2.後見人が来た

「アルメイダ会長、遅くなり申し訳ございません」


4階建の香薬師協会本部の会議室は地上階にあり、窓は中央広場に面している。その声が聞こえてきたのは窓辺に立つ女傭兵の背後からだった。窓には鉄格子がはまっていて、彼女の構えた短銃の銃口は、そのむこうで踏ん反り返る壮年の男の不機嫌そうな顔へ向けられていた。


「遅れた私が悪いのは当然ですが、どんなお話だろうと、こいつの後見人である私を抜きに進めていただくのは困ります」


約束の時間の20分後に現れた男は慇懃無礼な調子で言った。アマリアは床から立ち上がりつつ、ドレスについた薬草の染みをさりげなく手で覆って隠す。


「ルイシュさん!」


「アマリア、すまん、遅れた」


美貌の女傭兵に短銃を突きつけられたまま、アマリアの後見人であるルイシュは平然と言った。不愛想な顔は37歳という年齢より少しだけ若く見える。中肉中背の身体にまとう白いシャツも、深緑色のウェストコートやズボンも、アルメイダのものより質素で地味だった。首の後ろでまとめた髪も、上流階級で流行しているウィッグではなく茶褐色の地毛だ。


「そろそろ銃を下ろせ。俺は正真正銘、あいつの後見人だ」


ルイシュは女傭兵を睨んだ。眼差しだけで人を殺せそうなほど目つきが悪いことをおそらく本人は知らない。涼しい顔でルイシュへ銃口を向け続ける女傭兵を諫めたのはアルメイダだった。


「オリオン、銃を下ろしなさい。彼は国土保安開発省大臣のルイシュ・ダ・コスタ王宮伯だ」


ギリシャ神話の狩人の名で呼ばれた女傭兵は短銃を腰のベルトへ収め、無言で冷笑した。闖入者にしては大層な肩書きだとでも言いたげな挑発的な笑みだった。ルイシュはそれを目に留めたものの、特に気にする様子はなかった。


「コスタ君、君抜きで話を始めてしまって悪かった。だが、君もな、人を訪ねる時は玄関から来たまえ。遅刻については、昔から何度注意しても直らないから言わないがね」


ルイシュが窓から訪ねてきた理由は、アマリアには何となく分かった。エントランスへ回り、受付を経由し、この部屋へ案内されるまでの5分間が、短気な彼には惜しいのだ。


「説教はいい。何を話してたのかって聞いてんだ。さては、ジジイ、てめえ、まだ懲りてないな? 未成年の女を捕まえて、こんな密室で、こんな用心棒まで立たせて……」


やけに殺気だったルイシュに違和感を覚えつつ、アマリアは慌てた。本当にアルメイダが実の父親で、アマリアが彼の養子になるとしたら、アルメイダとルイシュの関係は良好であってほしい。たとえばアルメイダから「ルイシュには二度と会わないように」などと言われたら、アマリアの生きる望みは半減してしまう。


「ルイシュさん、後で私から説明します。会長、今日のお話、とても嬉しいです。ルイシュさんと相談して、後日お返事させていただきます」


慌てて話を切り上げようとするアマリアに、アルメイダは懐中時計を見ながら同調した。どこかホッとしているようにも見えた。


「ああ、そうだな、そうしてくれ。いい返事を待ってるよ」


老人は柔らかく笑い、会議室のドアを開けてアマリアへ退室を促す。アマリアは彼に微笑み返し、両膝を軽く折り曲げてお辞儀をした。すると、背中へルイシュの低い声が飛んできた。


「おい、アマリア、いい子ぶるなよ。香薬師はみんな2日に1回は協会や会長の悪口を言ってるぞ。おまえもそうだろ?」


「私は言ってないです!」


本当は言っている。


「では、会長、失礼します」


アマリアはいたたまれない思いでもう一度お辞儀し、逃げるように退室すると、真っ直ぐにエントランスへ向かった。途中の廊下でガラスの花瓶を見つけ、数秒だけ立ち止まって身だしなみを確認した。花瓶に映る自分の姿は思っていたより貧相で、アマリアは落胆しつつ先を急いだ。


建物の外に出ると、ポルト市の中央広場には夏の陽射しが降り注ぎ、大西洋からの強い風が吹いていた。イベリア半島の端に位置する小国ポルトゥカーレの、首都ポルト随一の広場には、市庁舎や大聖堂、商館などが立ち並び、賑やかな朝市が立っている。


ルイシュはエントランスの階段の下でアマリアを待っていた。アマリアが階段を駆け下りると、彼は目を細めてアマリアの頭を撫でた。


「よし、元気そうだな」


アマリアは12歳の頃からずっと、ルイシュが自分の父親なのではないかと思っていた。ただ、もしそうだとすると、アマリアはルイシュが14歳の時の子供ということになる。ルイシュと初めて会った日から3年ほど経過しているが、彼の名誉のために、真実を問い詰めたことはなかった。


「おかげさまで、私はいつでも元気です。ルイシュさん、会長にあんな失礼なこと言っちゃダメですよ」


そう言うアマリアも、大恩ある後見人であり、王宮伯であるルイシュに対して適切な作法で接している自信はない。だが、ルイシュが全く気にしていないことを知っているので、つい甘えてしまっている。


「あのジジイには大きな貸しがあるから大丈夫だ。店まで送ってやるから来い」


ルイシュは広場の片隅に留めた自分の馬車へ足を向けた。彼が貴族らしからぬ言葉遣いをするのは、継母との折り合いが悪く12歳の時に家出し、口の悪い香薬師の元へ転がり込んで香薬学を学んだためだという。彼はもともとは子爵家の四男として生まれ、国土保安開発省で出世し、爵位を与えられ王宮伯となった。


「お忙しいところ、来てくださってありがとうございました」


アマリアはルイシュを追いかけつつ、彼の横顔を見上げた。多忙なルイシュに会う機会は少ない。週に一度、アマリアの店を訪れた彼へ滋養強壮効果のある香薬を焚いてあげる時だけだ。そのほんの10分間を、アマリアはいつも心から待ち遠しく思い、彼が訪れる日を指折り数えている。


「遅れて悪かった。ちょっと、いろいろあってな」


そういえば国土保安開発省でトラブルが起きていると、アマリアは今朝の新聞で読んだばかりだった。ルイシュは茶褐色の瞳でアマリアをじっと見下ろし、それからあさっての方へ視線を転じた。


「で、あのジジイと何を話した?」


「びっくりするようなお話です」


もったいぶって応じたアマリアの声は軽やかに弾んだ。うっかり「ルイシュさんが私の父親ではないと分かって、とっても嬉しいんです」と言ってしまいそうだ。それに、ルイシュと並んで街を歩くのは久しぶりだった。


「もしかして、滞納していた9000エスクードのことか?」


「え、な、何で、9000エスクードのこと、ご存知なんですか?」


アマリアは背中に汗をかき、しどろもどろに問いつつ後見人の横顔を見上げた。協会への支払いを滞らせていることは、彼には秘密にしていた。


「おまえ、自分が未成年だってこと忘れるなよ。おまえが何かやらかせば、責任を負うのは俺だ。先月、協会の事務室から俺のところへ督促状が届いた。――おい、コエントラン、出発するぞ」


馬車へ寄りかかっていた従者の青年に声をかけ、ルイシュは赤面しているアマリアの背中を押した。青年は屋根つきのキャビンのドアを開け、アマリアへ手を差し出す。アマリアは彼の手を借りて馬車へ乗り込み、後見人もその向かいへ腰を下ろす。まもなく二頭立ての馬車は走り出した。


揺れるキャビンの中でアマリアはルイシュの顔色をうかがった。どうやら彼は怒ってはいない。窓から半分ほど顔を出し、「今日も暑くなりそうだな」と言いつつ無数のカモメの舞う青空を見上げている。


時々、通りすがりの市民がルイシュに気が付いて、「やあ、コスタ大臣」などと言いながらにこやかに手を振ってきた。ある理由によって、街の人々の間で彼は有名人なのだ。若くして大臣となり、気が短く、やや胴長なルイシュを“短期間出世、短気、短足の三短の男”と呼んで慕っている人は多い。


「ルイシュさん、あの、すみませんでした」


アマリアはおずおずと切り出した。


「支払いを滞らせていることも、ルイシュさんに恥をかかせてしまったことも、申し訳なく思っています。でも、弁解させて下さい」


アマリアとて、理由もなく支払いを滞納していたわけではない。ルイシュには分かってもらいたかった。


「まずは、さっきジジイと何を話していたか聞かせろ。弁解はその後だ」


ルイシュの瞳に暗雲が立ち込める。何かを恐れてでもいるかのような、奇妙なほど不安げな顔をしていた。アマリアはそれを不思議に思いつつ、さっそく口を開いた。

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