10.白銀の夜明け団

ルイシュが「すべて話す」と約束してくれたことが、アマリアにはとてつもなく嬉しかった。とはいえ、明かされるであろう真実に対する恐怖がなくなったわけではない。身体から緊張を追い出そうと、大きく深呼吸した。


「お嬢様、大丈夫ですか?」


やれやれと言いたげな口調で王宮の女官がアマリアへ声をかけた。アマリアが力なく頷くと、彼女は「ダンスホールはこちらですよ」と足早に歩き出した。


舞踏会はすでに始まっているようで、どこからか雅やかな音楽が漏れ聞こえてきていた。女官の導きでいくつかの通路を進み、何度か角を曲がるうちに、アマリアは違和感を覚え始めた。


「あの、道、違いませんか? さっきから音楽が遠ざかっているような気がするんですけど」


言いながら、アマリアは夜会服ボールガウンの裾を持ち上げ、いつでも走って逃げられるよう準備していた。辺りに人の気配はなく、通路は木々が生い茂る広い庭に面している。


荒事の少なくない下町で暮らす独り身の女として、アマリアはそれなりの警戒心を持って生きている。女官の目的は分からないが、何かあれば全力で庭へ向かって走ろうと決めていた。逃げ惑っていれば、どこかで王宮護衛隊の兵士に助けてもらえるだろう。


「ご心配なく。ここをぐるっと回らないとダンスホールには行けないんですよ」


肩越しに振り返り、女官は堅い口調で応じた。その真偽を見定めようとアマリアが彼女の顔を見つめた時だった。通路の角から、ふたつの人影が現れた。


「やあ、香薬師さん」


現れたのは王宮護衛隊の制服を着た、ふたりの青年だった。アマリアは一瞬だけホッとし、彼らの顔を見るなり床を蹴って走り出していた。


「おやおや、人の顔を見て逃げるなんて失礼極まりないなあ。孤児院では礼儀を教わらなかったのかな?」


庭へ飛び出したところをあっという間に捕らえられ、アマリアは自分の両手を拘束した男を真正面から睨め上げた。その優男風の顔は見覚えがあった。


「放してください」


「つれないな。エウゼビオと婚約したんでしょう? ということは、あなたと我々は姉と弟。家族じゃありませんか。仲良くしましょうよ」


優男はヘラヘラと微笑む。その後ろでは、もうひとりの男が侍女へ金を手渡していた。顔色の青白い陰気な男だ。


優男も陰気男もエウゼビオの弟だ。エウゼビオの養父と前妻との間に生まれた息子たちで、どちらも王宮護衛隊に所属している。王宮の女官を手篭てごめにしたり、隊の備品をくすねて転売したり、勤務中に飲酒して酩酊したり、どうしようもないチンピラ兄弟だという噂は市井でも有名だった。マガリャンイス伯爵が息子たちに厳罰を与えず甘やかしていることが元凶だと町の人々は口をそろえる。


とはいえ、エウゼビオが伯爵家に迎えられ、王宮護衛隊へ入隊できたのは彼らのおかげだった。王宮護衛隊の隊長職は世襲制だ。救いようのない兄弟を目の当たりにした関係者が「エウゼビオを養子にして後継者にすべきだ」と騒ぎ立てたのは自然なことで、かつて10歳のエウゼビオを孤児院送りにしたフランシスカさえ、その時は異を唱えなかった。


「私はエウゼビオさんと婚約してません。あなたたちとは姉弟きょうだいでも何でもありません」


「エウゼビオのやつ、こんな下賎な小娘に振られたのか」


陰気男が意地悪く笑うと、優男も同調した。


「いい気味だ。でもよかった、マガリャンイス家が卑しい孤児たちに乗っ取られたらご先祖様に申し訳が立ちませんからね」


「俺たちに何をされたか、後でエウゼビオに教えてやれよ。あいつ、どんな顔するかな?」


陰気男がにたにたと笑い、優男がアマリアを肩に担ぎ上げる。辺りには夜の帳が下り始め、はるか遠くにダンスホールの音楽が聞こえるばかりで人の気配はない。


「降ろしてください。こんなくだらない嫌がらせをしたところでエウさんは何とも思いませんし、伯爵家の家督だって、あなたたちのものにはなりませんよ」


挑発的な説教を垂れながら、アマリアは優男の肩の上で夜会服ボールガウンの脇からスカートの中へ手を差し入れた。そこに革製のポケットを装着していて、香薬を焚く携帯用の道具を収納しているのだ。手探りで着火具をつかみ、優男の制服の上着に火をつけようとした時だった。


「噂に違わぬクズ兄弟ね」


すぐ近くで、涼やかな女の声がした。優男に担がれたアマリアにはその姿は見えなかった。


「誰だ、貴様は?」


陰気男が女に尋ねた。次の瞬間、彼は地面に倒れ込んでいた。優男はそれを見てアマリアを足元へ放り出し、慌てふためいた様子で腰の剣を抜いた。


「お、おい、今、何をした?」


アマリアは地面から起き上がり、薄闇の中に立つ女を見上げた。男物の礼服を着ていて、ゲルマン系の白い美貌が月光に照らされている。オリオンだ。


「そのまま、そこに伏せていて。踏まれないようにね」


オリオンは若干たどたどしいポルトゥカーレ語で言うと、地面に倒れている陰気男の首根っこをつかみ、片腕でそれを投げ飛ばした。陰気男の身体は夜陰に弧を描き、近くの庭木の枝へ引っかかった。


「わ、私たちの父親は王宮護衛隊隊長のマガリャンイス伯爵だぞ! それに、私たちの兄はジュネーヴの白銀の夜明け団へ推薦された黒豹のエウゼビオだ! 異国人だからと言って容赦はしないからな!」


優男はわめき、剣先をオリオンに向ける。騒ぎを聞きつけたのか、兄弟の取り巻きらしき5人の兵士たちがどこからか集まってきて、王宮護衛隊隊長の令息を守るようにオリオンへ立ちはだかった。


「父親や兄の肩書きや功績を並べて、手下を矢面に立たせて、よくもまあ堂々としていられるわね」


女傭兵はおかしそうに笑った。武器は王宮の入口で預けなければならない。オリオンは丸腰のはずだ。しかし彼女はどこ吹く風だった。


「それに、私はその白銀の夜明け団の永世団員よ」


オリオンは左手の小指にはめた銀の指輪を兵士たちへ見せた。印章入りの指輪だ。盾の中にみっつの峰と牡鹿が描かれた紋章には見覚えがあった。エウゼビオが孤児院の壁にラクガキした、あの紋章だ。


「は、白銀の夜明け団は女人禁制のはずだ!」


「いつの時代の話? 私が入団した時には女の団員が何人かいたわよ」


オリオンは特別に気負うでも身構えるでもなく突然に動いた。長い両腕と片脚が鞭のように翻ると、王族を守る任務を負った5人の兵士たちが30秒後には意識を手放して大地に身を委ねていた。


優男は目を白黒させつつ、よろよろと後退し、芝生に尻もちをついて両手を上げた。


「ま、待て、降参する」


「待たない」


オリオンは優男の顔面に蹴りを入れた。マガリャンイス伯爵家の令息は赤い血と白い歯をまき散らし、ばたりと芝生へ仰向けになる。


アマリアは伸びている男たちへ恐る恐る近づき、全員に息があることを確認した。鼻血を流し、裂傷やアザを作り、脱臼し、骨折し、白目を剥いて失神しているが、命に別状はなさそうだった。


「ちょっと殴っただけだから、放っておけば目覚めるわ。蚊にたくさん刺されるでしょうけど、死にはしないわよ」


ちょっと殴っただけ、とは思えない惨状だったが、アマリアは男たちに同情しないことにした。


「助けてくださって、ありがとうございました」


アマリアが感謝を伝えると、オリオンは首を傾げた。


「こんなところで、どうしたの? あなたのこと探してたのよ」


「すみません」


アマリアは詫び、女官に騙されて連れてこられたことを説明した。女傭兵は納得したように頷き、アマリアの夜会服ボールガウンについた草や土を手で払ってくれた。


「そう。私がたまたま通りかかって、よかったわ。ダンスホールへ案内してあげる。それから、“王の庭”にいるコスタ大臣にも事情を伝えてあげるわね」


「ありがとうございます」


アマリアは安堵し、歩き出したオリオンの隣に並ぶ。長身の女傭兵の整った横顔や、後頭部でまとめた風になびく黒髪は神々しいほど美しかった。辺りはすっかり暗くなっていて、通路の前方では松明を持った兵士が壁の照明へ順番に火を灯していた。


「あの、女教皇様や教皇庁をお守りする白銀の夜明け団の方が、どうしてポルトにいらっしゃるんですか?」


アマリアは憧憬の眼差しをオリオンへ向けた。エウゼビオが幼い頃から憧れていた欧州最強の傭兵団で、まさかこんな若い女性が活躍しているなんて。


「教皇庁の要人の巡礼旅に同行してるの。その方と一緒に、旅の途中でエウゼビオを迎えに寄ったのよ」


オリオンの説明を聞いて、アマリアはなるほどと思った。エウゼビオが明朝、急に旅立つのは、教皇庁の要人とやらの旅程の都合というわけだ。


「私、エウゼビオさんとは子供の頃から友達なんです。彼のこと、よろしくお願いします。彼の方が年上なのに、こんなことお願いするのは変かもしれませんけど」


ジュネーヴでエウゼビオがいじめられるのではないかと心配していたアマリアは、面倒見のよさそうなオリオンにそう懇願した。女傭兵はぽかんとした顔で何度か瞬きした。


「エウゼビオが年上? 私が26歳以下に見えてるってこと? あなたって、なんていい子なの! そうね、私のことは25歳だと思ってくれていいわ」


感激しているオリオンの表情を見るに、どうやらサバを読んでいる。女性らしい外見、男物の服、肉弾戦の驚異的な強さ、悪党への非情さ、アマリアへ向ける気さくさ、年齢詐称、何だか色々とちぐはぐな人だ。


アマリアはオリオンへ興味と好感を抱き、ふと思い出した。そういえば、今朝、彼女は香薬師協会本部の会議室にいた。アルメイダと彼女に、どんなつながりがあるのだろう。アマリアが疑問を言葉にするより先にオリオンが口を開いた。


「あなたはいい子だから、教えてあげる」


松明を持った兵士とすれ違いながら、オリオンはばつの悪そうな顔をしていた。アマリアを見下ろす青灰色の瞳には憐れみが滲んでいる。


「もう少し、人を疑ったほうがいい」


さっき侍女に騙されたことへの苦言だろうか。アマリアがそう思った時だった。オリオンの右手が動くのが視界の端に見え、次の瞬間には意識が遠のいていた。

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