4

 空気が、変わる。


 僕が咄嗟とっさにその視線の先を見つめると、こぼしたインクにじむ様に、突如として虚空から黒と紫が交じり合った濃密な闇があふれ出してきた。


 まるで極彩色ごくさいしき汚泥ヘドロのような、まばゆいばかりの土瀝青コールタールのような暗黒には、禍々しい見た目とは裏腹に、妙に忌避きひ感をいだかせない親しみがあった。


「ほう……。考え無しの鉄砲玉が選んだとは思えんではないか。我輩わがはいの目にも好人物こうじんぶつに映るぞ」


 その闇の奥から、そう、老人のような声が聞こえた。


 やがて闇から現れたのは、襤褸ぼろのローブを頭まですっぽりと深く被った老人だった。


 ……いや、老人と言う第一印象ファースト・インプレッションには、口調がもたらすイメージが多分たぶんに含まれている気がする。

 実際にはその襤褸ぼろの奥は真っ暗闇で何も見えないし、老人である事を示す特徴など、何一つとして見受けられはしない。


 襤褸ぼろの頭には二つの穴が空いており、そこからは”ぐねぐね”とじくれた角が後方へと飛び出している。

 同じように背中にも────ここからは見えないが────穴があるのだろうが……その老人の背中からは、皮膜の張られた翼手よくしゅのような、それでいて蝙蝠こうもりなんて目じゃないように高貴な、神話の挿絵で見るようなドラゴンの翼が見えた。

 そして手には杖をついているが、その手元は紫がかった鱗に覆われており、指の先にはぐるりと湾曲わんきょくした鉤爪かぎづめがついている。


 何よりも────その老人は、周囲に衛星のように付き従う惑星をはべらせていた。


 正真正銘、”惑星”だ。


 飾りでもなんでもない。

 世界一つを内包した、一つの惑星だ。


 ここは星幽アストラル界であり、目に見える大きさにはなんの意味もない。

 だからその惑星も、老人に対してその大きさだから飾りだろう、などとは到底言えなかった。


 その老人が”本来は銀河クラスの大きさを持ち”、そのくせに僕らに合わせて人間の背で”知覚させている”だけかも知れないのだから。


 老人のようなのだが、それが人ではない事も、また明らかだ。

 ではそれが何か、と言われたら僕には”てんで”分からない。


 その”老人のような何か”は、ローブの中でわずかに姿勢を正して、口を開いた。


我輩わがはいはダーレスト。『流転の水車』の管理人────とでも言えばいかの。其処そこ糞餓鬼クソガキ推挙すいきょを受けて、そなたに少しばかり権能をさずけた。……まぁ、後見人、とでも思えば良かろうさ」

「貴方が、ダーレスト……? ええと、力を貸してくれて、ありがとうございます?」

「へぇ……誰が糞餓鬼だって?」

「そなたの魂の色は、良い。我輩わがはいも気に入った。千仭せんじん潭々たんたんたる不幸と諦観の海淵かいえんで真の幸福の何たるかを見定めた求道者ぐどうしゃよ。そなたの道行き、楽しみにしていよう。なんぞ困り事があれば呼ぶが良い。我輩わがはいはきっと、力を貸そう」


 そう言うや否や、ダーレストの後ろには、再び光背アウリオーラのように濃密な闇があふれ始めた。


「無視かい?」


 ダーレストに完璧に無視されて叫ぶオルバースを更に無視して、ダーレストはその闇へと再び消えようとしている。


 その様子からは全く悪意が感じられない。


 例えて言うなら、「路傍ろぼうの小石が少しうるさい」とかそういう感じだ。

 意図的に悪意から無視している訳ではなく、本当にダーレストから見たら路傍の小石であって、対応する必要性がないのだ。


 ────多分だけど、これはこれで一番性質たちが悪いタイプの精霊ひとだろう。


 そして始めは驚いていたせいか気付かなかったが、今気づいたことがある。

 闇のように見える部分の先には、何か空間が広がっているように見えるのだ。


 そこは宇宙空間よりもさらに濃密な暗闇で満たされていたが、不思議と真っ暗闇ではなかった。


 なぜなら、濃密な闇の遥か先に、一つの光源があったからだ。


 ────それは、水車だった。


 途方もなく巨大な水車だった。


 ほの かに明るい光を放ちながらゆっくりと回転するその水車は、闇の水底を漂う蛍のような小さな光を”水受け”で汲み上げて、目には見えないがそこに確かにあるといへとその小さな光を導いて行く。

 そのといは沢山の分岐によって水を分配しており、それは遥か彼方に輝く数多の惑星へと向かって続いていた。

 といなどとは到底言えない、『水分みくまり』とすら言える壮大なスケールの水路だった。

 そんなありとあらゆる要素が非現実的な存在感で構成された”それ”の正体は、先ほどまでに聞いていたオルバースの説明や自分の記憶と照らしあわせれば、さほど想像にはかたくなかった。


 これが、この水車こそが────『流転の水車』なのだ、と。


 輪廻転生を司る精霊、『流転の水車』ダーレストが管理する、大いなる生命の流れを分水する巨大な水車に違いない。

 それは役目を終えたあらゆる生命の魂を浄化し、次の生へと送り出す役割を与えられている────生命の魂が流転するための、『輪廻りんね』という世界で最も重要な役割を一手に引き受けている、世界運営のための根幹概念の一つ。


 だとすれば、この水車によって遥か彼方へと送り出される光達こそ、これからまた生を得て転生していく魂なのだろう。



 それはとても幻想的な光景だった。



 ────のだが、ダーレストがその闇の先へと姿を消すと同時に、元の何事もなかったかのような宇宙空間に戻ってしまっていた。

 綺麗だったし、許されるのならばいつまででも眺めていたかった光景ではあるのだけれど、その機会はまたいつか得られるだろうか。

 いや、なんとなく、その機会はある気がする。


 まぁなんの根拠もないのだけれど、なんとなくそんな気がしたのだ。


「言いたい事だけ言って帰るとかほんと自分勝手な奴……! まぁクリアに加護だけくれれば用済みだったから良いけどさ!」


 そうして残されたのは、僕と苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てるオルバースだ。

 協力を取り付けられるくらいだし仲も良いのかと思っていたが、案外そういう訳でもないらしい。


 ……いや、公私の使い分けが出来るしっかりした大人という線もあるか。

 相手は嫌いだけれど、必要があれば協力する、とか。


 けれどそれにしてはやはり嫌悪感というものがにじみ出していなかった気がするし、これは……そう、そうだ。


 汚部屋おへやの住人を見て、几帳面きちょうめんな友人が怒り散らかしているとか、そう言った類の険悪けんあく感だ。


 とんでもない汚部屋おへやを見て、その汚さに辟易へきえきし、不衛生さに本人を心配する友人。

 だが本人はそれを大して気にしていないし、なんなら過ごしやすいとすら思っている。


 かたや、小煩く神経質な注意を鬱陶うっとうしいと思いつつ、けれどその根底にあるものが心配であると知っている。

 かたや、本人が過ごしやすいならそれで良いかも知れないが、流石に度を越しているのでなんとかせねばと心配している。


 それを、そんな内心を知らない他人から見ると、表面的には険悪に見えてくるのだ。


 彼らの険悪はそれに近い気がした。


 オルバースには心の底から嫌悪している、といった様子は見受けられない。

 かといってダーレストの自分勝手で自由気侭きまま奔放ほんぽうな振る舞いには自制を求めて止まない。


 けれど自分勝手なダーレストは、やっぱりそのお小言を無視するのだ。

 そしてオルバースの諫言かんげんは報われずに宙を切る。


 そんな関係性だろう。


 口調すら変わって怒り散らかしているオルバースの様子は、それまでとはまるで別人のようだ。

 ”しっしっ”とダーレストが消えた所を後ろ足で蹴って砂をかける仕草をしている。


 宇宙空間には砂とかないのだけれど……。


 ……ああいや、ここは星幽アストラル界だから、正確には宇宙そのものではないのか。


 それに彼は精霊、魔法を手足のように操る、魔法の集合体のような存在だ。

 そう思えば、砂をかける仕草をすれば、そこに砂が現れて飛んでいくのかも知れない。


 超自然的な、魔法的な何かで。


 後ろ足で砂をかける魔法……なんなんだろう、それは。


 それにしても……そうしていると完全に犬か何かに見えてくるな。



 オルバースは一頻ひとしきり文句を言って満足したのか、僕の方へと直った。


 切り替えが早く、先ほどまでのことは無かったことになったらしい。

 追求は許さない、触れることは許さない、という圧がある。


「まぁ、それにしても、君がメシエの記憶に耐えられるとは思わなかったな。無理そうだったら一部の記憶は抜くつもりだったのに」

「メシエの記憶って言うのは、この誰かの記憶の事?」

「そうだよ。メシエは、"世界"の事さ」


 突然にスケールの大きな話になったけれど、オルバースのげんに嘘はないようだった。


 そもそも────『世界』とは何なのか?


 それは世界中の学者が一度ならずとも考え、その生涯しょうがいを通じて追い続ける、人の死生しせいと並び立つ命題だ。


 ────膨張宇宙ビッグバン低温死ビッグフリーズ収縮死ビッグクランチ


 宇宙の始まりと終わり、そしてその過程。

 それを考察する説は後を立たず、検証されては否定され、否定されては再検証されていく。


 人の生と同じように、『世界』がどこから来てどこへ行くのか、それを知りたがらない学者なんてこの世に一人もいないだろう。


 僕も考えた事がなかった訳ではないのだけれど、なんとも驚く事に、メシエの記憶をもってすればその答えすら提示する事が出来た。



 科学と言う”宗教”をほうじる現代の人間達は、宇宙の始まりは膨張宇宙ビッグバンだと考えている。


 それは半分程度しか正解とは言えない。


 世界は初め、"無"だった。


 その無は、はたしてどれだけ続いた”無”だったかを知る者は誰もいない。

 無限に近い時間だったのかも知れないし、一瞬だったのかも知れない。


 けれど永遠にも続くかと思えたその”無”の中には、いつからかメシエという、原初の存在が居た。


 それがいつだったのかは、やっぱり誰にも分からない。


 これはそのメシエの記憶なのだから、自分が目を覚ます前の記憶なんて、あるはずがないのだから。


 メシエは、その"無"の中に在って、ただ一つだけ存在する"有"だった。


 世界にはメシエだけが在ったのだ。

 逆に言えば「何かが存在することはメシエの体内でしか出来ない」のだ。


 ……少し難しいだろうか?


 たとえて言えば、メシエは"箱舟"なのだろう。

 ”無”という大海原を漂泊ひょうはくする”有”という箱舟。

 その船から落ちたものは、ことごとく無へと帰るのみだ。


 僕ら人間は……じゃない、もう僕は精霊なんだった。


 まぁ、そんな肉体を持つ全ての存在は、メシエという箱舟のうちにのみ存在できる、はかない存在だ。

 だからこそ、メシエという箱舟は"世界"なのだと言える。


 こんな荒唐無稽こうとうむけいな話ある訳がない、と”僕”は思った。

 これはまぎれもなく真実だ、と”メシエ”の記憶は認めた。


「信じられない僕と、信じている僕がいるみたい。不思議な感じだね」

「不思議な感じで済んでいるのがおかしいくらいさ。本当なら人間の星幽アストラルに収めて良い情報量じゃないんだけどな」

「……ちょっと……。それを普通に入れたの?」

「駄目なら忘れさせるつもりだったって。ははは」

「信じられない…………」


 保険はかけていたらしいけれど、それにしても酷すぎるな。


 その保険がどれだけ効くかも分からないと言うのに。


 確かに世界誕生からの全ての歴史だなんて、到底記憶として保持できるとは思えない。


 自分の記憶と混ざってしまえば、最早自意識を保てる保障なんてないのだから。

 例えて言うなら、ワイングラスにバケツ一杯の水をぶちまける感じだ。

 その中にバケツの水量が収まるはずがない。


 とはいえ、僕はもう死んでしまっているから、これ以上失うものもなかったわけで……それなら”くどくど”とあげつらう事もないか。


「はぁ……。まぁいいや」

「いいの?」

「別に、いいよ。悲しいけれど、もう死んでる訳だし……それ以上落ちる所もないからね……」

「失敗してたら星幽アストラルが壊れるから転生すら出来なかったんだけどね」

「やっぱり許すのやめようかなあ……」


 ダーレストをして『考え無しの鉄砲玉』と言わせる”考えなし”とは、この事か。


 先ほどは自分勝手で自由奔放ほんぽうなダーレストにお小言を垂れている真面目な精霊、という印象だったが、なかなかどうして、こっちもこっちで大概な問題児ではないか。


『希望の”やじり”』の名に恥じない、思い立ったが吉日の無計画な暴走機関車っぷりだ。

 正しく、解き放たれて空を切る弓矢の”やじり”だ。


 少なくとも、”思慮深さ”とは無縁の存在だろう。



 それはそうと、僕の中にある誰かの記憶は『可能性の赤子』メシエの記憶らしい。


 まぁ、先程まで何でもかんでも分かるかのように言っていたくせに、どうして分からなかったのかと言う者もあるかも知れない。

 でも考えてみて欲しい。


 ────自分は常に"自分"であると意識しながら日々記憶を刻んでいるだろうか?


 そんなことはないはずだ。


 考えるまでもなく僕は僕なのだから、僕が僕であると常に意識している必要は全くない。


 メシエの記憶も似たようなものだ。


 確かに凄まじい情報量の記憶だが、その記憶には”ラベル”がないのだ。

 見たものを見たように記憶しているけれど、「これを見ているのはメシエですよ」なんていちいち注釈はなかった。

 だって、僕が僕であるように、メシエもまたメシエなのだから。


 凄い記憶である事は分かっても、誰の記憶なのかは分からなかったのだ。



 それにこの記憶には僕もメシエも知るはずのない、僕の最期の記憶も混じっていた。


 あれはきっとオルバースのものだろう。

 だから今、僕の頭の中には3人分の記憶が────内一つは世界の記録とも言える膨大なものだ────入っている事になる。


 どこに何があるかなんて分からない。

 ただ探せばなんでもあることは分かる。

 けれど膨大すぎて探すってどうやって?


 そんな感じだった。



 言うなれば、『エピソード記憶』から『感情』と『時系列』がごっそり消えて、ただ出来事だけがそこにある感じだ。

 その出来事があっても、嬉しかった、悲しかった、楽しかった、嫌だった、そんな感情がない。

 間違いなく自分の頭の中にある記憶なのに、まるで劇場の席に座って、歴史上の出来事を映写機で眺めているような実感のなさだった。


 けれど自分の記憶には当然感情が付随ふずいしているから、そちらには実感がある。


 そんな異常な記憶の混濁こんだくには時折混乱してしまいそうにもなるけれど、一応今の所は大丈夫みたいだ。


 ちなみに膨大というのがどれくらい膨大か、と言われたら、地球全土の面積を駆使して、ぎっしりと隙間なく書棚を並べて、これまたぎっしりと本を詰め込んだくらいの膨大さだ。


 地下鉄チューブの駅一つを歩くのだってそこそこ疲れるはずなのに、それが地球全土ともなれば、もはやどうしようもない。

 既に僕の記憶になっていながら、自由に思い出すことなど到底無理、と言う状態だった。


「まぁ、失敗する気はなかったからさ。僕の全存在を賭けてでも成功させるつもりだったよ」

「後からならどうとでも言えるよね……。でも、うん……信じるよ。オルバースなら、信じても良い気がする」

「えへへ、嬉しいね。でもクリアは大丈夫そうだなって思ったのは本当だよ。君は昔から物語が好きだったから」


 物語が好きな事と、許容量を超える記憶を保持出来る事とはどういう関係があるんだろうか。


 僕にあるのは記憶だけで────それもあまりの膨大さに全く引き出せないのだけれど────それを応用できる知識や知見が欠けているので、オルバースの言葉の意味が理解が出来ず首を傾げる。


「それとこれと、どう関係があるの?」

「この世界の記録……つまりメシエの記憶は、ある意味で言えば『世界の年代記アカシック・レコード』みたいなものなんだよね。────あ、『世界の年代記アカシック・レコード』は君の権能の方が本家本元だからね。それはおいといて、要は”歴史書”さ。君は本を読むのが好きだったから、自分の記憶と他人の記憶が混じる事なく、頭の中の図書館に"本"として綺麗に蔵書していけたんだろうね」


 図書館というのはもののたとえだけどね、とオルバースは付け加えた。


 なんだか”しれっと”とんでもないものを横に「おいといて」話を進めた気がしたが、まぁ良いか……オルバースだし。


 要するに、元々本を沢山読んでいた僕は、「自分の記憶と他人の記憶を切り分ける事が得意」だったという事らしい。


 確かに、とても面白い物語がもたら没入感センス・オブ・イマージョンと言うか、主人公と一体になるような感覚にはも言われぬ不可思議な感動がある。


 その物語の中から現実へと立ち返る時には、異世界から帰還するような、主人公から幽体離脱するような、そんな感覚がするものだ。


 つまりは、その感覚に慣れているからこそ、自分がその主人公であると思い込んで自意識を見失う心配がないのだろうなと、そう思った。


 僕の今までに読んで来た本の冊数は、きっと凄まじいことになる。

 それでも一生を本の虫で過ごした人には遠く及ばないのは、仕方ない。

 生きていた長さがそもそも違い過ぎるのだから。


 沢山の本と出会い別れてきた僕の脳内には、そんな沢山の登場人物の人生が蔵書アーカイブされているとも言えなくもないのかも知れない。

 それだけの回数「自分と誰かの中を行ったり来たりした」という事だ。


「そこまでメシエの記憶に適応するのは正直予想外だったけどね。ただその分、精霊としての格はかなり高いかも知れないなあ。メシエへの適性が高ければ高いほどに神格が上がるものだから」


 神格というのは、精霊の位階ランクの事だろう。

 これは普及している用語というわけではなく、オルバースがひとまずこの場はそう表現しただけみたいだけれど。



 ……突然だけれど、神格について一つ。


 世界はメシエだ。

 すべてのものはメシエから生まれた。


 だから、全ての形ある存在は、その存在の格が上がれば上がる程に、メシエの形へ近づいていくことになる。


 子供が大人になったら背が高くなるのと同じ事だ。

 この世界に存在する全生命体は、格が上がると大人メシエに近づくのだ。


 そうして存在の格を上げ続け、やがて一定の閾値いきちを超えたそれは、『ドラゴン』と呼ばれる。

 この場合の『ドラゴン』はドラゴンでもドラゴンでもない。


『ドラゴン』とは、メシエのことだ。


 メシエは高次元の存在であり、言わば『神』だ。


 そのメシエと同格に至ると言うことは、『神』の領域に足を踏み入れると言うこと。

 とても平たく言ってしまえば、『ドラゴン』になることは、『神』になるということだ。


 メシエと同じ領域に達することで、初めて『ドラゴン』と呼ばれるようになり、『神』となる。

 それがこの世界の全生命体の宿願であり、目標であり、生きる意味であると言える。


 同時にそれは、そのしゅが進化の極北に立ったという宣誓せんせいであり、渙発かんぱつでもある。


 この進化は正しかったのだと「世界にあかしてた」ということ、それが『ドラゴン』になるということだ。



 僕の世界にあった宗教では「人は神が創りたもうたものだから、神の形に似せてお創りになられたのだ」という考え方があったが、今思えば、その考え方は半分は間違ってはいなかったのだろう。

 もしかしたら、あの世界では、全ての創造主は人の姿をしていたのかも知れないのだから。


 それを知る術はあの世界にはなかったし、今となっては僕にも、もうそれを知る術は……いや、あるかも知れないけど、興味本位でそれをするつもりはない。


 そして、この世界が地球と違うのは、『神』が人の形ではなく明確に『ドラゴン』の形をしていると言う所だろうか。

 まぁそんな訳だから、見た目がドラゴンに近い精霊ほど強大な力を持っていると言う事になるのだ。


 ……?

 もしかして、メシエに適正があると言う事は、僕もいずれ人の形じゃなくなってしまうのかも知れない……?


 それは少し困るかもしれない。


 そう思ったけれど、オルバースはまだ半分人みたいな姿をしているし、そこまで心配はいらないか。

 きっと、良い感じに姿を変えることもできるのだろう。


 そう考えると、老人のような、竜のような姿をしていたダーレストは、変化それを面倒くさがっている……ということだろうか。

 やはりダーレストはダーレストのようだ。


 多分”彼”は、近所のコンビニエンスストアまで部屋着で行ってしまうタイプの精霊なのだろう。

 ……知らないけれど。


「へぇ……まだ良く分からないけれど、人を幸せに出来る力なら、いくらあっても困らないよね」

「そうだね。それじゃあクリア。丁度良いし、君の力を早速試してみようか」


 貰った力の、試運転。


 具体的に何が出来るのかは分からないけれど、役割を貰った以上は頑張りたい……気がする。


 けれど、どうにもこうにも『希望の鏃オルバース』というのは、抽象的な概念だった。

「炎を操る」だなんて簡潔明瞭な能力ではないから、望む結果を得るには少し”勘所コツ”がいりそうだった。


「それって、さっきのオルバースの話みたいに?」

「うん、そうだね。君にも、もう出来るはずだよ。そしてその性質は僕の権能それとは似てなるものだ。僕には死んでしまった人は救えないけれど、君にはダーレストの権能もある。きっと僕には救えない魂を導けるはずだから」


 彼は、どう頑張っても”死者自体”は救えないのだと、そう言った。

 頭の中にいつの間にかあった知識と照らし合わせても、オルバースの言う事には間違いはなさそうだった。


 オルバースの権能『希望のやじり』は、「理不尽な逆境を前にしてもなお心折れない人々の希望を祝福し、その力を増大させる」ものだ。


 かなり乱暴な言い方にはなってしまうけれど、『火事場の馬鹿力』と言うどこかの国の俚諺りげんが発想としては近い気がした。


 虚構フィクションの世界ではよくある、立ちはだかる強敵を前に絶体絶命の窮地に陥った主人公が、なんだか良い感じに敵を倒せる”あれ”だ。

 その力はきっと、英雄や聖女と称されるような不屈の精神性を持つ人間を祝福すれば、人類を滅亡から救えるだけの強大な力だと思う。


 けれど、致命的な弱点もあった。



 人がその生を、未来を、幸福を────全てを諦めてしまえば、終わりなのだ。

 どうしようもない。



 彼が祝福するのは”希望”。


 その希望がない者を、彼は祝福する事はできない。


 絶体絶命の危機に瀕してもなお絶望せずにいられる人間というのは、そうそういるものではないだろう。

 そしてこの世の全ての人間が絶望したその時、彼の権能にはもはや何の意味もないのだ。



 そこで本領を発揮するのが、もう一柱、ダーレストの権能だった。


 彼の"転生の水車"は「生きとし生けるもの全ての生殺与奪と転生に介入する」事が出来るものだ。


 現世でオルバースに救いきれなかった者達を転生させて、次の生へと送り出すのがダーレストの役割という訳だ。


 今世での不幸は忘れ、来世で幸福になれるように。

 希望を持てるように。


 もしくは、死してもなお拭い切れない未練があるのなら、その未練の強さに見合うだけ、その魂を現世に止めることすら出来る。


 そんな未練が宿った魂は生ける屍ゾンビ亡霊ゴーストなどと呼ばれ、不死者アンデッド系の魔物として恐れられている。

 ……のけれど、それはダーレストには知った事ではないらしい。


 未練が解消した魂は気分良く転生してくれるので、「これは必要な事なのだ」とか言いながら不死者を増やしているらしい。

 その不死者アンデッドが引き起こす悲劇で不幸な人間を再生産することもある点については……名誉のノーコメントなようだ。

 まっこと、自分勝手である。


 自分の役割と世界の為に忠実で、他人の迷惑など知った事ではないそのスタンスは、なんとも精霊らしいなとは思う。


 総合すると、『希望のやじり』オルバースと『流転の水車』ダーレストは、ある意味表裏一体の権能を持つ世界の運営機構せいれいの一部だと言える。


 生者を祝福するオルバース、死者を祝福するダーレスト。

 世界の流れを加速させて前に進める『希望のやじり』、世界に置いていかれた者をもう一度流れに返す『流転の水車』。


 ”り”が合わないのも仕方のない性質の真逆さだが、同時にお互いがお互いを必須である事を、他のなによりも強く認識しているがゆえに信頼があつい。


 あの二柱は、そんな関係性なのだろうと思う。


 そんな精霊たちの沢山の"自分勝手"が、薄く、広く世界を覆う事で、世界はいつだって多様性と発展性に満ちている。



 閑話休題かんわきゅうだい

 今は僕の権能の話だ。


 そんな二柱の神性が複合された僕の権能は、前述の二つの力を組み合わせる事で彼らには救いきれなかった魂達を救うことが出来る。


 無論、単独ではそれぞれ二柱の足元にも及ばないだろう。

 ”良いとこどり”をした結果だし、そこに文句は特にない。


 オルバースに救えない絶望した魂。

 ダーレストに救えない来世を望まない魂。

 そして二柱は、その両方の性質を持ってしまった”最も不幸な魂”を僕の担当にしたいらしい。


 中でも最後の、両方の性質を持ってしまっている魂は、最早オルバースにもダーレストにも手が出せないと言う。



 希望を持たず、輪廻をも拒む。



 不幸な人生に絶望し、もう二度と生まれたくない、と。

 そうなってしまうともう転生を望むべくもなく、諦観と虚無の海に魂が沈み、そのまま無へと溶け込んでしまう。


 そんな、耳を塞ぎ目を瞑った魂を救うのが、僕にしか出来ない、僕だけの仕事。


 僕が介入する対象は、そんな緊急性の高い────というと救急車のようでおかしな表現だけれど────そんな魂だ。


 けれどまぁ、いざとなると少し、緊張する。

 ついさっきまでオルバースが語っていた物語が、”空想”などではなかった事はもう分かっているから。


 あれはどこかで実際に行われたやりとり……。

 オルバースの権能が導いた出会いだったのだと言うことを、もう知ってしまった。


 僕の力は、きっと誰かの運命を変えてしまうのだろう。


 勿論、それは理不尽な不幸を退けるために揮われるのだけれど、それでも誰かの人生を変える事には変わりはない。


 ────『禍福かふくあざなえる縄のごとし』。


 どこかの国の故事にはそんな言葉がある。

 それが示す意味は、「幸福と不幸はりより合わせた縄のように、表裏一体で交互にやってくるもの」というものだ。


 実際のところ、幸福と不幸にはそんな性質はない。


 当然だろう。

 幸福も不幸も個々人の主観であり、周囲を取り巻く環境に対して抱く感情の一つでしかないのだから。


 同じ状況に置かれたとしても、それが幸福なのか不幸なのかの判断は、人によって異なる。

 そして幸福は、力学的エネルギーではないので孤立系でも保存則に従う事はありえない。


 幸福が一定量発生したからと言って、同量の不幸が発生するような性質は、決してないのだ。



 ならば、幸福とは一体なんなのだろう?



 その故事の本質は、結局のところ「良い事があれば悪い事もある」ではなく、「良い環境に慣れた人間は些細ささいな事を不幸と感じるようになる」だと勝手に思っている。


 幸福な環境に置かれた人間は、一食抜いただけでも不幸に感じるかも知れない。

 逆に、不幸のどん底に落ちた人間は、パンの一つを恵まれただけでも幸運だと感じる事だろう。


 要は、そういう事なのだ。


 幸福と不幸の判断基準は、人が環境に慣れる事で常に変化し続ける、”絶対”ではなく”相対”の流動的なものだ。

 ならば、人の不幸を無闇矢鱈むやみやたらに改変する事が良い事だとは、決して思えなかった。


 そんな歪んだ幸福に慣れてしまった人間は、きっと際限なく幸福を求めて、破滅に向かって転がり落ちるだろう。

 幸福しかない飽食の地獄に落ちて幸福を見失った末、手に入れたはずの幸福を求めて続けてえ続けるのだから。


 自らが幸福である事を噛み締めるために、不幸という香辛料スパイスは適度に必要なのかも知れない。

 人生という大海原おおうなばらを幸福に向かって航海するためには、”不幸”という『北極星ステラ・マリス』は、きっと適量は必要なのだ。


 不幸に駄目な点があるとすれば、それが行き過ぎて理不尽な場合だろう。


 だとすれば、僕は本当に退けるべき不幸を見定めて、必要最小限の介入で済ませる必要がある、と言うことだ。

 それはとても難しく、伴う責任は想像を絶する重さだった。



 そっと目を閉じて自分が手に入れた力に集中してみれば、耳に響いたのは、かそけき悲鳴。


 けれど僕の権能は、そんなのどうしようもなく理不尽でどうしようもなくる瀬ない、最悪な結末を変えることが出来るのだと。

 そう思ったら、少しでも早く彼らと話してみたいという気持ちが湧いてきた。


 でもやっぱりちょっと怖いし、初めは少し、知っている人に助けて貰おうかな……。


 なんて、少しだけ尻込みしつつ決めた僕が、数多の悲鳴の中から選んだのは────

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