5
城の構造を知らない来客が迷わないように出来ているのだ。
と言っても、来客には基本的に侍女がつくので迷うことなどないのだが。
なので、曲がり角で大きな道を選ぶのを繰り返していれば、いずれは謁見の間へと繋がるのだ。
王都の崩壊を招いた最初の
そこには左右の壁と天井がなく、まるで中庭のような有様だった。
部屋の中央奥には、ひときわ豪華で
金箔が丁寧に貼り付けられた、美しくも繊細な細工が砕け散った成れの果て────それはきっと玉座の破片だろう。
その証拠に、その近くに転がっていた原型を留めていない
考えるまでもなく、この豪華な衣を身に
原型をとどめていない、アクアパッツァに入れてぐずぐずになるまで煮込まれたトマトのような死体だった。
その有様からは、大猪の突進の破壊力が
カロルはその死体の傍に座り、地面に転がっていた王冠を自分の頭の上に載せた。
何か一つでもボタンの掛け
やっとそれを手に入れたと言うのに、気分は全く晴れなかった。
それはきっと、憎き王を殺したのが自分ではなく、ぽっと
彼にとっての復讐の対象は、王族という人間であり、
一応の復讐を
餓死は腹が減るのが不愉快だし、自死もそれはそれでなんだか気が進まなかった。
その時ふと、眠れなかったあの夜に見た、天を焦がすような火球が、そしてその後にこの国を襲った巨大な地揺れの正体が気になった。
カロルは
◇◇◇
彼は王城を出ると、廃墟街となった目抜き通りを歩いてみた。
もはや生き残りの居ないその大通りには、人の気配は全くない。
ここも王城と同じく、
だが、人の死体は思ったよりも少なく見える。
もしや、王都の住人たちは逃げ出すのに成功したのだろうか?
……そんな都合が良い話があるわけがない。
魔獣達が逃げるのにだって体力がいるのだ。
ここまでずっと走ってきた。
そしてこれからも走り続けるだろう。
一度始まった『聖者の行進』は終わらない。
その葬列は見るもの全てを逃しはせず、等しく列に加えて進み続ける。
列を成す兵隊が力尽きるその時まで、哀れな子羊を列へ加えながら歩き続けるだろう。
彼らにとって、その道のりでの体力回復と腹の足しになる”人間”は、絶好の補給物資だ。
そんな柔らかな肉の
目の前にそんな新鮮で美味い肉が大量にあったせいか、保存食や水筒などの旅人向けの物資に魔獣は手をつけていないようだった。
よほど美味しいものでもなければ、それらは綺麗なままで残っていたのだ。
軟禁されて育った彼には売買や貨幣経済などと言う概念は当然ない。
目ぼしい物は、特に何の良心の
店主はもうこの世にいないから良いものの、余りにも自然かつ立派な強奪っぷりが堂に入りすぎて、この世界の全ての物が彼のためにあるような気さえする
カロルには旅の準備などというものは良く分からないが、水と食べ物が必要だということだけは分かっていた。
あとは護身用に剣も必要だろう。
ひとまずそれだけを手に入れたら、後は好奇心の
生まれて初めての好奇心を抑える術を、彼は未だ持たない。
今までずっと塔に幽閉されていたせいで、興味を持つ機会すらなかった彼にとって、外の世界というのは”興味”の
それは
人間は、赤子の頃はまともに動けない状態で手足で
そんな段階的な成長で好奇心を
彼の好奇心という猛毒は、その判断を誤らせるには十分過ぎる程には強力だったのだ。
カロルは、人は水と食べ物が無ければ生きていけないという極めて程度の低い常識だけを頼りに荷物をまとめ、
それは普通の人間、ましてや旅の心得もない王族にとっては
本来、森というのは
魔獣の
当然、水と保存食だけという全く持ってお話にならない装備で森に乗り込んだカロルにもまた、死というお約束の結末が待っている。
……はずなのだが、
まず方角だが、これはもう何も考える必要がないほどに分かりやすい。
あれだけの魔獣が
倒れている草と逆向きに進めば、いずれ彼の求めるものに
次に体力だが、彼は魔族の
それが彼に、
その身体能力は、彼に向かってくる僅かに残った魔獣の
護身用にと適当に奪ってきた小剣を叩きつければ、小型の魔物など簡単に殺せてしまうのだから。
そして森を歩くのに不向きな彼の服装についてだが、あまりに多くの魔獣が群れで移動したせいで
本来なら肌を傷つけるような鋭い草や
当然、木も同じように踏み慣らされて地面にめり込んでいる。
森はあれど山はない、高い所でも標高は五十メートルあれば十分と言うこの付近の地理的特徴もまた、彼の旅路を助けている要素のひとつだ。
体力消費が一定で済む平地が、ずっと続くのだから。
それら全てを束ねても、王都から国境、そして隣国を超えて爆心地へという旅路を踏破できたのは、それぞれが小国だから、と言うのが大きい。
〈ウクフ王国〉とは言うが、王都と多少の村を持つだけの、小国だ。
王と言ってもせいぜいが領主に毛が生えた程度のものだったのだ。
その大きさは国というより州か市だったが、地球の
……まぁ、この国は流石にそこまで小さくはないのだが。
彼の驚異的な身体能力と国の小ささがあってこそ、あのような森を
それはきっと、
◇◇◇
かくして少年は、その好奇心の終点へと辿り着いた。
彼の目の前に広がっていた光景は、壮絶の一言に尽きるだろう。
爆心地を中心に、周囲の木々は火災を起こす事なく一瞬で炎上し尽くし炭化。
あるいはその爆風でなぎ倒されていた。
これは山火事のように木から木へと燃え移り、延焼させつつその面積を広げるような、ちまちまとした燃え方ではない。
一瞬で燃え尽きたのだろう。
木から木へと燃え移るためには燃えていない木が必要だが、火球によって全ての木々が一瞬で残らず燃え尽きてしまえば、地面に火種は残りはしても、木が燃え続ける事はないのかも知れない。
爆発の中心部はまるで盆地のように地面が消失していたが、あれから雨は降っていないせいか水は溜まっていなかった。
地面が乱暴に掘り起こされ、一定範囲の木が燃え尽き、外側の木は全て放射状に薙ぎ倒されているのを見て、大自然の起こす圧倒的な破壊に言葉をなくす。
その様子は『ツングースカ大爆発』を
果たしてその大破壊の中心に居たのは、数えきれない星を束ねて優雅に流れ行く”銀の河”を越えて、空の彼方から
夜天を覆い、世界に
◇◇◇
それを一言で表すとすれば……いや、一言で表すのは無理というものだろう。
それどころか百、千、万の言葉を尽くしても不可能だと思えた。
名状し
人が何万年も掛けて
目だ。
赤い、丸い、大量の眼球。
それがまるで収穫したばかりの
眼球というのは視床下部から脳へと神経でつながる、生物にとっては重要な部位のはずだ。
だというのに、それが
目の密集地帯の中心部にあるのは、緑と黄土色の混じったような色をした触手の塊だ。
その触手の至る所にまた目が生えており、口が開いており、毛糸玉のように絡み合いうねうねと
そうして、それらの中央に鎮座しているのが巨大な、丸い、口。
その汚い歯並びの
おそらく、この巨大な目玉が怪物の本体なのだろう。
ここまで必死に言葉を尽くしてみたものの、やはりそれで適切に表現ができたとは言い難い。
一言で済まされる「名状し難い」と言う言葉は、八方手を尽くし、ありとあらゆる努力をした上で、それでもなお不可能だったという、
きっとそれをみた人は、泡を吹いて意識を手放すか、目を抉り出して全ての視覚を拒絶するか、気が狂って自害することだろう。
とにかく人の頭で耐えられる限界をとうに超えたその生物は、見る人と目を合わせるだけで精神を粉砕出来るだけの、腕力でも魔力でもない全く次元の
無理矢理にでも表現しようとすれば────それは邪神だ。
精神を破壊する邪視の集合体だった。
そしてカロルは、これを完全に見てしまったのだ。
きっと、もう手遅れだろう。
彼は好奇心という自らの頭の中で暴れる獣を
ここにさえ来なければ、彼ももう少し長く生きられたかも知れなかったのに。
彼は一歩、前に進む。
抑えきれない好奇心がその鎌首の標的を定める。
その目は、まるでお気に入りの木の枝を見つけた子供のようにきらきらと純粋な輝きに満ちていた。
城にいた時の、濁ったガラス球のような目は、腐った生ごみの成れの果てのような少年は、もうどこにもいなかった。
……
彼はもう、とっくの昔に、どうしようもない所まで狂ってしまっていたのだった。
カロルはそれと目を合わせた瞬間、まるで産まれる前からそれと出逢う運命だったのだと、理性と知性すら超えて本能が知った気がした。
自分の境遇と重ねて親近感を頂き、唯一無二の親友と出会ったような感動に襲われた。
その怪物のそれまでの生の全てを、思考の全てを、絡み合う視線を通して理解した。
────理解出来てしまった。
それが、その怪物の邪視。
それの正体にして、本質だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます