elf. グロッギ
シナモンスティック、グローブ、ジンジャー、カルダモンにオレンジピールとリンゴの皮。ほんのちょっとだけ、ドライクランベリーは多めで。
水と一緒に鍋でグツグツ煮込み、水分量が半分ほどになったところで火を止める。一旦それを漉して、今度はクランベリージュースとグレープジュースを加えて温める。
ほんのり甘いフルーツの香りが室内に広がっていくと、火を止めたそれをステンレスのタンブラーへと注いでいく。
スライスアーモンド、レーズン、シナモンスティックを半分に折って二つに分けたそれぞれのタンブラーへ入れる。ほこほことした湯気と、甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
「よし」
蓋を閉めると、バルクホーンは部屋着から軍服へと着替えて準備をする。
神への信仰なんて無いに等しい現在の原則主義派の国家では、クリスマスを祝うのはタブーだ。それもそうだろう、元を正せば信仰されている聖人の生誕日なのだから。
子供の頃の平和な時代のクリスマスを知っている身としては、この慣習は少々寂しく感じてしまう。暖かな光や音楽、食べ物の溢れたクリスマスマーケットは、幼い頃の自分には夢の国のように見えていたからだ。
ミサなんて行わない代わりに、ここスオミでは昔の大戦の独立記念日が大きな十二月の催しとなっている。
そんな今日は、偶然にも陸軍部にいる小さな狙撃手の誕生日。
あの豪快な陸軍大佐、連合軍第13師団第二連隊隊長のアルベルト・ルネ・ユカライネンが目に入れても痛くないほど、まるで息子のように可愛がっている狙撃手の誕生日だ。派手好きな大佐はまるで神への挑発かのように、その日を盛大に祝うのが習わしになっていた。
ということで、そんな陸軍の最主力達のどんちゃん騒ぎの中、基地の見張りはその他の部隊へと回ってくることが多く。
近年は目のいいメイヴィスの部隊がその主力を担っていることがほとんどだった。
何かあった際の出撃要員としてここ数年は自分の部隊も総員で同日待機させられていたが、ここにきて、本年度自分の部隊に入ってきた規格外のパイロットの存在が少々そのスケジュールを狂わせた。
狙撃手、スロ・ハユハが親友と呼ぶその部下を祝い事に参加させないわけにはいかない。勿論本人は自分の役割を自覚し、「祝い事は別の日にでもできますので、ローテーションは崩さずとも」と進言してきたが、やはりそこは大佐である。
いつのまにか四〇四分隊のスケジュールが丸ごと引っこ抜かれており、驚くよりも苦笑するよりも先に、沈痛な面持ちになっているルードルマンを見て声を出して笑ってしまった。
自分としても、緊急時でなければ若い部下達にはなるべく人生の中で楽しい経験や思い出は作っておいてほしい。自分達に任せろ、と中堅勢でローテーションを組み直し、該当の分隊にバスクを預けた上で参加させている。
夏に自分の元へやってきたキーサの弟。人生も、運命も歪められてしまった彼は、とても不器用でそれでいて根っこの部分はとても優しい。
本質的に、彼はルードルマンと凄く似通っている……バルクホーンはそう感じる。
余計な事は何一つ喋らないスロの存在も、若干戸惑い当初は「気持ち悪い」とさえ言っていたが、一緒にいて居心地は悪くないようである。
担当してくれる整備員のノーラ、よく一緒に勉強や昼食を共にしてくれるという日ノ元出身のアラヤという陸軍の兵は歳も近く、その二人と会話している光景もよく見かけていた。
せめてあの子にも友人ができれば……そう思っていたが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
「さて」
バスクを送り出した後に仮眠をとり、時刻は間も無く
手には先ほど用意した二つのタンブラーが握られていた。
***
「さっむいねー」
「そうだな」
基地の見張り台に登れば、ちらほらと舞っていた雪と空が近くなる。
絶景は絶景だがものすごく寒いことに変わりはない。
「……ってあれ? キミ一人?」
交代のために登ったはずが、先にそこにいたのはメイヴィス一人だった。
本来、彼女はスオミ出身の別の隊員と共に見張りで、ここで自分と交代して仮眠後に再度深夜に別の見張り台に移動し、部下二人と一緒に夜通し待機のはずだが……。
「本来担当だった奴がこの寒さで熱を出したそうだ。人数が狂ってしまってな、ディーとダムにあちらを任せて私がこちらに夜通し待機だ」
「あれま……」
突然決まったのだろう、ずっとここに居たという事は一睡もしてないはず。まあ仕方あるまい、とメイヴィスは慣れっこのように一人着込んだ上から毛布を羽織って空を眺めている。
「じゃ、丁度いいや。交代のタイミングで渡そうと思って持ってきたんだけど」
はい、と手に持っていたタンブラーを一つ渡す。
行き場をなくしたもう一つは、自分がそのまま頂戴しようかなと手元に残す。
「あと、気にしないでいいよ。ラクにしたら」
受け取ったメイヴィスにそう言って微笑めば「調子狂うわね、うっかり普段も出ちゃいそうだから自重してんのに」とプイとそっぽを向かれた。
「あっ、ちょっとこれノンアルじゃない」
「いや、ほら、仮眠前だしと思ってたから……」
「でもおいしー。冬だなぁって感じ」
文句は一旦言わないと気が済まないらしい。なんだかんだ美味しそうにタンブラーの中身を口にするメイヴィスに、バルクホーンは苦笑しつつもその隣に腰掛けた。
スパイスでしっかり身体の底から温まる、先人の知恵のようなドリンクだ。ワインを煮込む大人のグロッギが定番だが、ジュースで作るノンアルコールも勿論美味しい。
クランベリーを多めに入れたのは、彼女が好む味だからだ。
少々甘ったるかったかなぁと思いつつも、空の向こうを眺めてバルクホーンもそれを口にする。
もう移住して何年にもなるが、やはり北欧の冬は段違いに寒い。
刻々と夜が更けていくにつれ、降ってくる雪の量が多くなり始めた。
「寒くない?」
「そうねー」
問いかけた横顔は空を眺めたままだ。
着込んでいるし、ストーブと毛布はあるもののやはり寒い。
「マフラー、似合ってるじゃない。やっぱ正解だったわね」
ふと、声をかけられて隣を見やる。
「ありがとう、俺じゃこういうの買わないし、あったかくて重宝してるよ」
「任せなさいって。あーわたしも買えばよかったなぁ、今度探そうっと」
そう言いながら、メイヴィスはファーのついた襟元に顎先を埋める。
バスクにマフラーを買った時に、「アンタにも買ってあげる!」とブラックウォッチタータンチェックのマフラーをプレゼントされたのだ。軍用の飛行服のマフラーがあるからいいと一度は断ったのだが、ダサいという一言と「これ以上遠慮するとサイテーよ」と半ば脅されるような言葉に根負けして受け取っていた。
結構良い物だったのだろう、幅もしっかりとあって素材も暖かくチクチクしない。
「寒いの?」
「まーね、今何度だと思ってるのよ」
いくらスオミ出身でも、寒いもんは寒いわよ。そう話しながらも、視線はもう空へと向いている。
吐く息は白く、若干降りこみはじめた雪がその足元に白く点々と跡をつけていった。
ふっと、首元に当たる風が遮られる。
「……何してんの?」
「えっ? だってメイヴィス、寝てないんだろ? せめて風邪ひかないように」
「いや、だからってアンタの欲しいなんて一言も言ってないんだけど」
「おじさんがあっためといたから、ぬくいでしょ?」
ニコッと言いくるめるように微笑まれて、なんだか悔しい。
その首元を包むように、メイヴィスの首には先ほどまで彼の首にあったマフラーが巻かれている。
でも——。
すぐにほどくのは名残惜しいな、と内心感じつつもメイヴィスは少し唇を尖らせてそのマフラーをするりと外していく。
「こっちだって。アンタに風邪引かれたら気分悪いんですけどー」
ほら、と少しその自分より上背も厚みもある肩に寄り添い手を伸ばす。
「えっ、ちょっと、何……」
「長いの買ってよかったね。わたし天才じゃなーい??」
にこっとして、メイヴィスは二人を一緒に包むようにマフラーを巻き直した。
「あったかいー!」
にこにことしながらグロッギを口に含み、だけどその視線はもう空へと向いていて。
(敵わないなぁ……もう)
頰が当たりそうな距離の温かさに、少し戸惑いつつもバルクホーンははいはい、と困ったように笑って観念したようにその身を寄せた。
「せっかく皆が楽しんでいるんだもの。今日が、この夜が、平和だといいな〜」
「そうだね……」
隣にある温もりに、甘ったるい口当たりの温かさに。
正直言えば、バルクホーンは寒さをほとんど感じなくなっていたのだけれど。
なんとなく、もう少しだけくっついていたい。
そう空を眺めながら唇が弧を描くのを感じたメイヴィスは、銃弾の代わりに今夜は雪だけが空から降ってきますように……と心から願うのだった。
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