十一月六日 どんぐり
朝からテレビをつけて、インスタントコーヒーを飲みながらぼーっとしている。祖母の遺した居間のテレビは40インチで、まあまあの大きさだ。
なんとなくNHKを流しているのが好きだ。総合ではない、Eテレである。確か僕が子どもの頃は、「教育テレビ」と呼ばれていたような気がする。風邪を引いて小学校を休んだとき、朝から教育テレビが観られるのが嬉しかったものだ。
最近は子ども向け番組もなかなか侮れない。有名な俳優さんが昔話を朗読してくれたり、思わぬスターが出演していたりもする。アニメも凝った作りのものが多い。公共放送の底力みたいなものを感じる。
「みんなのうた」も同じだ。テレビから女性シンガーのさわやかな歌声が流れてくる。明らかに今風の音楽だ。
「『みんなのうた』ってこんなんだったっけか?」
いつの間にかシモツキさんが隣に腰掛けている。
「意外と有名なミュージシャンが楽曲提供してたりするんですよ。大ヒットして紅白に出ることもあるし」
「へー。てっきり童謡か、誰もが知ってるちょっと古めの歌をやってるのかと思ってた」
「そうだ、シモツキさんは、子どものころ好きだった歌とかありますか? もしかしたら生前のシモツキさんの手がかりになるかもしれませんよ」
その歌が流行っていた年代が分かれば、シモツキさんがいつ頃生まれた人なのかくらいは分かるかもしれない。
「うーん……あんまり覚えてないが、『どんぐりころころ』とか?」
シモツキさんは「どんぐりころころ、どんぐりこー♪」と陽気に歌った。歌はあまり上手くない。正しい歌詞は「どんぐりこ」じゃなくて「どんぶりこ」だが、わざわざ訂正はしなかった。
僕はスマホで「どんぐりころころ」について検索してみた。
どんぐりころころ どんぶりこ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出てきて こんにちは
坊っちゃん一緒に 遊びましょう
「……大正時代に作られた歌だそうです」
「てことは、私は大正時代より後に生まれたってことは確かだな」
「でしょうねえ」
大正時代に、シモツキさんみたいなTシャツとジーンズ姿の日本人はいないと思う。たいした手がかりにはならない。
テレビの中では、子どもたちがカラフルな衣装を着て元気に踊っている。
「少なくとも、私がイメージする『みんなのうた』とは隔世の感があるな」
「同感です。でも子どもだったから気づいてなかっただけで、当時は新しい曲だったのかも」
「子どもにとっちゃ、何だって新しいんだよ。ちょっと年を取って知恵がついてから、新しいだの古くさいだの言うようになるんだ。もっと大人になると、だんだん新しいものに対する興味がなくなっていく。新しいものに触れるってのは、しんどいことでもあるからな」
それが老化ってことなのかもしれないな、とシモツキさんはうっすら髭の生えた顎を撫でながらうんうんと頷いている。その髭は、たぶんもう伸びない。死んでいるからだ。
「言っておきますけど、シモツキさんみたいにはっきり見えて意思疎通できる幽霊、僕の人生で一番斬新ですからね。新しすぎてめちゃくちゃしんどいです」
「そうかい? そりゃあうれしいな。よかったよかった」
褒めたつもりもないし別によくもないが、まあ、いいか。
僕は黙ってコーヒーを最後まですすった。
どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた
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