acht. ケーゼシュペッツレ

「ハートマンの結婚式なんだけどさ、バスクも行くだろう?」

「はぁあ?」


 夕食の後片付けをしながら、さも当然のようにバルクホーンにそう声をかけられ、バスクは読んでいた本から顔を上げて怪訝な表情のままキッチンに佇むその姿を睨んだ。


「なんでだよ。俺アイツ嫌いなんだよ、お育ちの良さは滲み出てやがるし……ヘラヘラしやがって」

「よく見てるじゃないか」


 にっこりと笑みを返されて「俺の話聞いてたか?」とますます不機嫌な表情になる。


 最新機器を操縦していた自分を、天性のテクニックと咄嗟の機転により旧式のプロペラ戦闘機で墜とした天才。バルクホーンの部下であるその御曹司が此度結婚するという。

 別にそれはいいのだが、何故命のやり取りをした自分がソイツの新しい門出を祝わねばならないのか? 自分との戦闘で死にかけた上、信頼している上官を傷つけられて散々ショックを受けていたクセに……。それでも自分の事を気遣いつつ、にこにこといつも声をかけてくる彼が、正直バスクは苦手だった。


「いや、俺は立場上ね、絶対参列だし。キミは家族だし」

「ざけんな、居候だ。俺は死んでもテメェの家族じゃねぇ!!」

「……はいはい」


 ふん、とわかりやすく拗ねたように呟くと、再びバスクはその視線を目の前にある書籍へと落とす。譜面台のようなスタンドに本を広げ、口にくわえた指示棒でそれをめくる。

 当初はバルクホーンが膝の上にバスクを乗せて本を捲ってくれていたのだが、流石に見た目は子供のままで止まっているとはいえ、本来の彼の年齢は二十二歳。本くらい自由に読めるようにと、指示棒なら危険に値しないと上にバルクホーンとノーラが直訴してくれたらしい。


 最近はもっぱら、メカニックや導線関連の書籍を読み漁っている。

 本来ならパイロットでもあり、どちらかといえば小説の類が好きなバスクが、少しでもノーラの会話に役に立とうと勉強を始めたのは丸わかりで。

 バルクホーンとメイヴィスは敢えて何にも言わず、それを微笑ましく見守っている。



「なぁ……」

「ん?」


 洗い物を終え、コーヒーカップを手に食卓の椅子に腰掛けたバルクホーンに、バスクは指示棒を口から離して声を掛ける。


「お前は? 結婚しねーの?」

「はあっ!?」


 予想外の問いかけにゲホゲホと思いっきり咽せた。

 何を……と見れば、当のバスクは珍しくキョトンとした表情でこちらを見ている。


「何……言い出すかと思えば。俺がそんな事考える相手が居ないのは、一緒に住んでたらわかるだろう?」

「だってよ……」


 むう、と考え込むように俯いたバスクに「どうしたんだ?」と声を掛け、コーヒーカップを持って立ち上がるとその隣に腰掛ける。


「お前、指輪してねーじゃん。十年、経ってんじゃん……だから、その」


 ああ、とため息をつくように呟いて、バルクホーンは襟元に手をやると、普段は見えないチェーンをそこから引っ張り出して見せる。


「戦闘機乗りだからさ。腕と一緒に失くさないようにと思って……」


 ネックレス状になったチェーン。そこに付いていたのは軍人ならではのドッグタグではなく、一つのシルバーの指輪。


 あっ……、そう思わず表情に出たのは繕えただろうか。

 そこにあったのは。紛うことなく自分の姉が大切そうに指にはめていたモノとそっくりで、だけどそれよりもサイズの大きな指輪。


 それを見やる視線、慈しむような温かな眼差しは姉が向けていたそれと似通っていて。


「弟だけは、この子だけは助けてください……!!」


 そう叫んだ姉。姉が愛した人から、その姉を奪ったのは、本当は自分かもしれないのに。


 言えない罪悪感と、告げる勇気すら無い自分。



(姉ちゃん……、良かったの? 姉ちゃんはコイツといれば幸せになれたんじゃないの?)



 だからいっそのこと。忘れてくれた方がいいと思ったのだ。過去に辛い別れや恋愛をした人間だって、案外次に愛する人が見つかれば救われていく。そんな小説は沢山読んだのに。


 なんでそう、「自分はもういいから」って簡単に言えるんだろ。きっと心の底は簡単じゃないんだろうけど。


 抱きしめる手もない。未来も、その笑顔の先に自分の子供を見せてやる事もできない。そんな自分よりも。


 誰かの顔が脳裏によぎったような気がして。それを打ち消すようにぶんぶんと首を横に振る。



「バスク? バスク、大丈夫? ごめんね、辛い事思い出した?」


 気がつけば、そう呼びかけながらこちらを覗き込む心配そうなバルクホーンが視界に広がって。

 ちっとわざとらしく舌打ちをする。


「ルッセェよ。女々しくそんなん取ってんじゃねーよ、もうはめる相手いねーんだから……捨てちまえよ。なんつーか、痛てぇだろ」


 うまく言えない、そんな言葉に怒りもせずに。それをぶつけた相手は困ったような笑顔で微笑むだけだ。


 そうやって。いっつもいっつも。

 もう自分はいいから、って。人の事ばっかり。


「俺、やっぱオメーのそういうとこ、すげぇ嫌いだわ」




***




「で、結局義弟おとうとくんは来てくれる事になったんすか?」

「ん? ああ、なんとかな。あの子も口は悪いけど……どう人の幸せを祝っていいかわからないんだよ、きっと」

「まーね。しかも俺達一回は空で命の奪い合いしてますもんね」


 にこっと笑う部下のその首には、結局大きな火傷の痕が残った。多分それを見てもいたたまれなくなるのだろう、ハートマン自身も気を遣ってか今までつけなかった飛行服のマフラーを軍服での勤務以外はなるべく着けるようになっていた事はなんとなく察していた。


「俺としては、あの飛行テクニックは是非とも学びたいところではあるんですけどね〜」

「だからって、自分を墜としたパイロットから出会い頭に明るく声かけられたら、俺だって警戒するぞ……」

「えーっ。もうそんな事、お互い生きてたんだからさらっと水に流しましょうよ〜」

「誰も彼もがお前みたいにお気楽じゃないんだぞ……」

「えーっ、そこはポジティヴって言ってもらえません? せっかく歳も近いんだし、友人になれるかなってワクワクするんすけどっ」


 義弟おとうとくん用の礼服でしたら俺見繕いますんでーと、屈託無く笑うその綺麗な笑顔に「そういうところだと思うぞ」とバルクホーンは苦笑するのだった。




 寒くなって来たし、少しこってりとして……何かそれでも優しい味わいのもの。

 そう考えていて、ふと故郷の料理を一つ思いつく。迎えに行きながら夕飯のレシピを考えるなんて、もう親の気分だなと自嘲気味に笑う。


「シルト、手際がいいからキッチンに一緒に立てるの楽しいね」


 にっこり笑っていたその小さな背丈。忘れられるわけもないのにね、とため息をつきながらバルクホーンは陸軍部へと向かった。




***




「で? どこの世界に、料理作り出してから主食になるべきパスタ買い損ねたなんて気づく奴がいるのよ? なに? おじさん調子悪いの?」

「いやぁ、面目ない……」


 フライパンにオリーブオイルをしき、玉ねぎとベーコンを炒めたところでふと肝心のシュペッツレがない事に気づいた。

 やっべと思い咄嗟に隊舎にいるメイヴィスに連絡して、代わりにマカロニを食堂から分けてもらう始末だ。


 少し柔らかめに茹でたマカロニを先ほどの具材に加えて塩コショウをふり、少し炒め合わせる。卵を使っているシュペッツレをマカロニに変えたぶん、ゆで卵も一緒に作り、それをフライパンに加えて砕きながら混ぜていく。生クリームを加えて少し煮立ったらチーズを加え、全体がとろりとするまでゆっくりかき混ぜていく。


 器に盛り、刻んだネギとフライドオニオンをのせれば、ダイチェの家庭料理ケーゼシュペッレ(マカロニで代用したが)の完成。


 結局、マカロニを分けてもらったからと、メイヴィスも一緒に食卓につく事になり、バスク用のスプーンをひょいと奪われる。


「明日早いんでしょ? 食べて早めに休んだら? わたしやるから」

「うーん、俺別に具合悪いわけじゃないんだけど……」


 メイヴィスのキツめの視線に合わせ、大の大人がスプーンの奪い合いをするのもどうかと思い、渋々ながら従う。


 卵とチーズの塩味がしっかりきいて、コクはあるのにくどくない。

 どちらかと言えば肉が多く、塩味の濃いめなダイチェの料理にしてはまろやかな一品。とろりとしたチーズの風味は濃厚ながらも、口当たりもよくネギとフライドオニオンがアクセントになって、その味とともに食感も楽しめる。


 面倒な下ごしらえもいらないこの料理は、昔から家庭の味としても、お祭りの一品料理としても出される、そんな故郷の味。

 しかし……なんだか懐かしすぎる味な気がして、口に入れるたびに不思議な表情になっていく。


「……キーサもよく作ってたよ。弟がチーズ好きだから覚えたって」


 肩の力を抜くように、ふうと息を吐きながらバルクホーンが言う。


「なんだか……あの頃はさ、二人でいる時間を大事にしたいなって思ってたけど。もっと早くキミに会いに行けばよかったね」

「ルッセェよ。たられば言ってんじゃねーよ。楽しかったんならそれでいいじゃねーか」


 おや、と目を丸くするバルクホーンに。次の一口を飲み込んだバスクが相変わらず睨むような視線をぶつける。


「ああムカつく、姉ちゃんみてーにぽやぽやしやがって。似たモン同士じゃねーかよ」

「ちょっとバスク……」


 若干嗜める口調のメイヴィスに「ウルセェ」と弱く返して、バスクは小さく息を吐いた。


「そんなに会いたきゃいつでも俺がブッ殺してやる……」


 その表情がとても辛そうなのを察して、メイヴィスは困ったような表情でその頭を撫でる。


「テメーもだクソアマ」

「ふん、いつだって相手してやるわよ。だから長生きしなさい、ねっ」


 あぁ? と睨み返しそうなその口に、スプーンにてんこ盛りにしたケーゼシュペッツレを押し込む。


「よっぽど愛されてんのね、キーサって人。アンタら二人に」


 羨ましいわぁ〜、と一人呟くメイヴィスは自分の分の料理をパクリと口に含む。


「あっ、おいしー。これは白かなーっと」

「えっ? 飲むの?」

「はぁ? 当たり前でしょ」

「ん、んぐっ。このっ、窒息するだろーがクソアマ!」


 二人の視線をそれぞれ見返し、メイヴィスはワイングラスを片手にクスリと笑う。


「ねぇ、そんな二人の大好きな女性なら、メソメソされんのは嫌うんじゃなーいのー? なんかアンタ達、性格全然違うのに落ち込み方そっくりで見てらんないんだから」


 ばーか、ばーか。そう連呼されながら、一人は苦笑し一人は思い切り舌打ちを返す。

 ふたつのグラスにはドボドボと白ワインが、ひとつにはエルダーフラワーのシロップと水が注がれていく。


「なんだか、妬けちゃうね。わたし、結構二人と一緒に過ごすの好きなんだけどなーっ」



 その悲しみが、深い苦しみが、痛みが。

 料理のようにとろけて混ざり合いますように。



 折り合いつけなさいよ、お互い。その過去にね。飲みながら、しれっとそう呟けば——。


「テメーが言うなや、クソアマ」

「キミの片想いこそ。何年選手だい?」


 バスクはともかく。珍しくワインを一気に煽ったバルクホーンに少々意地悪な口調で言われ。真っ赤になったメイヴィスは「バァカ」と一言拗ねたように言い放つのだった。

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