第40話 終幕
快晴のある日。
ラルは忙しく王宮を走り回っていた。彼女はギルマ学園卒業後、自分のような[最高使徒]の血を継ぐ人たちの安全を確保するために日々励んでいる。特に孤児院から追い出され、どこかで労働を強いられていた血の繋がっていない家族の捜索に力を入れている。あと少しで、全員の救出が果たせそうだ。
「ゼシカ!孤児院の名簿を管理しているのって、西棟だっけ?」
「東よ」
「ありがとう!」
バタバタと資料を抱えて走り去るラルを、ゼシカは笑って見送った。元々王宮に詳しい彼女は、学園を卒業してから再び王宮で働いていた。持ち前の知性を活かし、ギルマ学園の教育制度に関わる仕事をしている。貴族ではない一般の子供でも、ギルマ学園で最高の指導を受けて欲しいという彼女の願いは成就しつつある。
目的の場所に辿り着き、資料を片っ端からしまう。今日も忙しくなりそうだ。
「えーと、ここの管轄は誰だっけ・・・」
「僕だよ」
と後ろから資料の束を抜き取られる。
「ネスカ、ありがとう」
「王宮に努めて半年経つけど、調子はどう?」
「やることが多くて大変なのもそうだけど、この広い王宮の間取りを覚えるのが一番大変かな」
「何か困ったことがあったら、いつでも頼ってよ」
「ネスカにはお世話になりっぱなしで頭が上がらないよ・・・。おかげで私達みたいな悲しい子供がいなくなりそう」
「良かった。・・・それはそうと、仕事が終わったら暇?」
「ごめん、今日はサイファー王子に呼び出されてて・・・。多分いつもの世間話だけど」
王急に勤めてからというものの、サイファー王子からの呼び出しが頻繁に増えた。さすがに勤務時間内に言われたら立場上断れないが、友達なら普通に誘ってくれてもいいのに、なんて思ってしまう。
「・・・職権乱用だな」
「まぁ、仕事の話もするしね」
「夕食は僕の予定があるし・・・それじゃあ明日、一緒にご飯に行こう。約束」
と言って、ラルの手にそっと唇を落とす。
「へ」
「じゃあね」
ひらひらと手を振ってネスカは去ってしまった。
「びっくりした・・・」
ラルは手のひらを見つめて顔を赤らめる。
ネスカもゼシカと同様に、王宮に舞い戻った。彼は多彩な言語を操れるため、外交を主に扱っている。元々ラルとは交わることのない職種だが、彼とはよく会う。会う度に食事に誘われるが、そんなに暇なのだろうかと勘繰ってしまう。花形となる外交官で物腰の柔らかい彼は、女性人気が高いという噂だ。まさか、全ての女性の誘いを断るなんてないだろう。
「・・・さすがね」
ラルは後ろから聞こえた声に驚き、肩をびくっと震わせる。
「ラル、貴方ここに就職して本当に良かったの?」
「良かったよ。私とギンにしかできないこともあるし、毎日充実してる」
「そうじゃなくて・・・。毎日、ああやって狙われて疲れていないの?って話よ」
「狙われてる?それって、まだ内部に過激派の残党がいるの!?」
「・・・いえ、聞いた私が悪かったわ。貴方が気にしていないならいいわ」
カメリアは長い髪を綺麗に編み込んで、とても優雅な風貌になった。近寄りがたいかつての雰囲気は消えてしまったようだ。
彼女は在学中に婚約を果たし、卒業後は悠々自適に暮らしている。というより、王宮に入り浸ってラルを手伝ってくれている。
「カメリアも一緒に就職してくれれば良かったのに」
「嫌よ。貴方を中心にして、醜い嫉妬心がぶつかり合っている様なんて見たくないわ。巻き込まれない位置から安全に眺めさせてもらうからいいの」
どういう意味、と口を開こうとしたが、
「どうせ貴方には分からないからいいわ」
と制されてしまった。
今日の午後は、リージェンと二人で視察の予定だ。今は空き家と化している、とある屋敷を訪れる。
「ふぅ・・・」
今日はいつもより少し緊張する。
とある屋敷、それは資料によると幼少期のラルが育った場所であるからだ。
「大丈夫?」
隣のリージェンがラルを覗き込む。
リージェンもラルと同様に、国が残した負の遺産ともいえる孤児院の問題を解決するために共に頑張っている。彼の両親が過激派の一派であることに負い目を感じ、ラルに協力すると言ってくれた。
ツーマンセルの仕事はほとんどが彼とで、ラルはなかなか他の同僚と仲良くなれないのが難点だ。ひっそりと上司に組み合わせの変更を申し出たりもしてみたが、「ごめん。それだけはできない約束なんだ」の一点張り。何かに怯えている様子が気にかかり、リージェンに確認しても真相は分からなかった。
***
「ここが・・・」
そんなに大きくはないが、広い庭が素敵な屋敷だ。今は無造作に雑草が生えているが。
「実は、ここでラルと会ったことがあるんだ」
「え?」
「かなり昔だけどね。その後すぐに君は居なくなった。悲しかった。でも、その時にはもう・・・君は記憶を消されていたんだな」
「そうなんだ・・・」
初めて聞く話だ。リージェンは悔しそうに唇を噛んでいる。
「もう、過ぎた話だから気にしないで」
「ありがとう」
空の青空と庭の緑が、景色をより一層美しくしていた。ぼーっと眺めていると、「ラル」と優しく名前を呼ばれる。
「どうしたの」
「ねえ、ずっと君の傍にいてもいい?」
「いいよ。もちろん」
「君が誰かを好きになったとしても、僕は君の一番近くにいてもいい?」
「なにそれ。いいよ」
さぁっと風が吹く。髪が風によって巻き上げられ、思わず目を瞑る。
と、頬に何かが触れた。
「え」
目を開けると近い所に、からかうようなリージェンの顔があった。
「まだ、口にはしないでおくよ。初めては君が望む人がいいと思うから」
「あの、私、初めてじゃ・・・ない」
「は?」
そうなのだ。望んでいたかは別だか、グレンとキスを済ませてしまっていた。
「え、え、聞いてないけど」
先ほどとは打って変わって怖い顔をしたリージェンがにじみ寄ってくる。初めて彼に追い詰められた時と似た、危ない雰囲気を纏っている。こ、怖い。
その両手はラルの頬をがっしりと掴んで離さない。
「あの、離して。冷静になろ―」
さっきと言ってることが矛盾しているではないか。
ラルの抵抗を物ともせず、彼は自分の望みを強引に果たした。
***
夕刻、ラルの仕事場にやってきた王子と会話をする。気軽に王子と話せる立場ではないのは承知の上だが、彼がやってくるのだから仕方がない。
「今日もお疲れ様。視察はどうだった?」
「色々と疲れました・・・」
「はは、リージェンが何かしたみたいだね」
「なんで分かるんですか・・・」
王子は人の気持ちでも読めるのだろうか。
「えっ、カマをかけただけなんだけど、リージェンも隅に置けないな」
顎に手を当て、ぶつぶつと何か言っているようだ。
あ、そういえば。
「サイファー王子、クレアは『そろそろ暇がもらえるかも』って言ってました!早く皆で集まれるといいですね」
クレアは自分の力で家族を助けるために、王宮には勤めず貿易会社でキャリアを積んでいる。ゆくゆくは王宮を相手にする会社を創設するのが夢だそうだ。彼女は多忙を極め、卒業後会えていない。
「そうだね。皆で集まるのはどこにする?王宮だとラルが攫われたことを思い出しそうで嫌だ」
「もうそんなこと起きませんよ」
あはは、と笑う彼女を見つめてサイファー王子はほほ笑んだ。
***
日が沈んだ頃、夜食を食べようと厨房に向かった。その道すがら、少し背の高くなった彼に出会う。
「お、ラル飯か?」
「うん。いっしょにどう?」
「あぁ喜んで」
一回り大きくなったグレンは、王宮の兵士として勤めている。[使役者]と[使徒]という用語が廃止されつつある今、彼は純粋に肉体強化の鍛錬を積んで頑張っている。
「今日、お前の育った場所に行ったんだろ?どうだった」
「何も思い出さなかった。・・・けど、不思議と懐かしかった気もする」
「リージェンは?」
「あはは。皆、リージェン気にするね」
「・・・何かあったんだな?」
ぎくりとした。いつもはしない、はぐらかし行為が裏目に出てしまった。
「まぁ、ちょっと口づけをもらった、かな、ってくらい・・・」
「・・・」
「ねぇ、黙らないでよ」
「・・・俺が初めてだよな?」
改めて言われると、当時を思い出してこっぱずかしくなる。少し頬を染めたラルの姿に気をよくした彼が憎たらしい。
「ならいいんだ。・・・待て、ラル。最近言ってなかったけど、俺がお前の事好きだって分かってるよな?」
「う、ん。一応」
「じゃあいいや。それ、ずっと覚えとけよ。俺は何があっても、お前のことが好きだからな」
「ありがとう」
たとえ、一方的な恋に終わったとしてもグレンはラルの一番の味方であり続けようと思った。たとえ、ラルが他の男に恋をしたとしても想い続ける覚悟はできている。
ラルが王宮のパーティーで、未だにグレンが選んだドレスを着ているのを見てほくそ笑んでいるのは彼女には秘密だ。
***
「まだ、仕事が残ってる・・・」
大量の資料を前に項垂れる。夕食を食べて眠いが、この資料を片付けるまでは眠れない。
「はぁ・・・寒い」
王宮の仕事は楽しいし、旧友とも会えるから辛くはない。が、ラルとギンにしか処理できない資料がまだ王宮には残されていた。
肌寒さに震える彼女にそっとブランケットが被された。
「お疲れ」
「ギンー!助けて・・・」
彼がここに来たということは、十中八九手伝ってくれるのだ。毎度毎度悪いが、いつもタイミング良く来る彼に頼ってしまう。ギンもラルとリージェンと同じ部署で働いている。[最高使徒]の生家を回るラルとリージェンと違って、彼は方々の孤児院を見て回ることが多く、共に行動することは少ない。
「今日は自分でやれよ」
「お願い!明日の朝奢るから!」
「・・・二人で朝食か?」
「二人で!」
「分かったよ」
ギンはちょっとニヤニヤしながら、資料を手に取る。
「ギンってあんまり集団で行動したがらないよねぇ」
「そうか?」
「いつだっけ、前に私と二人でご飯食べたいって言ってくれた時があったよね。その時も皆が来るのをなんか嫌がってた気がする」
一匹狼風の彼は群れることが苦手なのだろうか。一人を好むクールなギンは、話しかけられることが少なそうだから仕方ないのかもしれない。
「ま、いつでも私を誘ってよ」
と笑って資料に目を戻すと、ブランケット越しに誰かに包まれている感触がした。
「少し、そのままで居てくれ」
懇願するような彼の響きに、身を固くする。振り向きたいが、そうはいかないようだ。
「ラル・・・」
「どうしたの」
「・・きだ」
「え?」
「いや、何でもない。よし、片付けるぞ」
何を呟いたのか聞きたいが、彼は資料に集中してしまった。
「・・・今度聞こう」
今はこれを片付けることに専念しないと、徹夜になってしまう。
***
その後もラル達はそれぞれの務めを果たすために、励み続けた。
全ての[使徒]は解放され、彼らが契約関係に結ばれることはもう無い。
ラルの脚はもう誰かと繋がることは無くなってしまった。
しかし、絆は目に見えない所で続いている。
それは、今も。
【使役者】に振り回される【使徒】の少女は、己の出自を恨む Neko @neko__22
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