくなった?」
「……ちょっとだけ」
慌てて拭ったが、伯母さんに見られたのが恥ずかしい。涙が出たのはそれきりだった。泣くのは上手くない。
「母さんに言わないでくださいね」
「約束するわ」
伯母さんはうふふと笑った。いつか破られる約束だな、と僕は諦める。
「ご希望があれば、またの機会に作り方を教えてあげるわよ」
「はい、ぜひ」
「嬉しいわ。うちの貴明は全然料理なんかしないからね。こうして中江家秘伝のレシピが受け継がれていくのねえ」
何気ない伯母さんの一言が、僕の脳の上で音を立てて転がる。
――うなぎ屋の秘伝のタレみたいなもんか?
誰かの声が脳内で響いた。
「どうかした? 具合でも悪いの?」
「……いや、大丈夫です」
思い出すのはまだ早い。
伯母さんの料理のおかげで、僕の平穏は守られた。
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