neun. ロウリュとコスケンコルヴァ

 我が敬愛する上官、ユカライネン大尉は天性の人たらしであり優男だ。

 これはおそらく、連合軍の飛行部隊、特に彼直轄の第8中隊に所属する者なら誰でも思っているはず。


 というか……ユカライネン家の血筋なのだろうか、性格は全く違えど彼の兄であるアルベルト・ルネ・ユカライネン大佐はまぁ豪快で、それでいて人望も厚く人の事をよく見ている。あの意味のわからないワンマンアーミーっぷりさえなければ、ついていきたい頼れる上官ナンバーワンを獲得する男なのではないだろうか。

 弟も同様、理不尽な程の力を持ちながら、ふわふわひらひらと人を躱すところは戦闘機の操縦と同じ様で。


 さて、話を戻せば本日は無事に戦闘も終了し、誰一人欠ける事なく中隊のパイロット勢も帰投。少々ご機嫌なユカライネン大尉は、報告業務等も今日はさほど小難しくないらしい。見ればわかるほどの、花の咲いたような笑顔でロッカールームにいる中隊の部下達に対して唐突に告げたのだ。


「そうだ、久しぶりに皆でLöylyロウリュでも」


 沸き立ったのは大多数の兵であり、皆乗り気でこの申し出にノったのだが、これに対してロッカールームで気難しい表情をしている兵が若干数名。


「あっ、ダメだよルードルマン。拒否はお断りだ、大丈夫だよシュヴァルべは連れていかないから」


 にっこりとした良い笑顔で先制して釘を刺される部下に、やれやれと視線を送りながら着替えているのは彼直属の小隊の隊長でもあるバルクホーン。

 人付き合いがあまり得意ではない上に、生来の仏頂面で隊外では恐れられる事も多いこの部下だが、数年来の付き合いでもうその仏頂面が照れと戸惑いから来るものだという事はわかっている。


「い、いえシュヴァルべはどうでもいいんですが……あの」

「ん? 大丈夫、酒も飲まなくてイイし。あっ、牛乳なら私が奢るから気にしないで一緒に来てくれ」

「……」


 にこにこと上機嫌のユカライネン大尉に渋々ながら頷くその表情に、すぐ横にいたガードナーが親のような視線を向けているのがわかって、思わずバルクホーンは小さく噴き出す。

 その姿は、本日の任務では喜色満面の表情で戦車大隊を壊滅させていたとは思えないほど、実際の年齢よりも幼く見えた。俯き気味の表情の中には、お気に入りの自分の小さな部下が、この男所帯の中でユカライネン大尉の趣味に連れて行かれずに安心しきっている感情が含まれている事は明白で、それに気づいたガードナーと目が合ってもう一度二人して笑いを堪える始末だ。

 あと多分、牛乳にも釣られたのだろう。背も大きい上に、不遜にも見える態度が目立つ部下だが、知れば知るほど可愛く見えてしまう。

 これもまた中堅軍人ならではの思いなのだろうと、一人親のような気分になり感慨深い。


「よかったっすねー少尉殿っ。じゃっ心おきなく皆でいきましょーよー」とその大きな背中をバシバシと軽く叩いているのはこれまた自分の直属の部下で。この人懐っこさが軽くも見えるが隊の中で大きな緩衝材となり、よく自分も助かっている。

 彼自身も、パイロットを志すキッカケともなったユカライネン大尉と一緒にどこかへ行ける事が嬉しくてたまらないらしく、これもまた表情で丸わかりだなとバルクホーンは苦笑した。


 ロウリュとは、このスオミの文化の一つである、いわゆるサウナの事。

 熱したサウナストーンの上に水をかけて水蒸気を発生させるもので、この国出身の人達の憩いの場の一つでもある。

 最近はアロマオイルを加えた水をサウナストーンにかけるところもあるらしく、リフレッシュやデトックス、もちろんこの寒いスオミの気候の中では最高の気晴らしの一つ。


 人と会話するのも好きな、我が上官の大好きな場所でもあり、同じ小隊の三番機をしていた頃はしょっちゅう連れて行かれたものだ。

 ……うーんしかし。今回はこんな皆がいる場所で全員を誘うなんて。

 バルクホーンはどうしたもんかと内心少し頭を抱える。




「……私は、参謀本部への報告がありますので。ディー、ダム、お前達はいいよ、大尉と一緒に行ってこい」


 いち早く飛行服を着替え終え、皆の談笑に加わらずにさっさとその場を立ち去ろうとしているのはメイヴィスだ。

 要領を得ているのか、声をかけられたディーとダムは「うぃーっす」「りょっす」と軽く返事をしている。


「待ってよメイヴィス。いっつも君つれないよね。小隊長になって頑張ってくれてるのは嬉しいんだけど、たまには昔みたいに一緒にどうだい?」

「えっ……」


 立ち去ろうとした瞬間に、その手首をユカライネン大尉に掴まれて。氷の女王様とかドS中尉と周囲から言われているほど、クールな表向きのその表情が一瞬戸惑いに揺らぐのが見えて、思わずバルクホーンはため息をつく。

 こちらとしては応援してやりたい気持ちでいっぱいなのだが、流石に女性の内心に関しては疎いどころか鈍すぎるのは過去の経験で実感済みだ。


「えっと、ユカライネン大尉。メイヴィスは今から参謀本部に」

「あっ、バルクホーン。キミいっつもそう言って邪魔するじゃないか。そういう真面目に仕事第一な精神は二人とも立派で嬉しいんだけどね、たまには私に付き合ってくれてもいいじゃないか。ディーとダムだって立派になってきたんだし、参謀本部には二人を行かせるのも上官としての指導の一つじゃないのかい?」


 そうじゃねーんだよぉ大尉殿ぉ! とあからさまにうげっとした表情になったディーとダムに、もう少し表情を慎めと内心叱りながら視線を飛ばす。


「あ、あの。本日は俺とヒロシが行くのでメイヴィス中尉は……あの、その」


 ルードルマン。頼む、内情を知っているお前が一生懸命フォローに回ろうとしてくれているのはわかるんだが、全然フォローになってないし、後ろでヒロシ曹長がキョロキョロしているからやめてあげなさい……。


「えーっ、なんなんすか。皆して? ってかメイヴィス中尉一人モデルさんみたいだから、無理にそんな行かなくてもいんじゃないすか? 多分よこしまな隊外の奴らまでやって来ちゃってパンクしちゃいますーって」


 んんんーっ、ハートマン。事情を知らないにしろ、なんてお前は察しがいいんだ、誰も傷つかずに「あーそうだなぁ」って思える理由を述べてくれてありがとう。でも、その言い方な? ここにいるの、階級はともかく全員お前より歳上だからな?


 バルクホーンは内心ツッコミを入れつつ、困ったような笑顔をそのままユカライネン大尉に向ける。頼む、大尉、察してください。


「メイヴィスが綺麗なのは昔からじゃないかー。ほんと、キミあんま年齢が出ないから羨ましいよね。ハートマン、キミが来る前はメイヴィスって結構広報誌に載っていたくらいなんだよ、そんな今更な事……。それに男同士なんだし、そんな感情持ち込む方が何考えてるんだって話じゃないか。私達がいるから大丈夫だろう? ねっ、メイヴィス?」


 大尉、最悪です、やめてあげてください。色々刺してます。

 あああ、ディーとダムがあからさまに顔を歪めてるし、ルードルマンが冷や汗をかいてるし。

 他の隊員達だって、えっじゃあ皆で行く? みたいな雰囲気になってるじゃないか。


「あっ、あの私は……」


 大尉大好きで断りきれないメイヴィスが出てきてしまってる、これはまずい。バルクホーンは娘を案じる親の気持ちで必死に考えた。


 そもそも軍にいると決めたのは本人だ。そこは本人も重々承知してる、皆の前では冷たい小隊長と男性でいようと努力してるのも知ってる。

 でも自分が女性の中でサウナに入れと言われたら死んでも断りたい。

 多分、彼女は今それと逆の気持ちのはずだ。ユカライネン大尉の素っ裸を見るのが恥ずかしいとかそういうのも含めて。


 必死に思案しすぎて胃が痛くなって来たバルクホーンは、ふとそこにあった誰かの置いている瓶に目をやる。


(もう俺の評価とか別に気にしてないしなぁ)


 ハートマンは口の利き方がまだ若いながらも、立派に人を思いやれる子に成長した。ルードルマンも軍事行動についてはなんの問題もないし、立派な指揮官たる要素は持っている。ヒロシ曹長だって、あの妹に対するデカすぎる感情の暴走がなければ、一番指導者と指揮官に向いている人材だ。

 ガードナーだっている、何か起きても大丈夫だ。


(後は任せたっ、みんな……!!)


 流石に小隊長を護ろうと口を開こうとしたディーとダムの焦りまくった表情を横目に、バルクホーンはそこにあった瓶のキャップを開きありったけの中身を喉に流し込んだ。


「ちょっ! バルクホーン!?」

「おい! それは……」


 メイヴィスと大尉が引いた顔でこっちに手をやるのが見えた。


(いや、さすがにこのパッケージと名称はいくらダイチェ出身の俺でも読めるし、知ってますけどね……)


 喉と脳みそが沸騰しそうなほどカッとなってくるのを感じながら、バルクホーンは手にした瓶を見やる。


「あっ、すみません。てっきり、これ、水かと思って……ごめん、メイヴィス、バスクを……おね、がい」


 どさっ。


「バルクホーン!!?」「中尉っ!!」


(わざとらしかったかなー。なんか俺までシュヴァルべの影響受けてないか、コレ? ……あっ、でもとりあえずもう無理)


 薄れゆく意識の中でバルクホーンはそう独り言ちる。


「おいバカ! しっかりしろ! おいっ、バルクホーン」


 倒れないように受け止めてくれた、聞き慣れたその声に笑い返しながら、バルクホーンは意識を手放した。

 

 手にしていた瓶のラベルに書かれていた名称は『Koskenkorvaコスケンコルヴァ』。

 アルコール度数60パーセント超えのヴィーナ(ウォッカ)だった。




***




「つか軍にいるって決めた時点でそれくらい腹ァ括れや! なんで俺ダシにされてんだよ!」

「ご、ごめんなさい……。だって、だってあんな事するだなんて思わなかったんだもん!」

「いや、てかコイツを抱えて家に運べてる時点で、お前それ女の腕力じゃねーからなクソアマ! そこんとこ自覚しとけや!」

「わーん! そこまで言わなくてもいいじゃない! 自分だって、メディカルチェックでノーラに素っ裸に剥かれても顔色一つ変えられなかったの割とショック受けてんでしょ!」

「ルッセェ! ころすぞ!!」


 あたまがいたい……。

 響いてくる言い合いの声に薄目を開ければ、見慣れてきた官舎の自宅の天井が広がっている。


「けんか、しないでね」


 ふわふわする頭の中で、そう声を絞り出す。


「ふたりとも、そんなこと思ってないの知ってるから。わざとつんけんしなくていいんだよ」


 せめて、この家にいる時くらいは、傷つかないで——。


 あーやっぱり気持ち悪い。目を開け続ける事すら出来なくて、バルクホーンはまた深い意識の底へと沈んで行く。


「もう、本当嫌になっちゃう。割とコイツ手段選ばないタイプよね……」

「だから俺コイツ嫌いなんだよ……」


 一人は水差しを用意し、もう一人は口と電動車椅子を器用に使いながらその毛布を掛け直す。




 バルクホーンの意識を失う程の決死の行動も虚しく。


 着替え途中に倒れたというバルクホーンを、毛布で包んでお姫様抱っこして運んだ氷の女王様がかっこよすぎたと。

 何も知らずに気づけば隊内外で噂になっており、後日青白い顔で謝るバルクホーンに「バカが。当然の対処をしただけだ」と冷たく言い放つメイヴィス中尉の、隠れファンが増えた事は言うまでもない。

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