第9話 融解

気付いたら、グレンの手を引っ張っていた。

先ほど私が触れた壁が罠のスイッチだったんだ。運が悪い。

グレンの周囲が崩れてゆく様子を見て、助けずにはいられなかった。


「・・・あーあ」


かろうじて、穴の端に左手をかけたが、右手が・・・あがらない。

片手で支えられる時間なんて限られている。足場もない。

ちょっと、無理かもなぁ。左手も震えてきた。



「っおい!!!!」

大声に意識が戻される。


そこには、こちらに手を伸ばしてくるグレンの姿があった。


「おい、掴まれ!」


私も頑張って右手を伸ばすが、火傷がひどく痛む。

左手ももう限界だ。


「ご、めん。手があがらない」


諦めかけた、その時、


[俺の手を掴め!]


グレンの声がダイレクトに響く。

どくん、と心臓が動いた。左脚から光を感じる。


気付いたら、私の右手をしっかりと掴む必死なグレンの姿が目の前にあった。



「いっっったぁー」


無理やり動かされた火傷を負った右腕と、拳骨を食らった頭が痛い。

どちらかというと、頭の方が痛む。


「お前、馬鹿にもほどがあるだろ下民!」


わなわなと手を震わせながら、グレンが怒る。


「俺なんか、助けようとするなよ」

「さっき手を掴んだ時さ、グレンの記憶と感情が一気に入ってきたんだけど・・・」

「は!?」

「グレンってさ、寂しがり?」


この人は、多分、根は優しい。リージェンへの感謝と劣等感に板挟みになって、自分を卑下するしかなかったのだ。だって、養子になったから役に立たなきゃ駄目だ、なんて普通思わない。


それに、両親の死を悲しむ間もなく、彼はずっと孤独だった。


「大丈夫。グレンにはリージェンがいるよ。味方が一人いれば、それでいいじゃない」

「・・・お前は味方じゃないのか」

「え」


うーん、と頭を掻きながら考える。


「そりゃあ、暴言吐かれたし、なにより下民呼ばわりされるしなぁ」

「それは・・・すまん。あと、突き飛ばしたのも」

「あはは、いいよ。じゃあ、下民じゃなくてラルって呼んで」

「ああ、ラル」

そう言って恥ずかしそうに笑うグレンに、私も笑い返す。


しかし、私がほほ笑んだ途端、彼はばっと顔を背けてしまった。もはや彼の後頭部に生える茶髪しか見えない。



水晶が淡く光っている。担任から戻るように連絡が入っていたので、一緒に戻った。

もう私が話しかけても、グレンは無視してこない。



授業が終わり、救護室で治療を受ける。さすが、治癒魔法に長けた先生はあっという間に私の腕を綺麗に直してくれた。・・・あと、頭のたんこぶも。


「改めて、すまなかったな」


律儀に救護室まで付き添ってくれたグレンが頭を下げる。


「もういいってば!あ、じゃあ今度何かおごってよ。それでチャラにしよ」

「・・・じゃあ、今度の休日空けとけ」

「え、いい。ジュースとかそんなんでいいよ」

「うるせぇ空けとけ」


やっぱりグレンは優しくないかも。



―救護室を出ると、西日が眩しかった。そよ風がさぁさぁと木を揺らす。


「明日もよろしくね。グレン」


ばいばい、と手を振るラルが逆光で見えない。おそらく笑顔でこちらを見ているのだろう。

「おぅ」

お前と会えて良かった・・・なんて素直に言おうかと思ったが、やめた。


ラルと別れて、一人思案する。

あいつが言っていたように、手を繋いだ瞬間に相手の記憶や感情が流れ込んできた。


・・・しかし妙だ。俺が知っているのは、大きくなったラルが孤児院の仲間と遊んでいる風景のみ。楽しい、という感情だけが伝わってきた。幸福な孤児院時代だったのだろう。

だが、初めから孤児だったのか、俺のように両親を亡くしたのかは不明だ。


おそらくあいつは、幼少期の記憶が、無い。

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