【Kippis!!】黒霧島とウォッカとワインのちゃんぽん
『お休みのところ、大変申し訳ありませんバルクホーン中尉。至急、海軍部の宿舎にお越しいただきたく……』
任務を終え、いつものようにバスクと食事を済ませ諸々の後片付けをする。シャワーも浴びさせたし、あとは寝るだけ……。そうリビングでくつろいでいたバルクホーンの、部屋に設置された電話のベルがけたたましく鳴った。
「どうしたルードルマン……珍しいな。何があった?」
『すみませんこれは……おい! いい加減にしろ貴様っ、離れんかっ! ……大変失礼しましたっ。説明するより来ていただく方が早いかと……』
なんだか受話器の向こうからドッタバッタと音が聴こえた気がして、そして非常事態ではないにしろ、ルードルマンが何か手を焼くほどの出来事が起きたのだろうと察し、そっと受話器を置く。
(明日、ウチの隊休みだったよなぁ……)
出不精とさえ言われるほど、出撃以外の外出を嫌がるルードルマンがこの時間に海軍部の宿舎にいる事も合わせて、なんだか非常に嫌な予感がしながらも。バルクホーンは、口でくわえた指示棒で目の前の本をめくり読んでいるバスクに「ちょっと出てくるよ、一人で大丈夫?」と声をかけた。
「出撃か? 俺の事は気にすんなよ」
「いやぁ、違うと思うんだけど……まだ寝るには早いだろうから、ちょっと待っててくれる?」
「ルッセェ。朝帰ってきたって構いやしねぇよ。そんときゃ徹夜するか、このまま寝てっからよ」
「すまないね。……絶対鍵は開けちゃダメだよ」
「ガキ扱いすんなや!!」
追いかけるような怒鳴り声に苦笑しながらも、ダウンコートを羽織り官舎の外に出る。
同じ基地内とはいえ、海軍部まではまあまあの距離がある。そこにわざわざ上官である自分に来いと、しかもあのルードルマンが言うのだから何かあったに違いない。
11月も末のスオミの夜は氷点下が常であり、吐く息は白い。
十年もこの地にいれば気候にもだいぶ慣れたものだが、それでも寒いものは寒い。
そこらの上官なら怒鳴りつけて切ったかもしれない部下からの端的な説明と呼び出しにも、心配だからと駆けつけてしまう。それが、このシルト・バルクホーンという男だ。
「……で?」
寒い中を
「たいッッへん! 申し訳ございませんでしたぁっ!!!」
見知らぬ青年が床に平伏し、その額を床に擦り付けんばかりに頭を下げている。
「あっ、いや。キミは頭を上げて? ていうかこれは……」
奥を見れば、見慣れた人影が二つ。
肩を並べるように馬鹿騒ぎしている。
その周りには、倒れ伏した者やいびきをかいて床に寝そべる兵が何名か……。
一人は、アッシュブロンドの細身の人物。もう一人は、黒髪短髪の小さな後ろ姿。きゃっきゃと騒ぐその声の呂律は若干回っていないようにも聞こえる。
バルクホーンは呆れた表情を繕いもせずに、横に立つルードルマンを見た。
「うちのバカがメイヴィス中尉に飲み比べ勝負を吹っかけてしまい……」
「ああ……」
一瞬遠い目をしたバルクホーンに、目の前で日ノ元式土下座をしていた青年が、床に頭を打ちつけるほどの勢いで、再度頭を下げた。
***
事の起こりは、先日ノルゲに派遣された緊急編成の偵察救出部隊。
なんだかんだあって無事に帰国したバルクホーンの小隊に所属する
色々と後味の悪い中でも無事に帰ってきた事をお互い讃え、本日ヘルシングフォシュの基地にノルゲから出向してきた直の同期、目の前で土下座をしていた
「メイヴィス中尉どのはお酒が非常にお強いと聞きました! 共に飲み明かしましょう!」
普段は一滴も酒を飲まないルードルマンの下にいる一兵である直、しかしそんじょそこらの男どもには負けない程度には酒呑みである。
もちろん、この発言にメイヴィスが食いつかないわけがない。
「いいわーっ! ルードルマンは一滴も呑まないんだもの、つまんないわよねぇ。今日はとことん飲むわよーっ!!」
ああ、想像できる。容易にその光景が想像できるぞ。バルクホーンは聞きながら既に頭を抱えていた。
もちろん、メイヴィスだって直だって、酒の呑み方なんてものはわきまえている。呑まれるようでは酒呑みの称号には至らない。
しかしここで問題が起きた。
蒼一が持参した酒だ。
「ふわぁああああ! くろきりしまっ! メイヴィス中尉! 自分の故郷の酒、焼酎です! 少々癖はありますが非常にうまいのでぜひっ」
「そういうの大好きっ! 呑みましょーっ、シュヴァルべちゃん!!」
既にビールにウイスキー、ウォッカにワインまで取っ替え引っ替え飲んでいた二人である。もちろん差し入れられた黒霧島は飲んだ。
「待て待て待て、なんでそんな変なローテーションで呑ませた!? 普通に悪酔いするだろう?」
「す、すみません……。実は、自分が、ザルなもので……」
バルクホーンに立たされたものの、そう言って頭をさげる蒼一の表情は今にも泣き叫びかねないほどに悲痛なものだった。
「あ、何、もしかしてシュヴァルべって」
「故郷にいた頃は、いつも自分と同じように呑んでましたっ」
バルクホーンは再度頭を抱えた。
日ノ元では、それを「ちゃんぽん」と言うらしい。
とっくに二人のペースについていけていなかった陸軍部の茶髪の青年は脱落し、床に転がっている。
「あとすまん、ディーとダムは?」
「バスルームに吐きに行って以来、戻ってきません」
淡々とした口調とは裏腹に、ルードルマンの眉間のシワが更に深くなるのが横目に見えた。
「……ちなみに、何でお前がここにいるんだ? ルードルマン?」
「シュヴァルべとメイヴィス中尉に、半分引きずられるようにして来てしまいました。一生の不覚です」
自分より9cmは高いその背を、バルクホーンは励ますように軽く叩く。
「ちなみにヒロシ曹長は? こんな場に彼がいないなんて考えられないんだが……」
「……メイヴィス中尉に恐れをなして、自室のベッドに籠城しております」
バルクホーンはしゃがみ込みたい気持ちを、この場の誰よりも自分が階級が上だという自覚の下、必死に抑えた。
「彼には本当にすまない事をした……」
「いえ、あれはヒロシが悪いです……」
で、お前は? と、バルクホーンはルードルマンへと向き直る。
「大丈夫か? メイヴィスに呑まされたりは……?」
「シュヴァルべが「少尉どのは下戸ですぞっ、上官の不始末は自分がっ!」と全て横から掻っ攫いました……」
「あー。漢らしいのも大概にしてほしいもんだな……」
「はい……」
二人は申し訳なさそうに目の前でおろおろしている蒼一を一瞬忘れ、天を仰ぎ見る。
部屋の中には、キャハハははっ! と未だ笑い転げている二人の声だけが響いていた——。
***
「わぁーいっ! 少尉どのは背が高いですなァ! 弘兄よりもたかぁいっ」
「このぉ! 叫ぶなっ動くな莫迦がっ!」
「だってー、嬉しいんですよぉ」
簡単に背負えるその身体の重みが、不意に首に回される。
「だからっ! 動くなっ! しがみつくな」
「ひょぉお! 手を離したら落ちてしまいますって! スロの事は抱き上げたり肩車していたのに、自分にはしてくれないんですかぁ!」
「鬱陶しいっ!!!」
脇に抱えて連れて帰ろうとしたら、バルクホーンに「胃の周りを圧迫するな、吐くぞ」と言われ。渋々ながらに背負って歩けばこれである。
このっ、と苦々しげに振り返ろうとすると、その小さな頰が自分の頰に当たる。
「えへへーっ、少尉どののお顔、温かいですなぁ」
「……ッッッ!?」
嬉しそうに頰をすり寄せてくる直に、ルードルマンが固まるのが見えて数歩後ろを歩くバルクホーンは苦笑する。
「若いっていいわねぇ」
「キミねぇ、こういう……なんていうか、焚きつけるようなのは良くないって……」
「だってわたし、歩いて帰れそうになかったんだもーん」
嬉しそうな声に振り返れば、自分に背負われた体制のメイヴィスがぎゅっと抱きついてくる。はいはい、と慣れた表情で歩くバルクホーンは、まだぎゃあぎゃあ騒ぐ部下二人を「消灯時間には遅れるなよー」と追い抜いていく。
どうやら自分を呼ばないと帰らないだのなんだの、メイヴィスがルードルマンにゴネたらしい。
ふふっ、とメイヴィスが笑う声がして「なに?」と少々呆れた声で返した。
「いっつもね、迎えに来てくれるの、バルクホーンなのね」
「……なにが?」
「ふふっ」
笑ったその声の主は、それ以上はなにも言おうとしない。
はいはい、ハンカチは喋りませんもんね。そう思い出してバルクホーンは黙って足を進めようとした。
しかし、ふと気がついて再度背後に声を掛ける。
「あ、メイヴィス。あまりヒロシ曹長をからかっちゃいけないって、だいぶトラウマじゃないかアレ」
「えーっ? だってー」
「だってじゃありません。女性はそんな事、軽々しくしちゃいけないんです」
えーっ、でもぉ、だってー、グダグダ繰り返す人物を背負ったまま、深いため息をつく。
「あのねぇ、女の子はそういうのは大事にしとくもんでしょ?」
「じゃあ男はどうなのー? 大事にしないのー?」
「そうじゃ、なくて……」
もう、と振り返ろうとして。何かが頰に当たる。
柔らかくて、仄かな温かさが伝わって。
「……はぁっ!? ちょっ、何して」
「はぁー? 大の男がキス一つくらいでおたついてんじゃないわよっ、この根性なしっ!」
頰に少し……、当たった唇が離れると、バシバシと肩を叩かれた。
その身体を、驚きのあまりに落とさなかった自分の根性を褒めていただきたい。
「ばぁか、バァカ! 何よぉ、いっつも皆の事ばっかりで。自分の事は二の次にして! 幸せになってくれないと許さないんだからぁ!」
バシバシ叩かれているはずなのに、なんだか頭がふわふわする——。
「もうキミ、絶対変な酒の呑み方しないで、ほんとに……」
自分まで酔ったような気分で深くため息をつき、そのまま隊舎に迎おうとしたものの。メイヴィスの口調が切り替わらない事にマズいと感じたバルクホーンは、一旦官舎の自分の部屋へと向かう。
「ただいまーっ!!!」
リビングのソファにひとまず下ろせば、そのままバスクにハグをかます同期。
「ンだゴルァ!? うわっ離れろやクソアマァアアアアアア!!!!」
大事な義弟の唇だけは絶対にこの酒呑みには奪われてはいけない。
バルクホーンは軍隊の小隊長ならではの迅速な判断と、物凄い速さでバスクを抱き上げ、回避行動を取り続けるのであった。
「もう、本当に、タチが悪いって! メイヴィスー!!」
部下二人が飛行訓練でチキンレースをした時以来の大声を、その夜バルクホーンは張り上げたという。
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