十一月四日 紙飛行機

 新しい住まいの周りはずいぶんひなびていて、ショッピングモールも映画館も繁華街もないが、すぐ近くに広い公園があるらしい。

 天気がいいので、散歩がてら行ってみることにした。

 小畑山こばたやま公園は僕の家(住み込み管理人の身分で少しおこがましいが、便宜上そう呼ぶことにする)よりもさらに山を上ったところにある。滑り台やブランコがある児童公園ではなく、どちらかというと手つかずの自然を保全するための公園のようだ。

 入口に案内図が立っている。野球場やサッカーゴールのある緑の広場があり、ゴルフ場に隣接している。自然保護のため、一般には公開されていないエリアもあるそうだ。こんな広大な敷地の公園は、都心では決して作れないだろう。

 今日は平日だが、ジョギングやウォーキングをしている人を何人も見かけた。彼らはみな、木道が整備された林の中の遊歩道へ入っていく。多少は興味を惹かれたものの、いまはあまり疲れるようなことはしないほうがいいと医者に言われているのでまたの機会にする。

 僕は立て札に従い、「緑の広場」から「展望広場」へと歩みを進めた。斜面に木製の杭を打ち込んで作られた階段は、運動不足の僕には少なからず堪える。でも、嫌な疲労感ではない。

 公園で一番高い場所にある広場からは、眼下の市街地と遠くの稜線とを一様に見渡せる。天気もよく、視界は良好だ。

 ここにも解説板が設置してあり、目の前に見える山の名前をひとつひとつ教えてくれているが、正直僕にはどれも同じ山に見えた。ただハイキングの名所として有名な高尾山と、うっすら遠くに姿を覗かせる富士山だけが、「ほう」という小さな感動を与えてくれる。

 と、甲高い子どもの泣き声が聞こえてきた。未就学児らしき小さな男の子が、母親に必死で何かを訴えている。

 ――諦めなさい、また同じのを作ってあげるから。

 ――このあたり一帯は探してみたんですが……。お役に立てず申し訳ないです。

 母親らしき人と、この公園の管理スタッフらしき若い女性の会話が聞こえる。

 ――とんでもないです、たかだか紙飛行機ですから。

 どうやら少年は紙飛行機をなくしてしまったようだ。

 そりゃあ見つかりっこないだろうな、と僕は思った。よしんば見つかったとしても、土で汚れて元のようには飛ばないだろう。

 それにしても、紙飛行機ひとつを探しださなきゃならないなんて、公園の管理人は大変だ。僕は空き家の管理人でよかった。

「おかえりー」

 ぶらぶら歩いて家に帰ると、シモツキさんが庭の木を見上げて、一生懸命に両腕をばたばたさせていた。けれども幽霊の彼は、せいぜいそよ風を起こすぐらいのことしかできない。

「何やってるんですか」

「どうにか落とせないかなと思ってさ、あれ」

 彼が指さす先、木のてっぺんに引っかかっていたのは、なんと紙飛行機だった。

「どっかの子どもが泣きながら探してたら、かわいそうだろ」

 僕は思わず「うっそー」と驚きの声を上げた。

「これ、もしかして、さっきの……?」

「おや旬君、何か心当たりあるのかい?」

「うーん……」

 僕は先ほど見た光景をシモツキさんに話した。

 これはあの男の子がなくした紙飛行機なのだろうか?

 男の子がこだわって泣くからには、たとえば金色や変わった柄の珍しい折り紙で作られていたんじゃないかと、僕は想像していた。

 でも、庭の木にひっかかっている紙飛行機は、茶色の折り紙で折られていた。折り紙の中でもとびきり地味な色だ。そもそも、あの公園の展望広場からこの家まで飛んでくるだろうか?

「よそから見れば何の変哲もない紙飛行機でも、その子にとっては唯一無二の宝物かもしれんよ。物の価値なんて、他人が勝手に決めるもんじゃない。人間の価値だってそうだろ?」

 シモツキさんが言ったそのとき、折良く冷たい秋風がさあっと吹き抜けた。紙飛行機がくるくると舞い落ちる。

 僕はすかさず飛び上がってそれをキャッチした。

 きっとあの子のではないだろう、と僕は推測する。

 でも。

「一応、届けてみますね」

 僕は再び、公園へ向かった。

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