十一月五日 秋灯

 僕の雇い主である伯母さんから、「気が向いたときでいいから」とひとつ仕事を頼まれている。亡き祖父が遺した蔵書の整理である。

 日差しを嫌った一階の北側、書斎と呼ぶにはささやかな洋室がある。そこには机と僕の背丈よりも少し大きな本棚があり、生前祖父が購入した文庫本たちがそのまま並んでいた。棚板がたわむほどぎゅうぎゅうに押し込められていたり、床にはみ出していたりするわけではなく、文庫のレーベル別、著者別にきれいに整頓されている。数は多くないが、まるで本屋のようだ。

「旬君のお祖父さんは、読書家だったんだな」

 シモツキさんが現れた。

「子どもたちの世話は祖母に任せきりで、自分はこの部屋でひとり本を読んでたって、伯母さんが言ってました。部屋が散らかるのが嫌いな人だったから、読み終わった本はすぐに古本屋に売ってたみたいですね。だからここに遺されているのは、祖父が特別気に入っていた本だけなんだそうで」

 机の引き出しを開けると、眼鏡ケースに入った老眼鏡が遺されていた。読書の趣味は、祖父が四年前に亡くなるまで続いていたらしい。

「旬君は本読むの好き?」

「うーん、普通ですかね。通勤時間の暇つぶしに、そのとき流行ってるミステリー小説を読むくらいでした」

 難しい言葉は知らないし、持って回った格調高い文学的表現は苦手だ。文章はストーリーの意味が分かればいい。ストーリーが面白ければいい。そう思う僕は、たぶん読書好きではないのだろう。

「ミステリー小説が好きなら、私がいったいだれなのか、なぜ死んだのかも推理してくれないかね」

「無茶言わないでくださいよ。暇つぶしに読んでただけって言ったでしょ」

 僕はまず丁寧に棚の埃を払い、背表紙のひとつひとつを眺めた。夏目漱石とか太宰治とか、ドストエフスキーとかヘミングウェイとか、古典的な名作が並んでいる。存命作家の本もあるが、どれもが「文学」という感じだ。僕が読みたいと思う本は、正直言って見つからない。

 ――欲しいのがあったらあげる。いらないものは、捨てるなり古本屋に売るなり、好きにしてくれていいから。

 伯母さんはそう言っていたが、処分するのはなんとなく気が引けた。

 この本たちはひとまとまりとなって、ひとつの「祖父の形見」を構成している。僕が好き勝手に取捨選択した瞬間に、価値のない古本の寄せ集めになってしまう。祖母も伯母さんもそう思ったからこそ、自分で処分するのを放棄したのではないか。

「あ」

 と、シモツキさんが本棚の最下段を指さした。

「それ、旬君が電車で読んでた本と同じシリーズじゃないか?」

「本当だ」

 濃いピンクの背表紙が二つ並んでいる。『春暁しゅんぎょう』と『夏蚕なつご』。名だたる文学者の著作がずらりと並んでいる中では、かなり異質に見える。

 僕が大学生の頃にミステリー界期待の大型新人として華々しくデビューし、いまも人気を博している作家のシリーズものだ。こないだ三作目の『秋灯しゅうとう』が文庫で出たばかりで、僕はそれをここへ来るまでの電車内で読んでいたのだった。祖父も同じシリーズを読んでいたのだ。

 僕は自分の荷物から『秋灯』を取り出し、祖父が遺した二冊の隣に並べてみた。同じシリーズを読んでいたというだけで、少し祖父を身近に感じる。

「ここにある本も、意外と読んでみたら面白いかもしれんよ」

 シモツキさんが言う。そうかもしれない。

 読むだろうか。読んでみてもいいかな。秋の夜長だもんな。

「……ていうかシモツキさん、電車の中から僕についてきてたんですか?」

「そういやそうだな。いつの間にか憑いてたんだよな。気がつけば電車に乗っている君の隣にいて、降りる駅なのに君が居眠りしてたから『起きないか』って言ったんだ」

「あれもシモツキさんだったのか……」

 てっきりシモツキさんは、この家に憑いていた幽霊だと思い込んでいたが、そうではなかったらしい。

 ということは、シモツキさんは……?

「何か私のことが分かりそうかい、名探偵の旬君」

「……全然」

 いくらなんでも、情報が少なすぎた。

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