4.正義に酔う

揺れる馬車の中で、アマリアはアルメイダから聞いた話をルイシュへ伝えた。自分の言葉で説明するうちに、不思議なほど気持ちの整理がついて、今やすっかり、アルメイダの養子になって彼の遺産を相続するつもりになっていた。ところが、ルイシュはそれを鼻で笑った。


「そんなうまい話、あるわけないだろ。本気にするな。あんなクソジジイが、おまえの父親なものか」


薄笑いを顔に浮かべ、ルイシュは窓枠に頬杖をついた。車窓の景色は築数百年の集合住宅アパルトメントがひしめき合う庶民的な街並みへと変化している。この辺りの道は未舗装で、雨が降ると馬車の車輪は簡単にぬかるみにはまる。


「しかし、あいつ、いったい何を企んでそんな与太話をしたんだろうな?」


にわかに表情を引き締め、ルイシュは深刻そうに考え込む。彼が口を閉じた隙に、アマリアは食い下がった。


「会長は私の背中のアザの形や大きさまでご存知だったんですよ。子供の頃から、ここにあるアザです」


「アザの大きさや形なんて、成長とともに多少は変わるものじゃないか? 赤ん坊の頃におまえを手放したと奴が言っているなら、話がおかしいだろ」


たしかに、現在オリーブ大のアザは、乳児の頃はもっと小さかったかもしれない。それでも、アマリアはアルメイダを父親だと思いたかった。いや、ルイシュが父親でさえなければ、それが誰でも構わない。アルメイダの言葉を信じる理由はそれだけで十分だった。


「じゃあ、会長が私の滞納金を肩代わりしたり、私に遺産を譲る理由は何なんでしょう。奥さんが亡くなっていて、お子さんもいないとは言っても、なかなかリスクの高い告白ですよね。そのリスクを冒して自分が父親だと申し出て下さったわけですから、真っ赤な嘘ということはないと思いますけど」


アマリアはそう言いながら、アルメイダが遺産をくれる理由を自分でも考えてみた。何も思いつかない。短気なルイシュもあっさりと降参した。


「あいつの思惑なんて知るか。だが、何か企んでのことだろう。奥方が亡くなられたのをいいことに、若い娘を屋敷に引っ張り込もう、とかな。俺はそういう気持ち悪いジジイが心底嫌いだ」


吐き捨てるように言って、ルイシュは唇を引き結んだ。彼は少年時代、父親の後妻である継母と折り合いが悪かった。その継母はルイシュとさほど年齢の変わらない少女だったという。彼らの間で何があったのかはアマリアの知るところではないが、親子ほどに年齢の離れた夫婦や恋人同士のことを、ルイシュはひどく嫌悪している。


「今日の話については俺が断りの連絡を入れておくから、あいつとはもう会うな」


「……はい」


アマリアはキャビンの壁にぐったりと身体をもたれる。儚い希望を打ち砕かれ、「やっぱり、私の父親はルイシュさんなのかな」とくよくよと落ち込む。それを見てルイシュは愉快そうに笑った。


「ジジイの遺産は惜しいだろうが、そんなにがっかりするな」


ルイシュの見当はずれの慰めは、アマリアをさらに落ち込ませた。彼はアマリアを大切にしてくれているが、彼の態度を見る限り、アマリアのことは娘か姪か、はたまた息子か甥のようにしか思っていない。


もしも彼が父親でなかったとしても、年齢差のある夫婦や恋人同士を軽蔑している彼が、14歳も年下のアマリアを恋愛対象にすることはないだろう。それに、なんといっても身分差は大きな障害だ。


「遺産のことでがっかりしてるんじゃありません」


「じゃあ、滞納してる9000エスクードのことか? 安心しろ、それは俺が支払い済みだ」


ルイシュに督促状が届いたと聞いた時からそうではないかと思ってはいたが、改めて、恥ずかしさや情けなさがアマリアの胸を満たす。自分の人生の何もかもが上手くいっていないように思え、泣きたい気分だった。アマリアは気まずい思いで後見人の顔を見た。彼は小さな子供を見守る父親のような、ひどく優しい目をしていた。


「……すみませんでした」


いたたまれない思いで謝罪の言葉を述べるアマリアに、ルイシュは太くて長い釘を刺した。


「今後は、協会への支払いが遅れる時は俺に知らせること。それから、すべての患者からきちんと治療費を受け取ること」


これまで、アマリアは後見人からの指示には概ね従ってきた。だが、今回ばかりは承服できなかった。


「私が香薬師になった3年前と比べて、今の治療費は5倍です。貧しい身で病や怪我に苦しむ人々から高額の治療費を巻き上げるなんてこと、私にはできません。それもこれも、“香薬の種”の価格が上がっているせいです」


香薬の種とは、香薬で治療を行なう際に必要な消耗品で、王宮で日々、生成されている。その無色透明の飴玉状の物質を香薬屋へ独占販売しているのが香薬師協会だ。


「以前は、香薬師は何でも気軽に相談できる身近な存在でしたよね? 治療費は昼食代以下でしたし、肌荒れとか二日酔いとか緊急性の低い治療をみんな受けていましたよね? どうして、こんなことになってるんでしょう? 今じゃ、医師にかかる治療費とそう変わりませんよ」


医師による診療も、香薬師による治療も、今や人並みの収入がある者だけの贅沢となった。病も怪我も万人の身に降りかかるものなのに、どうして富と治療は不平等なのだろう。


「アマリア、その話は俺以外にはするな」


ルイシュは困ったように顔をしかめ、やや声を潜めた。


「おまえの不満はもっともだが、それを口にするのは危険だ」


香薬の種の生成量を決めているのは王宮で、王宮は売上の全額を香薬師協会から受け取っている。それを「国王は病人や怪我人から大金を巻き上げている」と批判した香薬師が国外追放になったのは半年前のことだ。


「分かってます。私、そこまで馬鹿じゃありません」


「本当に分かっているなら構わないんだが、人間ってやつは、我こそは正義だと確信した瞬間に判断を誤る生き物だからな」


疑り深い目でアマリアを見下ろし、ルイシュは窓の外へ視線を転じた。交通渋滞で馬車がスピードを落とした途端、道ゆく人々がルイシュに気がつき、「コスタ大臣、遺跡発掘、がんばってくださいね!」「学者先生に負けないで!」と激励の言葉を次々とかけてきたのだ。


「どいつもこいつも」


不服そうにボヤきながら、ルイシュは人々に手を振った。ポルトゥカーレには12の行政組織があり、ルイシュはそのうちの国土保安開発省の大臣だ。国境警備、治安維持、都市整備を任されている。


「遺跡の件、私も新聞で読みました」


アマリアは笑いを堪えつつ、おずおずと言った。


「ルイシュさんが大勢の失業者を雇って、例の王墓の発掘をさせて、壁の一部を壊してしまって、コインブラ大学の博士から大目玉を食ったんですよね?」


国土保安開発省はポルト市を拡張すべく、市壁の外の丘へ新しい街を作ろうとしている。ポルトは新大陸から奪った富を元手に、急速に街が発展したため、人口が爆発的に増え続けていて、人々は家賃の高い狭い家に住み、人口過密による疫病蔓延のリスクにさらされているのだ。


それを解決すべく立ち上がった新市街地建設計画にルイシュは日々奔走していたのだが、先月、激務に苦しむ彼にトドメを刺すようなことが起こった。整地を進めていた丘に、遺跡が見つかってしまった。つい3週間前のことだ。


大昔の土砂崩れにより土の下で眠っていた遺跡は紀元前4世紀のもので、ナポリ近郊で発掘が進められているポンペイ遺跡よりも数百年は古いという。これまでの発掘調査によれば、この辺りを治めていた古代都市国家の王の墓だと考えられている。


ルイシュはコインブラ大学から歴史学者を呼び寄せて発掘作業に当たらせたが、彼らは2400年前の王の墓を実に丁寧に発掘した。


さっさと発掘を終えて整地を進めたいルイシュは業を煮やし、街の失業者を50人ほど集めて作業を手伝わせた。学者たちは「ろくな訓練を積んでいない素人が繊細な発掘作業をこなせるはずがない」と猛反発したものの、短気で強引なルイシュはそれを強行した。


新聞記事によれば、事は昨日の早朝に起こった。失業者のひとりが作業中に手を滑らせ、王墓の壁の一部を破壊したのだ。その壁には見事な壁画が遺っていたため、学者たちは「それ見たことか」とこぞってルイシュを糾弾し、コインブラ大学の学長までもがポルトへ飛んで来て、ルイシュに苦言を呈したらしい。


「……おまえ、よく新聞読んでるな」


苦虫を噛み潰したような表情でルイシュがアマリアを睨む。


「今日の“ソル・ド・ポルト”の一面でしたから、ルイシュさんが学者の先生たちからコテンパンにやっつけられたことは、ポルト中の人が知ってます。あんまり過激なことしないで下さいね。あ、その記事、ルイシュさんは読まない方がいいです」


記事にはエンリケ・クラヴェイロ・ロペスという歴史学者が「コスタ大臣は“短期間出世、短気、短足の三短”と呼ばれているそうだが、私は彼を“四短よんたん”と呼ぶべきだと思う。“短慮”を加えるのだ」と辛辣なコメントをしたとも書いてあった。短気な本人がそれを読めば、発言者とつかみ合いの喧嘩になるかもしれない。


アマリアの心配をよそに、ルイシュはフンと鼻を鳴らした。


「1日でも早く新市街地を建設するのが俺の仕事だ」


「でも、遺跡は大切にしないと。古代の人々が崇めていた王様のお墓ですから」


「死んだ人間の墓より、生きている人間がこれから暮らす町の方が重要だ。あの丘の整地が済めば、新市街地の目玉となる国営の大規模集合住宅の建設が始められる。そうなれば新たな雇用が生まれるし、完成すればそこへ数千人が安く居住できる。遺跡にそれ以上の価値はない」


ルイシュは乱暴に言い捨て、再び窓の外を睨む。馬車が交差点を右折すると、コンスタンサ通りという道に出た。まだ新しい石畳で整然と舗装された美しい通りだ。


「なるほど」


アマリアはそう言って後見人の目つきの悪い顔をじっくりと見つめた。意地悪なことを思いついてしまったのだ。


「何が、なるほどなんだ?」


視線に気がつき、ルイシュはじろりとアマリアを見た。生意気だと自覚しつつ、アマリアは遠慮なく答えた。


「人間って、我こそは正義だと確信した瞬間に判断を誤る生き物なんだなあ、って」


ルイシュが舌打ちした時、馬車が減速を始めた。アマリアの香薬屋に到着したのだ。

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