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なぜなら、避難民が誰も、王都へ辿り着けなかったからだ。
ぽつりぽつりと耳の早い近隣の村落の住人が王都へとやってくるが、それだけだった。
既に被害を受けたと思われる地域からの避難民は、ただの一人も居なかったのだ。
王も、大臣も、そして居並ぶ貴族達も、想定以上に避難民が居ない事を
「もしや、誰一人として生き残れないような事態が起きているのではないか?」と、そう思う者もいた。
けれど、誰も、決して、口には出さなかった。
口にしてしまえば、その瞬間に
音として、言葉としてこの世界に解き放ってしまい、それが耳に入る事すら恐ろしかった。
明日、もしかしたら何もかもが全てなくなっているかも知れない。
自分もまた、その瓦礫の中で
誰もが、そんな恐怖と
夜にはとっくに仕事など終わっているはずの庭師は、今すべきことでもないだろうに、自分の道具の手入れをしていた。
普段は手が空けば談笑しながら噂話に満開の花を咲かせる侍女たちも、
皆、迫りくる災厄を前にして自分の仕事に打ち込んでいた。
何でもいいから手を動かしていないと、この先のことを考えてしまいそうだったからだ。
誰もが死の恐怖に怯え、それを
一度その恐怖に囚われてしまえば、恐ろしさでもう二度と立ち上がれない気がしたからだ。
彼らは皆、明日なんて永遠に来なければ良いのにと、そう思いながら眠れない夜を明かした。
眠らなければ夜は明けない、なんてこと、あるはずもないのに。
◇◇◇
”それ”が始まったのは昼過ぎだった。
初めに異変に気付いたのは、
彼が見たものは、地平線だった。
基本的に、球形の惑星である地球においては、五キロメートル程が人の視界に収まる最長距離であり、その彼方は地平線、または水平線と呼ばれる円弧の”果て”によって限界を迎えている。
”この世界”での表面、かつこの兵士の場合は、高い城壁から見張っているので、恐らく十六キロメートル以上は見えていただろうか。
その地平線が、いつも変わらずそこにあるはずの地平線が────じわじわと少しずつ、こちらへと迫ってくるのが見えたのだ。
「あ……ああ、あ……」
異変を見つけた。
ならばすぐに知らせるべきだ。
仲間を呼んで、確認を重ね、伝令を指揮官のもとへ走らせるべきだ。
────なのに、声が出なかった。
乾いた喉、引き
彼にとって幸いだったのは、たまたま近くに同僚がいたことだ。
そしてその同僚が立ち尽くす兵士を見て
「おい。どうし……お前……酷い顔だぞ。どうした?」
「あ……あ…………」
兵士は声をかけてきた同僚にもまともに受け答えができず、まるで生まれたばかりの赤子のように言葉にならない言葉を口から
そのさきを見た同僚は一瞬息を呑んだが、自らの職務は忘れなかった。
「ッ……! ……て、敵を発見!! 戦闘準備ィィ!!!!」
彼は動けない男の代わりに声を張り上げた。
大声で報告をあげれば、その後は小隊長の元へ参じて詳細な報告をするべきなのだが、彼は即座に戦時体制への移行を求めた。
歩哨に立つ兵士の階級など、さほど高くもない。
もちろん他の兵士に命令する権利もない。
だが、誰もそれを
皆、二人の視線の先を見て、すぐに肝を潰して持ち場に向かったからだ。
その頃にはもう、地平線の彼方から押し寄せるものが何かなど、目を凝らすまでもなく目視で認識できていた。
魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣────…………。
その数は数千、数万────もはや数える事も
それらは全く異なる種類の魔獣や魔物の群れで、自然界では高度な知性を有する”魔の者”の配下としてしかあり得ない構成をしていた。
だが
走り疲れた魔獣が後続のそれに踏み潰され、肉塊になり、それを遅れてきた屍肉喰いが
では彼らがなぜそのような群れを形成し、この王都に向かってくるのか。
それは分からなかったが、人とは明らかに違う獣とは言え、流石にここまで分かりやすく慌てふためいていれば容易く分かる事もあった。
────逃げている。
彼らは”何か”から逃げてるのだ。
その”何か”が何なのかはわからない。
だが恐ろしい”何か”が、彼ら魔獣たちが立ち向かうことすらしなかった何かがこの先に居て、それからなりふり構わず逃げている。
それだけは、この国の兵士達にも分かった。
この『
兵士たちはそれを即座に理解した。
だからこそ命令系統を無視した同僚の言葉にすぐに従った……いや、たとえ何も言われなくともそうしただろう。
今すぐにでも戦いの準備を始めなければならないことは、誰に言われずとも分かっているからだ。
そうして、
◇◇◇
「
中隊長の声が怒号と
────
獣の
だがその程度では堅牢な
彼らは次々に壁に頭を打ちつけ、首の骨を折って死んだのだ。
そこへ後続の魔物が次から次へと流れ込むが、彼らもやはり城壁は抜けず、死体の山を更に
それでも魔物の軍勢は止まらない。
そしてまた衝突し、転がり、千切れ、踏み潰される。
このたった数時間で、
それで死ななかった魔物たちも、その死体の山の
その様を見て、兵士たちは
王都を守る
だが
だがその死体を片付ける為に外に出るなどと言う自殺行為も出来ないので、我慢する他ない。
彼らは飛び散る血肉と悪臭には、かなり精神的に
魔獣達はそこを抜けないと分かるや否や、モーセを導いた
それでも行き場を失った魔獣は市壁を登ろうと向かってきたが、その程度であれば”この王都の防衛力を限界まで酷使する”事で対処が可能だった。
────ああ、そうだ。
”その程度”になってやっと、全力での防衛が辛うじて間に合う、そんな物量差だったのだ。
だがこのまま耐え切れば何とかなる。
そんな希望的観測が出来る程度には、各
その希望が潰えたのは、それから更に半日後の事だった。
狼や兎、鹿と言った、足の速い獣が変異した魔獣達が中心だった第一波と比べ、段々と足が遅く強力な中型の魔獣が増えてきたのだ。
そしてなにより、獣が魔物化した魔獣ではなく、生物学的にはあり得ない特徴を持つ、
この傾向に、王都の学者は絶望した。
魔獣や魔物の生態に詳しくないものは未だ理解できていなかったが、魔物や魔獣と言うのは、それぞれ
そして比較的、力の弱い魔獣の大移動に関しては特段珍しい物ではないのだ。
森の主、
その場合、力の強い魔物はそれまで通りの勢力圏を維持するため、魔獣が押し寄せる
大挙して押し寄せるとは言え、所詮は
それでも田舎の村にとっては破滅級の災厄に違いはないが、設備が整った王都のような場所であれば余裕を持って対処出来るものなのだ。
だが、今回はそれに中型が混じり始めた。
今でさえぎりぎりのところで踏みとどまっている状態なのに、中型が増えれば市壁の崩壊すら考えられる。
そして、もしも────もしもあの災厄で大型の魔物ですら逃げ出していたら……。
その場合は、この王都など一瞬で踏み潰されてしまうだろう。
大型の魔獣など、人にはどうすることもできない天災と言って相違ない。
しかも、それに加えて中型や大型が逃げざるを得ないような”何か”が爆心地にいる可能性さえあるのだ。
それらに気付いた学者は、自らの持つ知識と経験をかなぐり捨てて神に祈った。
────大型の魔物まで向かってくるようなら、もはや打つ手はないのだから。
そもそも魔獣、魔物を含めた”魔”と言うのは、この世界に満ちている不可視の
この世のほとんどの生物が有効に活用できていないが、それを利用できる者は通常の生物では到底あり得ない能力を会得し、あり得ない現象を引き起こす事ができる。
精霊、竜、魔物、魔獣、魔法使い、魔術師……彼らが引き起こす超常の現象こそ、その再現性のある奇跡の一端だ。
ほとんどの精霊は魔力により産まれ、竜はその性質から産まれ付き魔力を手足の
魔物は魔の因子により産まれ、魔獣は魔力の影響を受けた獣の突然変異だ。
彼らはただの人間に太刀打ち出来る相手ではない。
同じく魔力を扱えるような人間────魔法使いや魔術師、英雄でもなければ
それが大挙して押し寄せる
そこに中型以上の魔獣が混じることのどれだけ絶望的なことか。
◇◇◇
それからしばらく、
けれどそこに、頭一つ抜けた影が混じるようになっていた。
それは
その大きさが、
この国では、魔法、魔術と言った『魔導』を使えるものはそう多くない。
使えるものも、初級から中級の魔導が使えるくらいで、中級に至っては一度撃てばもう動けなくなってしまう程度の力しかないだろう。
彼らに中型の魔物を止められるとは思えなかったし、そもそもそれ以前に現状を維持するために既に彼らの魔導を
彼らにできるのは、たまたま中型の魔物がこの王都を避ける流れに乗り、市壁を避けて流れていくのを祈ることだけだった。
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