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 真っ暗な空を駆けた、まばゆ光条こうじょう


 赤く、赤く、真っ赤に赤熱した”それ”は、黒天を真っ赤にき尽くした。

 世界を覆う夜のとばりを、一時いっとき、真昼の如く照らし出した。



 そうして一瞬ののち、どこかへと落ちて、消えていった。



 そこでふと一息ついた彼らを襲ったのは、まるで世界の上下が入れ替わったかのような凄まじい地揺れ────”天体衝突インパクト・イベント”を起因とする、大地震だった。


 夜天に星が落ち、天が焼けて、地が揺れる。


 そんな未曾有みぞうの厄災に遭遇した人々は、みな口々にやれ「火の雨が降った」だの、やれ「天蓋てんがいから星が落ちてきた」だの、やれ「天罰てんばつが降った」だのと騒ぎ立てた。


 人々の乱痴気らんちき騒ぎは止まることを知らず、夜更よふけまで続き、ついには兵士が出動する羽目になった。

 突然呼び出された夜勤の兵士たちはただでさえ疲れが溜まっていたというのに、凄まじい爆音と地震で叩き起こされた所に”これ”だ。

 ごうを煮やした彼らは、住人を無理矢理に家に押し込み、解決を図った。


 そうして、街は落ち着きを取り戻したのだ。


 だがあくる日、人々は身をもって知ることになる。



 彼らの平穏無事な日常が、彼らが知る世界が、昨日終わってしまった事を。



 ◇◇◇



 あの爆発から一夜が明けた。

 爆心地グラウンド・ゼロとなった森“だった”場所には、最早もはやなにもなかった。


 あの夜に、空の彼方────この世界を守る『大気圏』という大伽藍だいがらんやぶり降り注いだ”それ”は、断熱圧縮だんねつあっしゅくにより激しく燃え上がりながら、音すら置き去りにして大地へと突き刺さった。


 その様はまさしく、大神ゼウス雷霆ケラウノスだった。

 世界を砕くほどの、天罰が降ったかのごとき、圧倒的な大破壊だった。


 燃え盛る火球は世界におろされた夜のとばりを一息に焼き尽くした。


 真昼のような光量を撒き散らして音速を超えたそれは、周囲に衝撃波を放ちながら夜空を駆け抜けた。

 そして、墜落地点までの一切合切いっさいがっさいを薙ぎ払い大爆発を引き起こしたのだ。


 その衝突時に発生した地震は〈シェンゲン諸国〉周辺に甚大な被害をもたらし、小さな揺れであれば遥か彼方、東方世界オリエントの国々にまで届いたと言われている。


 現代の地球では『隕石』と呼ばれるそれは、この世界の人々にとっては”久しく経験した事のない”未知の災害であった。



 そして、それは人に限った話ではない。



 人々が恐れる強大な存在である、強力な魔獣達。

 彼らでも、大質量隕石の落下に慣れている訳など、なかったのだ。


 彼等もまた隕石落下の衝撃により吹き飛ばされて傷を負った。

 地震により洞窟が崩れ、森が焼けて住処を追われた。


 恐怖に、逃げ惑った。



 やがてその魔獣たちの波は、人の力では到底太刀打たちうちのできるはずもない暴力の具現となって、人郷ひとざとへと押し寄せる。


「あ、ああ……うわああ!!!!」

「きゃああああああ!!!!」

「ま、魔獣!! 魔獣だーーーー!!!!」


 突如として襲い来る魔獣の群れ。

 それに為す術もなく蹂躙じゅうりんされる村は、阿鼻叫喚あびきょうかん地獄シェオールと化した。


 人の体高たいこうゆうに超える猪のような魔獣が、木造の家屋を中の住人ごと吹き飛ばした。

 必死の形相で遮二無二しゃにむに駆ける狼のような魔獣が、行く手に立つ人間を邪魔だとばかりに喰い千切った。

 見上げんばかりの大男のような一つ目の魔物が、走り抜けながら棍棒を振り回して人を肉塊に変えた。


 老若男女、人も家畜も建造物も問わず、形あるもの全てを破壊し尽くす暴虐ぼうぎゃくの嵐は、一瞬にしてその村を呑み込んだ。


 我先に逃げようと馬小屋に駆け込み、馬に飛び乗った商人がいた。

 皆を守るために勇猛果敢にも武器を手に、魔獣に立ち向かった戦士がいた。

 命数めいすうが尽きたと諦め、最後の祈りを神に捧げる老人がいた。

 周りで何が起きているかも分からず、母親を見上げる幼子おさなごがいた。


 その命は、すべからく一瞬にして消えたのだ。


 潰され、かれ、千切られ、叩きつけられ、物言わぬむくろになってしまった。


 皆、今日の勤めを果たし、明日はもっと良い日であるようにと。

 なんでもない一日を終え、またなんでもない一日を願っていた。


 ────けれどその願いはついえた。



 彼らに明日は、もう永遠に来ないのだ。



 その惨劇さんげきの後、何百人という住人がいたその村で生き残った者は、ほんのわずかに数人だった。

 それを「たったこれだけ」と取るか、あれだけの被害で「こんなにも生き残った」と取るかは、人によって意見が分かれるかも知れない。


 だがただ一つ言えるのは、きっと、彼らが生き残った事を素直に喜ぶ事など出来ようはずがないと言う事だ。


 血と肉が飛び散って、死体が────人体の一部が其処彼処そこかしこに飛び散り、村全体が赤く染まった辺獄リンボの当たりにして、どうして生き残れたと喜べようか。


 きっと、普通の人間は途方に暮れてこう思うだろう。


 ────どうして生き残ってしまったのか、と。


 顔を見知った沢山の人を一息ひといきに亡くし、地獄シェオールのような世界に放り出された。


 失ったものが大きすぎて前を向くことも出来ず、けれど生きる為に動かねばこのままえてちるのみ。

 そんな厳し過ぎる環境に放り出された人々は、もはや生きる気力など残っていないだろう。



 現に今も、死んだ妻の残した、”たった一つだけ見つかった腕”を抱いた男が茫然自失ぼうぜんじしつで我が家だった瓦礫の山に佇んでいる。


 心が既に死にかけている彼に、もはや生きる気力は、生きる為に立ち上がる気力は、もう、無かったのだ。



 ◇◇◇



「なに……。それは、まことか……? 」


 王は愕然がくぜんとした表情で問い、そして今聞いた言葉が嘘であればと願う。


 王冠を頭にいただき、王笏おうしゃくを手にした威風堂々いふうどうどうたる王の姿は、どこにもなかった。

 その王の姿は、信じたくない事実を前にして力なく王座に腰掛ける、”小さく背の丸まった老人”にしか見えなかった。


「はっ……。北方国境のとりでが三つ……既に落ちているであろうとの事です。兵はこのしらせを持ち帰るため早馬はやうまを何頭も潰してここまで来たので、その後の事は分からない、と……」


 王に報告を行う王都守備隊長もまた、それが夢か思い違いであれば、と願いつつも、そうではない事は分かっていた。

 だからこそ、項垂うなだれた王のその威厳いげんのない姿を見ても、決して頼りないなどと思うことはなかった。


 ────自分だって、許されるのであれば今すぐ泣きわめいて走ってどこかへ走り去りたかったのだから。




 早馬が飛び込んできたのはつい先程のことだった。


 その兵士の配属先は〈ウクフ王国〉北方────北部国境付近の砦だった。


 そこでは隣国が兵を動かした時のため、また魔境デモンズ・レルムで何かが起きた時のため、異変があればいつでも王都へ向けて早馬を飛ばせるように常日頃から訓練をしていたのだ。


 その甲斐かいあってか、そのしらせは途中で失われることなく王都へ辿たどり着いた。

 地獄の大公爵の先触さきぶれのような凶報は、無事に王の元へと辿り着いたのだ。


 だがそれは、隣国からの突然の侵攻など生温なまぬるい、最悪中の最悪────この世の終わりのような内容だったのだ。



 夜空を真昼の如く染め上げた火球はこの王都からも見えていたし、その後の大地震も、身体に感じる、立っていられない程の揺れだった。


 古い建物は崩壊し、倒壊はまぬかれたものの屋根が落ちたり壁が壊れたりした建物も多い。

 そうでなくとも家具や建具たてぐが倒れて下敷きになった死傷者が数多く出たのだ。


 それだけでも十分に災害と言えるのだから、これ以上があるなどと、思いたくもなかったのだ。



 大海嘯だいかいしょうごとく魔獣が押し寄せており……おそらく、隣国は既に滅亡。

 国境付近の砦も三つは落ちて、更に”その波”が王都へと押し寄せるのも間近だろう。



 ……などと言う、そこまで深刻な話だとは、誰しも思ってはいなかったのだ。


 戦争により国が滅ぼされ、国民と国土が併呑へいどんされる────それが生易しいとすら思える最低最悪の事態だ。

 絶望パンドラの箱を開け放ったが如き事態だ。


 魔獣の波に飲み込まれ、老若男女ろうにゃくなんにょが生きながらにして四肢を喰い千切られ、臓腑ぞうふむさぼり食われる。

 そんな地獄の釜のふたが、開こうとしているのだから。


「周辺から避難民が来るだろうが……」


 ……と、そこで王は言葉を切った。

 そんな呟きを耳にした王都守備隊長は、王へと顔を向けた。


「王よ。如何いかが致しましょう……?」


 隊長が特別、優柔不断ゆうじゅうふだんという訳でも、無能という訳でもない。


 この局面において、避難民についての判断を王に判断を委ねるという事は、彼に判断するには手に余る案件だと、”そういう”事なのだ。


「……城壁を盾に、事が静まるまで籠城ろうじょうした場合、何ヶ月持つ?」


 各方面から少しでも安全な王都を目指してやってくる避難民。

 彼らはこれから籠城戦ろうじょうせんを行うにあたって、限りある食料を浪費する穀潰ごくつぶしとなりかねない。


 食料が無くなれば餓死者がししゃが出るし、王都の治安の悪化も考えられる。

 この未曾有みぞうの大災害、内憂ないゆうを抱えていてはまともに戦うことなどできるわけがない。


 ならば初めから見捨ててしまった方が良いのではないか?という、血を吐くような思いでの問い掛けだったのだ。


 王は限りなく難しい『トロリー問題』に直面していた。


 トロリー問題とは、高速で線路を走るトロリートロッコの二つの分岐の先に、一人の作業員と五人の作業員がおり、分岐器を切り替えなければ五人が死に、切り替えれば一人が死ぬ、という思考実験の一つだ。


 少ない犠牲で事を収めるために一人を自分の手で殺すのか、そもそも誰も殺さないために天運に任せて何もせず五人を見殺すのか、それを倫理的、道徳的な観点から判断する事を強いられる難しい問題だ。


 王はこの極限状態で、避難民を見捨てて王都の民を救うか、王都の民の食料が足りなくなる危険リスクを取ってでも避難民を救うかの判断に悩んだ。


 魔獣といえど所詮は獣。


 その波に勝てずとも、とにかく耐えさえすればいつか奴らは散っていくかも知れない。


 ここで避難民を切り捨てたとあれば、国民や周辺諸領の貴族から求心力をなくし、最悪の場合、将来反乱を起こされる危険性すらあるだろう。

 ひとたび民を切り捨ててしまえば、生き残った者たちも次は我が身と警戒しながら国につかえることになり、そうなれば国のために命を捨てて戦うなど出来るはずもないからだ。


 けれど、そもそも生き残れなければ何の意味もない。

 勝てなければ全てが終わってしまうのだ。



 そんな難しすぎる命題に頭を悩ませる王を、文官や大臣たちが見守っていた。


 彼らも無能では決してないのだが、彼らからの助言は……期待できなさそうだ。

 なぜなら、判断があまりにも重すぎて、誰もその責任を取りたくないし、そもそも取れないからだ。


 前述の問題に加え、そもそも負ければ国が滅ぶのだ。

 そんな責任は、高々たかだか貴族や大臣などには到底取れるはずがない。


 国の滅亡など、貴族や大臣が自分の首一つ賭けた所で到底あがなえない大失態だ。


 それを自分の首一つであがなえるのは、この国に一人だけ────この国の王、ただ一人だけなのだ。



 そんな様子を見守っていた王都守備隊長は、倫理や道徳ではない、実利じつりの観点からこの問題を解決する糸口を手繰たぐっていた。


 彼だって、守れるものなら民を守りたい。

 だが国の滅亡と秤にかけるとなったら、容易にはその選択肢を選べない。


 だから何か……何かで、論理的にその選択肢を補強する必要があった。


 彼らを助けることで国が滅びから遠ざかる、その根拠を探す必要があったのだ。


「王都は人口が多く……恐らくは節制せっせいしても半年も持たないのではないかと……。ですが王都守備隊長を拝命はいめいしております私の愚考ぐこうする所におきましては、受け入れて良いのではないか、と具申ぐしんいたします」


 彼からの上申を受け、小さな老人────この国の王は、重苦しい空気をまとい口を開いた。


「……理由を、聞こうか……」

「はっ! 魔獣共はさほど知能はなく、市壁スタッドマウアーに張り付かれて長期化する懸念は薄いのではないかと言うのが一つ。避難民に食料と武器を与え、即席の兵として防衛に利用が出来るのではないかと言うのが二つ目です。籠城ろうじょうであれば、大した訓練をせずとも投石くらいには使えるやも知れませんし、石運ぶにも使えるでしょう。城壁は広く、石を運ぶ人員が何人いても多すぎることはないかと……」


 その提案は耳障みみざわりが良く、その場にいた者たちには正論に聞こえた。


 避難民をデメリットなく受け入れられる案としては、悪くない。


 政治的な意図としても、避難民の恐ろしい体験を語って聞かせることで、民に危機感を持ち魔獣へ対処させるための煽動プロパガンダとして有用に思えた。


 一部の者はおとりや肉壁に使えるという非人道的な利点を考えての賛成ではあったが、王都守備隊長の案は、おおむね好感触を持って宮廷に受け入れられたらしい。


「確かに、な。そなたの言う事も一理ある……。では、避難民は積極的に受け入れる事とする。ただし防衛のための戦力、労働力として働かせるのが条件である」


 その言葉を聞いた広間の人間たちは、それぞれの立場に合わせた敬礼でもって、その言葉に応えた。


 王都守備隊長の提案に沈思黙考ちんしもっこうした王は、最終的には避難民を積極的に受け入れることに決めたのだった。



 ◇◇◇



 そんな危機を前にして、にわかに慌ただしさを増していく街。


 それを見下ろす塔の上から、街を眺めている者がいた。


 外側に向かって跳ねたオレンジ色混じりの黒髪に、瞳孔どうこうの細長い獣のような瞳、そしてその側頭部からは二本の立派にねじくれた角が生えた少年だった。


 彼は亡国の危機におびえる事も、ましてや慌てる事もない。

 水晶のように感情を映さない、透き通った瞳で城下を無感情に睥睨へいげいしていた。


「戦の準備か……?」


 街中で備蓄倉庫や武器倉庫の中身の確認がせわしなく行われ、街路を行き交う兵士は小走りだ。

 市壁スタッドマウアーの城門には阻塞バリケードが築かれ、投石にでも使うのであろう岩が城壁の上に集められている。


 煌々こうこうかれた篝火かがりびから篝火へと、明るい部分を渡り歩くのように歩哨ほしょうたちは城壁を歩き回り、時折、狭間アロースリットから頭を出して地平線の彼方を緊張の面持おももちでける。

 その様は、上から見ているとまるで、夢遊病者むゆうびょうしゃ徘徊はいかいのようでもあった。


 事情を知る兵士達はみな一様いちように表情が硬く、事情を知らぬ民達は不安に怯えて眠れぬ夜を過ごしている。


 何かとてつもなく恐ろしいものがやってくる。

 そして、皆がそれに怯えているかのようなその様子を眺め見て、その少年はあざけわらった。


「早く、滅茶苦茶になれば良いのに」


 どこの誰とも知れず、姿形も見えない、どこかに居るであろう、この国をおびやかす敵に向かって少年は笑いかける。


「早く……早く、殺してよ」


 真っ暗闇な夜空に浮かぶ三日月の白月オディエルナの様に、その口元は不気味な円弧をえがいていた。

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