zwölf. ルーネベリタルト

 連日の激務と出撃に追われながらも、皮肉なことにやっぱりクリスマス付近は激しい戦闘が少なめになる。

 その昔は祖国の歴史の中にWeihnachtsfriedenクリスマス休戦なんてものが刻まれていて、さも美談かのように語られるが。結局のところクリスマスの峠を越えれば再び敵同士で命の奪い合いだ。

 むしろ今の時代になってしまえば、クリスマスこそ憎むかのように武器を振り回したがるお偉いさんもいて。そんなに過剰に反応することこそ、聖者の思うつぼなのではないかと、バルクホーンは思う。

 誕生日なんて、自分の知る大事な人のその日だけを幸せに祝えたらそれで十分。その他はぶっちゃけ言ってしまえば、365日の単なる日付だ。


 そんなことを考えつつ、基地のあるヘルシングフォシュから東へ50km、ゆっくりめに車を走らせても一時間ほどの場所の古都へ。


「メイヴィス、着いたよ。大丈夫?」


 いつのまにかその助手席で、すやすやと静かな寝息を立てていた人物にそう声をかける。

 夜間哨戒明けなんだからゆっくり休めとは一応伝えたものの、「休みがあまり被ってないじゃないか」と一蹴され、こうして運転手をしている有様だ。


 周囲からは「うわぁ、やっぱ女王様つえぇ……」なんて囁かれてたのを苦笑しつつ、何か色々と思うところがあるんだろうなと従ったのは自分である。

 バルクホーン中尉、優しいというか穏やかさが振り切れてるよな。それもヒソヒソと囁く整備員達の談だ。何となく、言われていることはわからんでもないのでそのまま聞こえなかったふりをして流しておく。

 元々気性が荒い方ではないものの、連日感情のジェットコースターや活火山、うっかり失言するキラキラ眩しい部下達と一緒にいるとなおのこと、落ち着いて全体を見守るスタンスとスキルが確立されてきている気がしていた。


(まあ、こうして頼ってくれるようになっただけ、マシだしね)


 安心しきったような寝顔に、そのまま寝かせてあげたい気持ちが湧き上がってきたものの、起こさなかったら後でギャースカ言われるのも目に見えている。

 やれやれ、と思いながら、バルクホーンはその肩を軽く揺すった。



 スオミの海へとそのまま流れゆくポルヴォーの川。その川岸には真っ赤に塗られた木造の赤い倉庫が建ち並ぶ。

 12月も末の雪に覆われた季節、屋根を白く覆われた赤い倉庫の向こうには、彼女の好きそうなパステルカラーの街並みが見えた。


「疲れてない?」


 気遣ってそう声をかけたつもりが、その涼しい目に一瞥された。


「なに? せっかく来たのに、着いて早々わたしに疲れたかどうか聞くなんて、マナー違反じゃない?」

「あ、ごめん」


 ぶっちゃけ出不精な性格だし、女性と二人で出かけたことなんてそれこそ10年前が最後だ。最近はこうやってメイヴィスと出かけることがあるものの、未だにその距離感だったりかける言葉だったり……女性は難しいなと内心思う。


 正直に言えば、彼の部下でもあるお坊ちゃんに一つでも相談すれば「えっ? なにハイスクールの子みたいな甘酸っぱいデートしてるんすか?」と揶揄われそうなものだということを、バルクホーンは気づいていない。


 それもそのはず。メイヴィスだって、心は女性ながらもずっと肩肘張って男所帯の軍で中尉にまで登り詰めた叩き上げだ。デートのマナーも何も、テレビや本や話に聞いた知識だけで、そんな経験なぞしたことのない北欧産の純粋育ち夢見る大型乙女である。


「でもほら、俺と出かけるよりもさぁ。こんな綺麗なところ、大尉誘って一緒に来た方が良かったんじゃないの?」

「……なぁに、わたしとくるの嫌だったの?」

「いや……そうじゃなくて。何、今日は嫌に突っかかるじゃないか……」


 雪のちらつく中、隣で少し俯くアッシュブロンドは景色に溶けてしまいそう。

 怒るでもなしに、その顔をそっと覗き込めば。その白い頬を少し寒さで赤く染めて、唇を尖らせながらメイヴィスは呟く。


「大尉は……街に女の子と出かけてるんだもん」


 あちゃーと困ったように眉をひそめた彼は、少し覗き込むような体勢でぽんぽんとその頭を撫でる。


「それが、わざわざ夜間哨戒明けにポルヴォーまで来た理由?」

「……わるい?」

「いいや、全然。じゃあ仕方ないね」


 行こっか、と手を差し出すバルクホーンを、数秒呆けたような表情でメイヴィスは見返した。


「怒らないの?」

「なんで? 別に怒らないよ」

「だって……」


 あの空気に耐えられなかったから無理やり連れて来てもらいました、そうはっきり言えたらいいのに。

 ちょっとのプライドがそれを邪魔する。少しだけ、軍で強くいようとする自分が頭をもたげてくる。それなのに。


「はいはい、今日はそんなこと忘れて、おじさんと一緒にいてくれませんかね?」


 コクリと頷けば、「とりあえず寒いから行こっか」とその手を引かれた。

 手袋ごし、体温は伝わらない。

 

 だけどちょっぴり心が温かくなったような気がした。




 赤い倉庫は古き時代にここを港として様々な国の舟が乗り入れ、貿易の町として栄えた名残でもある。今は沢山のショップやレストランに改装されているその道を越え、丸い石が敷き詰められた石畳の小道を歩けば旧市街地だ。

 あちこちにおしゃれな看板の下がったベーカリー、雑貨屋にカフェ、チョコレート工場や人形とおもちゃの博物館、地元の作家たちの開くハンドクラフトショップが建ち並ぶ。


 広場にあるパステルピンクの時計塔、今はもう使われていない三角屋根の大聖堂、チョコレート工場まで外壁はパステルピンクだ。


「こういうとこ、確かにキミ好きそうだねー」

「……わるい?」

「いいや。いいんじゃないの?」


 やっぱり今日はちょっとご機嫌ナナメか。苦笑しつつも広場の端でコーヒーを買って手渡す。


「俺、ここ来るの初めてなんだけど。どっか行きたい店とかある?」

「……て」

「ん?」


 聞き取れなかったので、少しだけ屈んで身を寄せる。


「どしたの?」

「わたしも、初めて……来たの。ずっと行ってみたい街だったから」

「そっか」


 じゃあほら、余計に楽しまなきゃね。そう言って再び手を差し出される。


「……なに?」

「せっかく来たんだよ。笑って……とまでは言わないけどさ、楽しむ権利はキミにもあるでしょ? 折れどころがわかんないなら、いつまででも付き合うけどさ」


 そのためにおじさんはいますからね、と流れるように開いた方の手をスッと下からすくわれて。


「バァカ」

「……はいはい」

「チョコレート工場、行きたい」

「うん」


 何も言わないでいると、バルクホーンはチケットを買うその時まで、うっかり手を繋いだままでメイヴィスを赤面させたのだった。




***




「あっ! みつけた!」


 タタッと雪の中を石畳の上だというのに軽快な足取りで駆けてゆく。

 最初に思いっきりすっ転んで、だけどそのおかげでメイヴィスが笑ってくれたのでよしとしようと思っていたバルクホーンは慌ててその後を追った。


「いやぁ、雪国育ちは違いますね」

「おじさん、もう少し地上での訓練したらどう? 雪上鍛錬とか」

「……いや、まじで本気でやりそうな奴らがいるから勘弁して」


 雪すら溶かしそうな暑苦しい部下達を思い出して、バルクホーンは少し頭を抱える。


「で? 何見つけたの?」

「Tee- ja kahvihuone Helmi! 共通語で言うと……カフェ・ヘルミってとこかな。J.L. ルーネベリって知ってる?」

「知らない……人の名前?」

「そう、ここポルヴォー出身の有名な詩人なのよ」

「へぇ……ってことはここは。その生家か、お気に入りのお店ってとこ?」


 ざぁんねん! そう笑う姿は、少し背が高いとは言え女性となんら変わりない。

 ふにゃっと笑った顔が、なんだか妙に愛おしくて。その左の泣き黒子のあたりをそっと撫でる。


「ん? どうしたの?」

「あ、いや。雪ついてたよ……」

「ああ、ありがとう。実は、ここはそのルーネベリが愛したスイーツ、Runebergintorttuルーネベリタルトが一年中食べられる、有名なお店なの。一回来てみたくって! バスクにも買って帰ろう? とっても美味しいから!」

「俺に拒否権はないわけね(笑)」

「とーぜんでしょー。この街に来て、ルーネベリタルト食べないなんて。あっ、あとで『ルーネベリの家』にも行きましょっ」

「はいはい」


 朝からコーヒーしか飲んでないところに、いきなりスイーツか。……やっぱり女性は難しい。でも。


(まあ、楽しそうだしいっか……)


 いつの間にやら、自分まで頰が緩んでしまっているのに気づいたバルクホーンは。先ほど感じた違和感はすっかり忘れて、既にパステルイエローの一軒家、カフェのドアをくぐるメイヴィスに続いたのだった。


 ルーネベリタルトは、甘いものが大好きだったというルーネベリのために、彼の奥さんがジンジャークッキーをくだいて作ったカップケーキに、ラズベリージャムをのせたのものが始まりだそうだ。本来は彼の生誕日である2月5日近辺でしか出回らないこのお菓子が、ポルヴォーでは通年出されている。


 ティーサロンも経営しているお店、沢山のケーキが並ぶショーケースから奥の席に行けば周りはアンティーク調の家具や肖像画がたくさん置かれていてすごくおしゃれだ。その一角の、丸テーブルの席に着いて……せっかくなのでオススメされた紅茶とタルトを一つずつ注文した。


「……内観から何まで、すごくメイヴィスが好きそう」

「えへへ、付き合ってくれてありがとう」

「いえいえ、こちらこそ。一人じゃ絶対来ない場所だしさ、俺も楽しいよ」

「ほんとっ?」

「うん」


 運ばれてきたのは小さなピンク色の、タルトというよりはカップケーキに近い見た目のもの。

 少し背の高いそれをフォークでスッと切って口に運ぶ。


 しっとりとした生地にシナモンやカルダモンの効いた砕いたジンジャークッキー、そして粒つぶのアーモンドが合わさった食感、ほんのりラム酒がかおって……何よりもとろっとのった甘ずっぱいラズベリージャムがアクセントになって美味しい。


「あっ、その顔。どうやったらコレ作れるかなって考えてるでしょー」

「バレた?」


 ——でも。


 にっこりと微笑み返しながらも。


(タルトよりも、ジャムよりも。どうやったら笑ってくれるかなーって考えてたことは、バレてないみたいだ)


「今度はバスクも一緒に来ましょ? 春先はね、川の赤倉庫と花が綺麗なんですって」

「そうだね」


 その春に、今度こそ大尉と一緒に来なくていいの? とか。

 色々思いはしたものの。


 今はこの時間を大切にしよう、とそっとバルクホーンは微笑み。紅茶を口に運ぶのだった。

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