3
夢を、見たんだ。
夢の中の僕は、精霊の力を借りる事が出来る術師で、杖を
その世界では未だ剣が銃に取って変わられることがなく
人以外の種族や精霊、魔獣や魔物に竜もいた。
その世界でも、地球と同じようにたくさんの人が生活していた。
僕は、そんな人達と出会いながら旅をした。
けれどどうしてか、僕にはその世界にいられる
そのせいで、いつだって楽しい夢は途中で
「あぁ、なんだ…………夢、か……」
目を覚ました僕は、そこがあの世界ではない事に気付いた。
まぶしい日光に目が
朝だった。
日の出の時間と連動して制御されるカーテンが、頼んでもいない親切心を発揮して
グリニッジ標準時を内蔵した最新式のそれは、館内全域で自動的に動くものだから、看護師が開けて回らなくて良いのがメリットらしい。
けれど、
サイドチェストに設置されたスマートスピーカーの対話型インターフェースに頼めば閉めてもらえるのだけれど、その会話すら億劫だった。
その光もあいまってか、すっかり眠気は消えてしまった。
ずっと寝たきりの僕には昼も夜も関係ないけれど、それでも身体に染み付いた体内時計のせいか、朝になれば
夢の記憶は曖昧で、その中でのエピソードは目が覚めるにつれて、だんだんとこの手の中から零れ落ちていった。
けれどエピソードは抜け落ちても、その時の気持ちは残っていた。
なんだか、とても楽しい夢だった気がする。
その夢の中では、弱って外に出ることも難しいはずの僕の身体が、まるで健康な普通の人のように軽々と動かせた。
それに、精霊の力を使って魔法のようなものを使う事だって出来たのだ。
僕はその力を使って世界中を旅して、トラブルに巻き込まれて、でもそれ以上に楽しい事や素敵な出会いがいっぱいあって────そう、楽しかった。
本当に楽しかったんだ。
本を読むのは楽しい。
けれど、実際に世界中を旅するのは、やっぱり本とは比べものにならないほどに楽しかった。
こんな気持ち、生まれて初めてだった。
これほどまでに鮮明に夢の内容を覚えているのは初めてだったのだ。
記憶が残っている今のうちに少しでも思い返して、忘れてしまわないようにしたいと、そう思った。
僕はそっと身体を起こそうとするのだが、腕に力が入らず上手くいかなかった。
……一瞬で、気持ちが現実へと引き戻される。
嗚呼、僕の身体はこんなにも弱ってしまっているのかと、虚無感が込み上げた。
夢の中にも関わらず、なぜか
『
その夢の中では、一人の少年がそれでも、と僕を生き長らえさせようとしてくれた事だけは……夢から覚めても覚えていた。
もしも僕に
そうだと信じたい。
そうだと良いと、そう思った。
叶うなら、もう一度会いたいな。
……なんて、そう願ったところで、彼は夢の中の登場人物だ。
現実の人物ではないから、それは叶わない願いなのだろう……。
そういえば、夢の中の彼は、どうにも病院の敷地に遊びに来て、僕に会いに来てくれていたあの少年と少し面影が似ているような気もしたけれど、どうだろう。
……もしかしたら、彼と一緒の夢を見ていたりなんて、事もあるのだろうか。
だとしたら、嬉しいなと思う。
それはそうと、あの夢が終わってしまうのは、とても
そう思いながら、苦労してなんとかかんとか上体だけを起こせば、そこには見慣れた部屋だった。
と言っても、自宅の部屋などではない。
白い壁、白い
そうだ……いつもの病室だ。
ここ数年は、ずっとこの景色しか見ていない、僕の病室。
目を下ろせば、痩せ細って肉が落ちて、皮膚越しに骨が見える病弱な腕から点滴の管が繋がっている。
……先程までの夢の中とは違う、現実の僕の腕だ。
記憶を
まるで、あの世界で出会った人々皆が、本当に生きているみたいな、そんな気さえしている。
……まぁ、そんなはずはないか。
人はまだ月に降り立つのが精一杯で、他の世界どころか他の惑星にすら
でも、もしも…………もしも今のが夢ではないのならば、あそこで出会った皆には幸せになって欲しい。
そんな事を考えてしまうくらい、楽しかった。
皆、大好きだった。
また会えると良いなぁ。
……なんて思ったのだけれど
「ゴホッ……! ゲホッ!!」
咳き込んだ拍子に吐いてしまった血が、白いシーツを赤く染める。
口に当てていた手も血塗れだった。
苦しくて、痛くて、生理的な涙で視界が歪む。
けれど、こんな事も初めてじゃなかった。
ここ数日はずっとこんな調子だった……と思う。
今回の夢は大分長かった気がして、時間の感覚が少し狂っている気がするけれど……多分、一日も経っていないはずだ。
また、なんて言ったけれど、次はあるのだろうか……。
目を閉じたら、今度こそ目を覚まさないのではないだろうか。
そう思うと、どうしようもない恐怖が、冷たさが背筋を撫でた。
なんだか目を閉じるのが怖くなってしまった……。
あの夢がまた見られるのなら眠るのも怖くない、そう思える程に楽しかったのだ。
けれど、きっと、もう…………。
「うぅ………。は、ぁ…………」
身体中の至る所が軋み、悲鳴を上げているようだ。
もうどこが痛いのだか分からない程に全身が痛い。
きっと、次に眠ったらそこまでなのだと……そんな根拠もない確信があった。
「……オルバース……ごめん、ね。ありがとう。最期に、良い思い出になったよ……。楽しい旅だった」
オルバース────夢の中でいつも僕の手を引いてくれる、
なんだか……先程目を覚ましたばかりだというのに、もう目を開けているのが辛くなってきた気がする。
これで、本当に最後なのだ。
僕が歩いてきた道も、ここで終わってしまう。
僕は僕なりに楽しい人生になるように頑張ってきたのだけれど、胸を張って
…………どうして最期の最後に、あんなに楽しい夢を見てしまったんだろう。
あんな希望がなければ、もう少し諦めもついたはずなのに。
「あぁ、嫌だな……。寂しい、な……。もう一度、皆と、……また…………」
”ぱさり”と軽い音を立てて、僕の骨と皮だけのような腕がベッドへと落ちた。
◇◇◇
────ピーーーーーーーーーーーーー………………。
心電図が表示されていた計器が、緊急事態を察知して警告音を上げる。
ナースステーションにある計器と連動した警報が鳴り響く。
それを聞いた看護師たちは慌ただしく、急変を示す赤いランプが煌々と輝く病室へと走り出した。
やがて緊急連絡の入った当直の医者が駆けつけ、処置が始まった。
人工呼吸、心臓マッサージ、電気ショック……延命措置が幾つも講じられたが、ついぞ少年の目が醒めることはなかった。
万策が尽きた彼らは言葉もなく立ち尽くし、医者が沈痛な面持ちでベッドの上の少年の手を取った。
そして腕時計で最後の時を確認している。
……だが、その病室には一つだけ異常な点があった。
何の変哲もない人間たちに混じって、下半身が獣、上半身が人間という異形の存在が
だが人間達はそれには気付かない。
まるで誰もそれが見えていないかのようだ。
その獣は
「こんな終わり方、許さない……」
ぽつりと漏らしたその言葉は、決意と
「君は、もっと笑って良かった。もっと夢を見て良かった。もっと、生きてて良かった……!」
彼は
「”神無き世界”に干渉するには、まだあと一歩だけ力が足りない……。この世界は魔を嫌うから……だから、ごめんね。もう少し待ってて……必ず、必ず迎えに来るから」
だから、と獣は言った。
「また、一緒に旅をしよう。クリア」
そう言い残して、異形の獣は病室から立ち消えた。
◇◇◇
そう……そうだったんだ。
僕が死んだその日に見た夢は、きっと夢ではなかった。
あの夢は、夢だけれど、夢ではなかった。
今の僕の状態のように、魂だけをオルバースが導いてくれた他の世界での話だったのだろう。
オルバースの力の一端を理解した今、彼に取ってみればそれが不可能などではない事は良く分かる。
そして、先程僕の身体に起きたことについても、すぐに答えに
────僕は、きっとオルバースと同じ精霊になったのだ。
オルバースが自らの権能の一部を僕に譲渡し、その力を受け取った僕の魂は、その力を振るうのに適した形になった。
魂の器が、精霊のそれへと変わっていた。
そして受け取った権能には、オルバースの『希望の鏃』だけではなく、なぜかダーレストという精霊の権能────『流転の水車』も混じっていた。
理由は分からないけれど、ダーレストも僕に力を与えてくれたらしい。
おそらく、オルバースの
だからこそ、オルバースが僕の代わりに誓った、僕の在り方────『白紙の語部』クリア・ウェンデルの役割に”
オルバースだけの力であれば、生殺与奪や転生には干渉する事はできないはずだからだ。
オルバースは『精霊』だった。
精霊と言うのは、世界を
……と言うとかなり分かりづらいのだけれど……。
要するに"火"が燃え盛るのは、そうあるべく運用している"火の精霊"がいるからと考えると想像がしやすいかも知れない。
それら精霊は、自らが司る概念を自在に運用する権能────世界を自在に操る権限を持ち、また自らと世界を守る為に、その権能の一部を選んだ人間へと委譲する権限も持っている。
その応用で、僕にもその力を与えてくれたらしい。
精霊であるオルバースが司っていた権能、『希望の鏃』が運用する概念はその名の通り『希望』だった。
彼は精霊の中でも特別大きな力を持ち、世界に対する影響力も大きな『
夜空を駆ける一条の
天を仰げば、世界中の誰もがその目に映せる、
その美しく
そんな希望を一身に受けたオルバースは、『希望』という概念と『願い』という信仰を得ることになった。
それだけでは本来精霊としては成立しないのだけれど、そこで最後の
それは────”名前”。
僕は、病室から見上げた空に新たな彗星を見つけ、”名前”をつけた。
その”名前”は、元々オルバースが持っていた精霊として成立するに足る人々の信仰に形を与え、人々に託された願いは『希望』という概念を生じた。
そうして彼は、精霊へと
生きとし生ける全ての命に理不尽に押し寄せる『不幸』や『絶望』。
それらを踏み越えて『幸福』になろうとする意思を祝福する概念。
それこそが『希望の鏃』オルバース。
運命を指先一つで操る神の
世界が願った希望を手繰り寄せる舞台装置。
この権能の本質は、
そしてオルバースが代わりに宣誓した、精霊となった僕の果たすべき役割。
それは、絶望と
あまりにも容赦のない現実や不幸な運命に心が折れた魂は、その生を終えてもなお……いや、死ぬ前からも、魂を縛られ続けてしまう。
次の生もまた不幸な結末が待っているのではないかと怯えて、次に生まれる事を望まなくなってしまうのだ。
そんな魂は『流転の水車』ダーレストの回す水車に
────世界に嫌われ、世界を嫌う。
そんな魂に寄り添って、もう一度顔を上げて、前を向いて生きていけるようにその背を押す。
そのために運用できる概念として、僕には希望へと世界を導く篝火『
オルバースが謝っていたのはきっと、本来は自らが決めるはずの精霊としての在り方を他人である彼が勝手に決めて、僕を精霊にしてしまったからだ。
とは言っても、まずは無理矢理にでも精霊にしてしまわないと何も出来なかったのだから、それはきっと、仕方がない事なのだ。
どうしてそれが分かるのかと言えば、精霊としての知識を得た今なら、その知識からなんとなく判断が出来るからだ。
それにオルバースは誠心誠意、僕の心に沿った宣誓をしてくれていたし、そこは気にしていない。
むしろ────
「……僕は気にしてないよ? だってこれは、僕にぴったりの素敵な役目だと思うから」
そう。
本当に、僕はそう思っている。
オルバースが代理で宣言した僕の在り方、それはとても素敵な役目だと思った。
生前の僕は、自分の不幸を呪わなかったわけじゃない。
辛かったし、苦しかった。
のうのうと無為に生きる他人が
生産性もなく、身にもならない行為に時間をかけられるのが羨ましかった。
どうして僕だけが不幸なんだろう。
どうして皆は不幸じゃないのに、ちゃんと生きられないんだろう。
僕だったらもっと有意義に生きるのに。
僕だったらもっと色んな事をするのに。
何も為す事なく
そう思えば、窓から眺める近くの街道が目に入るたびに、彼らの無神経な笑顔が目に入るたびに、心が”どろどろ”とした
けれど、身体が弱い僕には、それはそれで自由に使える沢山の時間があった。
その時間はどうしても手持ち
滅茶苦茶な、と思われるかもしれないが、僕の答えは、そうだったのだ。
どれだけ
その定められたサイクルは、どうやっても変わらない。
数千億年先は分からないけれど……少なくとも今世界に存在する全ての命が消えるまでは、一日は二十四時間なのだろうし、それに「ちょっと待った」をかけられる人などいない。
なのに、考えても仕方のない事に
世界を恨んでも、命の期限は変わらない。
生を
だったら、きっと後者の方が得だと思う。
だから僕は、「僕にはどうしようもない事は"死"ぬまで後回しにする」事にした。
どうしようもない事をどうにかする事をやめてしまえば、世界という奴は案外簡単に出来ていた。
他人に迷惑をかけないように、自分が楽しく幸せだと思える事をなるだけいっぱいやればいいのだから。
そう考え始めてからは空を流れる雲や
だって、そんな景色だって楽しまなければ損なんだもの。
そうだろう?
同じ物を見て、同じように生きるのならば、僕は少しでも楽しみたい。
好きな本に囲まれて過ごす日々は、たとえ短い人生だったとしても、今なら僕は胸を張って言えるよ。
「きっと、僕は幸せだった」って。
まぁ、最後の最期にオルバースのおかげで少し迷ってしまったのだけれど……。
オルバースは、そんな僕をずっと見ていたのだ。
だから、そんな僕になら救える人々がいるのだと、そう信じてくれたのだ。
与えられた役割を果たしていれば、僕の人生のような哀しい結末の物語をなくしていける。
前を向いてみれば空はいつだって高くて雄大で、花はいつだって可憐で美しい事に気づく人が一人でも増える。
それは、なんだかとっても、素敵だなと思った。
僕はこの与えられた役割を噛み締めて、もう一度"歩いて"みよう。
オルバースに与えて貰った機会を、精一杯活かしてみよう。
だから……だから、謝る事なんて何もないんだよって、そう伝えたかった。
「僕、この役割が好きだよ。他の誰でもなく僕が果たしたいんだ。『白紙の語部』として、ね?」
これが僕の決意だ。
オルバースの、ダーレストの代理などでは、決してない。
僕だって、心の底からそう思っているのだから。
「そう言ってくれて、良かった。君の善性は、きっと世界を明るい方へ導いてくれるって、そう信じているよ」
その決意はちゃんとオルバースにも伝わったみたいで良かった。
僕の答えを聞いたオルバースはそれに満足したようで
「ね、いい人選でしょ? ダーレスト」
彼は突然横を向くと、この場には居ないはずの第三者へと声をかけた。
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