sieben. ブルーベリーパイもしくはタルト

 目が覚めると、見慣れた隊舎の二段ベッドから見える光景とは別の天井がそこには広がっており、ハッとしてメイヴィスは身体を起こす。


「うっ……」


 頭が痛い……。まっすぐ起き上がれずによろけたところに、誰かが近づいてくる足音がする。


「おー、おはよう。大丈夫? 水飲める?」

「あれ……? バルクホーン?」


 背中を支えられて、水の入ったグラスを渡される。

 目の前がグラグラしながらも、両手でグラスを受け取り水を流し込んだ。


「……あたま、いたい」

「でしょうね、あれだけ飲んでりゃそうなるよね」


 あからさまに呆れた口調で言われて、むうと横を見る。


「隊舎、戻れなさそうだったからウチに運んだよ。軍服、一緒に洗ってるから今日持って帰るんだよ?」


 あれっ? と見れば、いつのまにか若干身幅の余るスウェットに着替えさせられ、ベッドに寝かされていた。


「ごめんなさい……」

「いや、いいけど」


 顔を上げれば、冬のスオミは昼の時間帯が短いというのに、部屋にはもう日が差し込んでいて。隣のベッドにいるはずの少年は、既に陸軍部に送り出された後だった。 


「何があったの?」優しく問われれば、下を向いて口を噤んでしまう。

 いつもなら。部下達が倒れるほどなんて絶対飲まないし無理はさせない。酒癖が悪かろうが何だろうが、そこはしっかりしているはずなのに。


「シュヴァルべが……元気なさそうだったから」

「うん」

「ルードルマンとも、ちょっとギクシャクしてない?」

「そうだね」

「だから、その……」


 俯いた頭に、ポンと優しく手が乗せられる。


「あの子達はまだ若い、そういうのだって自分達でゆっくり心の中で消化していくんだよ」

「余計な御世話だったかな……」

「いやいや。シュヴァルべはキミの事を尊敬してるし、昨日は楽しそうだったし。……ウチの部下二人を心配してくれて、可愛がってくれてありがとう」


 で? と手に持っていたグラスを一旦取られ、サイドテーブルに移された。


「あの子もそれなりに抱えてるものはあるけど。優しくて強い上官達や、温かい友人、最強のお兄さんに囲まれてる恵まれたウチの部下は別として。辛くても愚痴も吐くに吐けないどこかのお姉さんは、何があったんですか?」


 見透かされてるように支えられた背中を優しく撫でられて、思わず目の前にあったその袖を掴む。


「ノルゲに。昔の上官がいて……怖くて」

「そっか」

「でも、何言われても。わたしのしてきた事って変わらないから。だけどそれで、自分の部下まで汚れ物みたいに言われるのが……申し訳なくって」

「うん」


 ぎゅっと掴まれた袖に力が加わったのが見えて、そっと優しくその身体を引き寄せる。一瞬、拒むように強張ったメイヴィスの頭をそっと肩に乗せ、後ろから優しくトントンと撫でた。


「大丈夫だよ。しんどい時は、せめてウチでは楽にしなさい」

「なんかこれ、お母さんみたい……」


 肩の緊張が解けて、ゆっくりとその体重を預ける。

 泣くようにその肩が少し震えていて、バルクホーンはよしよしと再度その頭を優しく撫でた。


「何にも。汚れてなんかないよ」

「ほんとう……?」

「うん。キミはもう少し、自分を許して。労わんなさい」

「だって……」

「中隊の皆が、今更何か思うもんか。いつも仕事をビシバシこなすメイヴィス中尉の事、ちょっと恐れてるし皆尊敬してるんだから」


 皆には、言ってもいいと思うんだけどな。キミの本当の姿。そういうと、わざと表情を見ないように抱き寄せたその顔が震えて、その頰を涙が流れ落ちるのが伝わってくる。


「誰も彼もが、アンタやシュヴァルべみたいじゃないのよ……」

「そっか……」


 母だって認めてくれなかった。そんな自分を今更どうやって。

 そう思えば涙は止まらず、出すつもりもなかった嗚咽がもれる。


 あんまり泣くと、目が腫れて明日マヌケな顔で出なきゃいけないぞー。そう言われて、メイヴィスは思いっきりそのわき腹を拳で殴りつけるのだった。




***




 エルダーフラワーのシロップを水で割ったものを飲ませて、少しふらつきの治ったメイヴィスをバスルームへ追いやる。


「ねー、隊舎から着替えとってきてよー」

「はぁ? 身長あんま変わらないだろ、今日くらい俺の服貸すって」

「いやー! ぶかぶかだし、おじさんの服全部地味なんだもん」


 はいはい、と呆れたように返すと、シャワーの音が聞こえてきた。

 仕方なく隊舎に向かい、適当に服を取ってくる。

 今朝方、這うように部屋に戻ったらしいディーとダムが呻く声が聞こえてきて、「おい、水置いとくからちゃんと飲めよー」とペットボトルをそれぞれのスペースに投げ入れた。


 この二人の状況を見れば、如何にメイヴィスの方がアルコール分解能力が高いか手に取るようにわかって、バルクホーンは少しゾッとするのであった。




***




 薄力粉、バター、砂糖を分量通りにはかり袋に入れ、そこに卵黄一つとバニラエッセンスを加える。袋の口を閉じてよくこねて揉み、ひとまとまりになったら少し形を整えて冷蔵庫へ。


「これでいいの? 簡単すぎない?」

「でしょ? タルトってね、案外肩肘張らずに作れるものなのよ」


 甘いものが好きなバスクにタルトを作って待っていようと言い出したのは、驚異の回復力を見せたメイヴィスだ。

 彼女のアルコール分解能力が恐ろしくて、聞きながらバルクホーンはぐうの音も出ない。


 外出許可をもらい、まだ日の出ている間にと市場へ急ぐ。少しの買い足しと買い物を終え、メイヴィスの足は沢山のベリーが樽に山積みにされた売り場へと向かった。


 スオミの人達にとって秋のベリー摘みは大切な生活の一部、ジャムや生でも食べられる上に貴重なビタミンの摂取源。その山積みにされたベリーから、目ぼしいものを袋に詰め、会計を済ませていく。

 買い物を済ませれば、あとはまっすぐ基地へと帰るだけだ。



「じゃあ、タルト生地を綿棒でのばして。型を覆うくらいのサイズにしてね」


 冷蔵庫の中でひとかたまりになっていた生地をバルクホーンに任せると、メイヴィスは手際よくアーモンドクリーム作りに取り掛かった。


 ボウルにバターを入れ、クリーム状になるまでしっかり混ぜる。砂糖、それと同量のアーモンドプードルを順に入れそれぞれしっかり擦り混ぜ、卵を加えて泡だてないように混ぜる。


「なんかこれ、不恰好じゃない?」

「いいのー、割れたらダメだけど、型に入れる時にしっかりくっつけたらいいから。はいじゃあ、そのタルト生地を型に入れて」

「こう?」


 オッケー、とメイヴィスは呟くと、受け取ったタルト型にかぶせた生地を押し込み、生地の端を型に沿って切り取る。底の部分にはフォークでぷすぷすと小さな穴を開けていく。

 先ほど作ったアーモンドクリームを流し込み、180度のオーブンで25分ほど焼き、焼きあがったタルト生地はしっかり冷ましておく。


「一口にブルーベリーパイと言っても、スオミは家庭それぞれの味があってね。前にアップルパイ焼いたから、今日はタルトにしてみようと思って」

「えらく手際がいいんだね……」


 感心して言うと、キョトンとした表情で小首を傾げられた。


「それ、バスクにも言われたわ。わたしだってね、小さい頃は母の横でキッチンに立つくらいはしてたのよ」


 焼いたタルトが冷めるまでの間に、夕飯用のジャガイモをスルスルと剥きながらメイヴィスはそう呟く。


「バスクに……お姉さんの話はしてあげたの?」

「うーん、実はまだあんまり」

「そっか……」


 責められるかと思えば、ゆっくりとそう返されただけだった。


「アンタもゆっくりでいいからさ、自分の事、許しなね」

「……ありがとう」


 さぁてっ! と元気よく呟き手を拭いてクリームチーズを開け出したメイヴィスのにっこりとした笑顔に、ほんのりと昨夜の事を思い出して何故かいたたまれない気持ちになったバルクホーンは、シンクの横に一人突っ伏するのだった。


 常温に戻し、柔らかくしておいたクリームチーズをボウルに入れて練り、グラニュー糖を入れてよくすり混ぜる。しっかり混ざったら生クリーム、プレーンヨーグルト、レモン汁を加え混ぜ合わせておく。


 ゼラチンを水に入れふやかし、電子レンジで少し熱を加え温める。ゼラチンが溶けたら、先ほどのボウルの中に加えてしっかり混ぜる。


 ゼラチンを用意している間に、焼きあがっていたタルト生地にブルーベリーのジャムを塗っておく。


「これでタルトにボウルの中身を流し入れてー、今日買ってきたブルーベリーをめいっぱい乗せて」


 バルクホーンが洗っておいてくれたフレッシュなブルーベリー。少しキッチンペーパーで水分を拭い、並べていく。


「ふぅん、こういうのってやっぱ女の人がやる方が綺麗に見えるもんなんだな」

「……いや、バルクホーンがちょっと大雑把なだけだと思うけど」

「のせたら一緒なんじゃ?」

「花の手入れの時同じ事言わないでしょ?」


 そう言われて「うん、まぁそうだよなぁ」と一人納得の表情でふむと頷く。そのいつも通りの穏やかな返しに、にっこりとメイヴィスは微笑んだ。


「ナパージュを塗ってもいいんだけど、今日はベリーが新鮮だからこのまま! 冷蔵庫で冷やしたら完成ねっ」




***




「で? なんでクソアマが今日もウチに居んだよ?」

「おかえりーっ」


 バルクホーンが迎えに行き家に戻れば、リビングにメイヴィスの姿を見つけバスクの赤と黒の目がつり上がる。


「相変わらずツンツンしてんじゃない? 今日はわたしもお休みだったから、一緒にご飯でも食べようと思って」

「ンな言って、週一は来てっし、昨日も大暴走で寝こけてたじゃねーかよ!」


 まあまあと宥め、バルクホーンはその小さな身体を食卓の椅子に下ろす。


 並んでいるのはダイチェのジャガイモ料理にスオミのニシン料理、テーブルの真ん中にはエルダーフラワーのシロップとワイングラスが三つ。


「あとね、今日はタルトも作ったの。バスク甘いもの好きでしょ?」


 あ? と睨みをきかせるその頭をゆっくりとメイヴィスが撫でる。


「気持ちわりぃな、なんだ、俺の廃棄処分でも決まったか?」


 へっと吐き捨てるように続けた少年の前に、困ったような表情でバルクホーンが包みを二つ置く。酷い言葉をぶつけたのに、メイヴィスでさえ怒鳴り返さない状況に、数拍置いてバスクは怪訝な表情になる。


「ンだよ?」

「俺と、メイヴィスから」

「いつもありがと、ちょっと生意気だけどねー」

「つか開けろや、嫌味か? 俺手ねーんだけど」


 ぶすくれたその頭を撫で、メイヴィスがゆっくりとその包みを解いていく。


「なっ……」

「そろそろ寒いだろうと思って、気に入ってくれるといいんだけど」


 それは自分の……子供のままで止まった身体のサイズに合わせた、マフラーと毛糸の帽子。

 機械の身体、生身の皮膚はほとんど残っていない。気温に対しての感覚は人より鈍いにしても。……でも氷点下はチリチリと痛むのだ。

 そんな事……一言も伝えてなかったのに。


「ウルセェ!! こんなんしたって、俺は感謝なんてしねーからな!」


 いつもより勢いのないその罵声に、目の前の二人がふふっと笑う。


「さ、ご飯食べてタルト切ろうか?」

「さっさとしろや! ブルーベリーのタルト、先に食う!」

「はいはい、大きめに切ろうか?」

「そうしろ!!!」


 チーズの入った甘いものが好き。

 お姉ちゃんの作る、チーズ入りのアップルパイが好き。


 あの味は二度と味わえないと思ってたけど。


(ブルーベリーの……なんだこれ、レアチーズか? 案外これもうめぇモンだな……)


 滑らかなクリームとサクサクのタルトに、フレッシュで少し酸味のあるベリーがこぼれそうなほどに乗っていて。噛めばアーモンドの風味とブルーベリージャムの味と、クリームとベリーの味が喧嘩せずにしっとりとマッチしていて。


(なんか、分かんねぇ。俺ホントは今生きてなかったはずなのにな……)


「どうしたの、バスク? 具合悪いの?」


 隣を見れば、心配そうにメイヴィスがその目を丸くして覗き込んでいて。

 テーブルの向かいを見れば、寒いかい? とバルクホーンが立ち上がろうとしていて。


「ルセーよ。悪くねーよ、次の一口寄越せや」

「ふふっ。ありがとうー」


 目を逸らしながら、差し出されたフォークにつられて口を開ける。

 ここ十年、自分が居られなかった空間、夢見たような場所に今自分が居るようで。


(なんか、脊髄ってか、胃の上の器官てか……ムズムズする)



 その夜は、スオミに今年初の雪が降ったという。

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