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「へぇ……。どっか攻めて来たのかと思ったけど、
有角種の少年は
────狂っている。
自分の命も危ないこの状況で、他人の死を期待して愉悦に笑みを浮かべる彼は、間違いなく、狂っているのだろう。
彼は
産まれてからずっと、この囚人の収容のための塔の最上階で
だが彼自身は、何か罪を犯した訳でも、ましてや生まれつき危険な力を持っている訳でもなかった。
彼は王族────この国の王族だ。
とはいえ正妻の子ではなく、いわゆる
だがそれだけで軟禁されるかと言えば、いくら治安の悪いこの世界でも少し理由が弱いと言わざるを得ないだろう。
王族といえば一夫一妻の方が少なく、その血を絶やさないために妻も子も多いのが普通だ。
保険の保険に
隠し子だとか都合が悪い血筋だとか、そんな場合は隠されたり、
────生まれ付き角が生えていたのだ。
その
無論、王の代わりにどこぞからやって来た悪魔が
たまたま
これがもっと〈アインガルド帝国〉に近い国であれば、あるいはもっと近代的な国であれば、“隔世遺伝”によって魔族の血が強く出ただけだ、という真実に
だがこの国は女神教を国教としており、地理的には〈神聖アスタリア〉に程近い田舎の小国だった。
────それが、彼にとっての災いだった。
側近たちからは「悪魔の子として処刑すべき」という声が上がった。
だがこの国は前時代的な価値観の国であるが
宮廷の中には、神の与えたもうた
これには宮廷中枢も
幸か不幸か……いや、不幸と言って差し支えないだろうな。
彼の扱いは、表に出す事はできないが殺す事も好ましくないという事となった。
結果的に、表向きは死産と発表した上で、最低限王族らしい生活は出来るが塔からは出る事が許されず、その世話は事情を知るごく限られた者のみで行う、という落とし所に着地したのだった。
遅れた価値観の国であるが故に迫害されたが、遅れた価値観の国であるが故に殺される事はなかった。
その不幸が、少なくとも彼の人格形成に多大なる悪影響を与えたことは想像に
この国の闇に葬られた
それが彼の────〈ウクフ王国〉の不幸を願ってやまない、
◇◇◇
中型の魔獣である
それは、たまたま王都に中型の魔物が向かってこないと言う
固く閉じて
大猪はそのまま王都の
遅かれ早かれ、軍事力が大きく劣るこの国が落ちていたのは間違い無い。
だが、この一瞬で王城までが落ちた原因は、この街の作りにあった。
神授の王威を示すため、この王城と玉座の間は、陽が登る方向へと向けて作られていたのだ。
さらにその天球を進む太陽の航路とちょうど合わせるように街の目抜き通りが作られ、その先に正門があったのだ。
そのような、神威を目に見える形で示そうとした建築は、地球でも様々な国に存在していた。
一例を挙げるとすれば、十字教の
あれは特別な地理的制約がない限りは正面扉が西、
一説では
そして、この国では太陽が”それ”に当たるのだろう。
……けれどそれが滅亡の引き金になるとは、誰もが夢にも思わなかったはずだ。
太陽の通り道として計画して作られたこの一本道が、猪のために用意された、玉座に突っ込むための
あまりにも一瞬の出来事だったので、王族専用の隠し通路に入る隙さえなく、玉座の間は消し飛んだ。
王や側近はその瞬間に亡き者となり、その他の人間も、続いて現れた小型の魔獣たちに喰われてしまったのだ。
王都正門が破られたせいで街には魔獣が流れ込み、それ以外の市壁も、街の中の
こうなってしまえばもう総崩れだ。
人
まるで決壊した堤防から市街に流れ込む
次々と建物がなぎ倒され、生きとし生けるもの全て食い散らかされた。
こうして〈ウクフ王国〉は滅びたのだ。
◇◇◇
「は……はは、あはっ……! あははははははは!! 死んだ! 死んだっ! ははは、ははっ!!」
気の狂ったような
カロルを
あの大猪の一撃できっと消し飛んだだろうと思えば、楽しくて仕方がなかったのだ。
塔の下を見下ろせば、たまに目を合わせればそそくさと目を逸らしていた侍女達が、汚らわしい
人間から
彼にはその様は、まるで
「ざまぁみろ」と言う思いに身を任せて笑い転げていたが、自身の身も危ない事は分かっていた。
だが軟禁されている彼には事前に逃げる事など出来やしなかったし、王族専用の抜け道の存在も知らない。
逃げ場などなく、彼も死ぬしかないのだ。
ならば自分をこんな目に合わせた”糞野郎”共が死ぬ
やがて、”死神”は彼の軟禁された
小型の魔獣が尖塔の入り口を体当たりで破ろうとしているのか、”がんがん”と鈍い音が塔全体に響いた。
初めこそ恐ろしさはあったものの、小型の魔獣ではカロルをこの塔に閉じ込める鉄格子を破れない事に気付けば、それはすぐにもただの雑音に成り下がった。
入り口を破壊できる、あるいは塔ごと突き崩せるような魔獣は、塔には見向きもしない事が分かったからだ。
おそらく、囚人を収監するための塔が王城の中でも最も
いかに魔獣がなりふり構わず逃げ惑っているとは言え、流石に奥まって行き止まりになった崖に突っ込む馬鹿はそう多くはなかったのだ。
逃げているのに行き止まりに向かっては、何の意味もないのだから。
カロルは外の騒ぎを尻目に、幽閉された塔の中で一人悠然と、この盛大な
あれだけ大きな足音を立てて彼の周りを回っていた”死神”は、結局は何も取らずに立ち去っていったのだ。
けれども、それで助かったなどとは思えない。
彼はこの塔に軟禁されていたせいで世間知らずだからだ。
他の人間全てが死に絶えた王都で。
市壁が失われてもはや魔獣を止める術などないこの国で。
彼のような一人で生きていく力を持たない人間が生きていくことなど不可能だ。
そう考えると、やはり遅かれ早かれ彼は死ぬことになるのだろう。
それが餓死なのか、遅れてやってきたはぐれ魔獣に喰われてのことなのかは分からないが。
◇◇◇
カロルは最上階にある、それなりに豪華な監禁部屋から出て塔を降りた。
仮にも王族である彼を不自由させないため、塔自体は一階までいつでも自由に降りることが出来たが、その入り口は頑丈な扉で固く閉じられていた。
彼を閉じ込めるための扉はしかし、その内に人を閉じ込めるための堅牢さでもって魔獣の攻撃に耐え、彼を守るための盾となったのだった。
そもそも魔獣はそもそも逃げるためにこの国に押し寄せたのだから、明らかに
ちょっと小突いて壊れない事に気づけば、諦めて立ち去っていったのだろう。
これが極東の
魔獣達はその恐慌状態がゆえ、見るもの全てに対して普段以上の攻撃性を発揮し、外にいた人間は立ち向かう者も逃げる者も関係なく
しかしカロルは閉じ込められていたからこそ、生き残る事が出来たのだろう。
罪人を閉じ込めるような閉鎖空間に自ら飛び込むような判断をする人間は、この城には一人もいなかった。
故に、生き残りはカロルただ一人だったのだ。
壊れかけた扉を開けるのは容易だった。
片方が外れた
すると
蝶番さえなくなれば簡単なもので、扉は体重をかけた体当たりですぐに押し倒せたのだ。
彼をこれまで閉じ込め続けた扉は、大きな音を立てて倒れていった。
少年は、生まれてはじめて、自由を手に入れた。
カロルが外に出て見ると、まるで
赤い人の血、そして赤や青や緑の魔獣の血。
それらがそこら中に飛び散り、あらゆる物をまだらに染めていた。
魔獣達が去ってから半日は経っているというのに、未だに
もっとも、狂った彼にとってはそれもただ臭いだけで、絶望感や生理的嫌悪感、ストレスで体調を崩すなどという繊細さは、生憎と持ち合わせがなかったが。
カロルは、魔獣に噛み千切られ、踏み砕かれ、貪られ、飛び散った人体の一部を無感動に踏み鳴らして歩いた。
転がっている人間のものらしき筋肉は適度な硬さと柔らかさで、血に濡れて
最近死んだばかりの人間の骨はそう簡単には壊れない。
邪魔だからと雑に踏めば、血塗れているせいか死体の肌と筋肉が”ずるり”とずれて、足を
彼は、通れそうな部分は片っ端から魔獣に
通路の中心に、決死の抵抗にあったのか
だが、邪魔だとばかりにその頭を乗り越えつつ前に進む。
ついでに扱ったことなどないが、護身程度には使えるかもしれないとその剣を
その足元を見れば相打ちになったのかその魔獣に押し潰されて臓物がはみ出し、食べるのに失敗したサンドイッチのようになった兵士の死体が転がっていた。
おそらく、この剣は彼の持ち物だったのだろう。
カロルはそれを”ごみ”か何かを見るように
塔を出たカロルがなぜ王城を歩き回っているのだろうか?
その疑問については、当の本人ですらしっかりとした答えを持ってはいなかった。
だから僕の推測にはなるが、おそらく彼は復讐したかった相手がちゃんと
それを悪趣味だと思わないかと言えば嘘になる。
……が、結局のところ、僕は彼ではないのだ。
彼の気持ちを
ましてや、壊れてしまった彼の心を理解出来る、なんて口が裂けても言えやしない。
そう思うのは、僕がずっと他人からの理解を得られなかったからだろう。
自分だけが味わっている耐え難い苦しみは、どれだけ言葉を尽くしても他人には伝わらない。
他人にどれだけ
それで立ち直れた事がある人は、きっと自分の中で既に悩みや苦しみに対する答えがあって、他人の慰めがそれと一致したことで「ああ、やっぱり」と納得ができただけなのだろう。
そう、僕は勝手に思っている。
彼の人生の中では、それだけの
だから────だから、本当の意味で彼を尊重するのであれば、この生産性のない死体を
人は皆、
その中で、もう生きていけない程の苦しみで自ら死を選んだとしても、心が壊れてそもそも受け止める事を諦めたとしても────たった一度の人生を生きた本人の選択は、何よりも尊く、何を差し置いても尊重されて
生きている者同士であれば、必要最低限、双方の事情を
なぜなら彼らは、どちらも生まれつき平等だからだ。
自由というものは、主観的には無限大の権利を持つように錯覚してしまうが、「自分の自由」と「他人の自由」は、双方の配慮がなければいつだって競合しているのだ。
自分の「言論の自由」は、相手の「不愉快な言動を黙らせる自由」と競合する。
自分の「思想の自由」は、相手の「他人を教導する自由」と競合する。
それはきっとトマス・ホッブズの言う『万人の万人に対する闘争』とも言える状態とよく似ている。
だからこそ人は、国家や共同体という規則でもって、その自由を自律するのだろう。
お互いの”自由”を制限する事で、お互いの”自由”を保証し合うのだ。
無限大の自由を求める、”自由”と”勝手”を履き違えた人間は、人権先進国を
そう思えば、自由という概念は難しいものだ。
けれど、片方が既にこの世に居ないのであれば、他方の自由を
無論、死者を尊重すべきなのは確かだ。
だがそれも、世界や時代によりけりだろう。
この世界は、過酷だ。
苛烈だ。
死者を尊重する暇など、余裕など、ありはしない。
その過酷さを思えば、飽食の現代に生きる恵まれた人間の価値観を押し付けて良いとは、到底思えなかった。
少なくともこの世界では、人間など死ねば”ただの肉塊”なのだ。
一人生き残ったカロルが、その復讐のために王族の死体を
そこにはもう、誰も居ないのだ。
死体を陵辱するのが良いことかと言われれば、そんなことはない。
けれど、それだけの簡単な話でもないのだ。
けれど、少なくとも僕はこう思った。
────生きている人間である彼が死んでしまった人間をどうこうする事で立ち直れるのならば、それも良いのかも知れない、と。
『葬儀』という儀式は死者のために行うものではなく、生者が自分の気持ちを整理するために行うものだという話を聞いたことがある。
その是非もまた、きっと個人の信条や宗教観、死生観によりけりだ。
ひとくちに語り尽くせる物ではない。
けれど、ひとまず今は話を進めよう。
『復讐』もきっと、『葬儀』と同じなのだと思う。
その行為自体に何の生産性もなく、それに命をかけるくらいなら、より幸せになれる選択肢はいくらでもあった。
けれどその
それまで生きていた自分を
たとえそれが、復讐の後に新たに始まる人生が、全てを失った抜け殻のようなものだとしても、だ。
葬儀は、死んでしまった”他者”を
ならば復讐は、死んでしまった”自分”を
逃れ得ぬ死を前にしてもなお、生産性のない行動に
死んでいないだけで生きているとは言えなかった彼の人生は、この復讐によって初めて、生き始めるのだろう。
願わくばその後の人生で、彼の魂がすこしでも希望を抱けますように。
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