sechs. ピッティパンヌ

「小隊長殿ぉ〜、バルクホーン中尉となんかありました?」

「は? 何がだ?」


 午前の哨戒戦闘任務を終え、次のローテーションへと引き継いだ後、背後から駆け寄ってきたランピール曹長——通称:ディー——に声をかけられた。


「あっ、だいじょぶっす、遮断・・してるんで。お好きな口調でどぞ?」


 相変わらずの食えない、少しひねた顔で笑う部下にメイヴィスは呆れたようにため息をつく。


「お気遣いどーも。でも任務中くらいちゃんと切り替えられるから、そういうのはしなくて大丈夫よ」

「あららぁ〜、割と俺心配してるんすけどねぇ」


 言うなり、ディーがパチンと指を鳴らし「んじゃ、これで音は正常通りなんで。俺の質問に答えてもらえます?」と小悪魔じみた表情で笑う。


『第8中隊のトゥイートル・ディー&ダム』というのが、メイヴィス直属の僚機であり部下であるランピール曹長とコスケラ軍曹の通称だ。入隊当初から、あまりにも悪戯が過ぎるのと、いまいち噛み合わない発言のせいか二人セットでこう呼ばれている。

 その実、二人はその能力故に優秀な諜報員でもあり、その上パイロットの適性があったため、偵察部隊としてこうして音波を操り目の良いメイヴィスの下につけられていた。


 ディーの能力は音声調節エフェクターと呼ばれる特殊なもので、周囲にこちらの会話が一切聞こえないようにしたり、一定の人間だけに声を届けたり……あまり知られてはいないが、微妙な音の違いから本心を探り当てることも可能なため潜入や誘導尋問向きの人材である。


「……何もない。普段通りだが、どうした? アイツ体調でも悪いのか?」

「アーッ、なんか俺の聞き方が悪かったですかね。別に仲悪くないのは知ってますけど、なんつーか、こう……バルクホーン中尉の優しさが表立ってません?」

「……? アイツは昔からあんな感じだが」

「あーっ、そゆこと。オッケーす、なんとなく把握しましたんで」


 勝手に納得の表情で頷き出したディーに怪訝な表情を送ると、再びひねた表情でニヤリと笑いながら横目でチラリとうかがわれた。


「小隊長殿って、結構周りからの視線気にしないって繕っててぶっちゃけ案外気にしいなのに、あんま周りからの視線に気づいてない事多いすよねぇ」

「……簡潔にモノを言え、分かりづらい」


 少し睨むような視線で返せば、「へーへー」と茶化した返事が戻ってくる。


「この中隊に引き抜かれた唯一の同期……ってのは俺らもちろん知ってますよ。ユカライネン大尉の左右に控える僚機っていやぁ、俺らの世代にとっては貴方がたなんでね」

「……?」

「いやね、入った当初から思ってたんすけど、しれっとバルクホーン中尉って小隊長殿のフォローに入るっしょ。顔色一つ変えずに、ほんの小さな事かもですけど」

「アイツが無類のお節介焼きだからだろう? よくハートマンのフォローにも入っているじゃないか」

「いやーっ、全然違うんすよねーこれが。気づいてないのウケますね」


 コミックの悪役みたいな笑い方をする部下に呆れた視線を送りつつ、その言い草が少々癪に触る。


「はっきり言えと言っただろう?」

「ほいほいっと。あのですねー、昔からなんですけど、あの人スッと小隊長殿が嫌な思いしないように自分の立つ場所変えたり、アナタが上官から必要以上に言われないようにそっと発言被せたり嗜めたり……ほら、ハートマンには一旦全部言いたいこと言わせますからね、あの人」

「で?」

「あーはい。サクッと言えば、メイヴィス中尉の本性にあの人気づいてますよね? ぶっちゃけるとだいぶ前から。えらい気ィ遣ってくれてるじゃないですか」


 それが最近、マジであからさまなんでなんかあったのかなーって。そうしれっと呟く部下に内心面映ゆい気持ちが少々湧き上がってきて、戸惑いを隠そうと歩を進める足が早くなる。


「ちょっとぉ、小隊長殿ぉ。貴方自分の足の長さ自覚してくださいね、置いてかないでくださいって。……まぁ正直、今日の交代の時の微妙な声音の変化とかそんなんなんで、俺とエイノ(コスケラ軍曹の名)以外気づいてる奴いないと思いますがねー」


 確かに、今日は哨戒任務のみの予定が、コッラの河向こうの国境付近で敵機と遭遇してしまい、激しい撃ち合いの戦闘になってしまった。適性はあるものの、コントロールに若干他より劣りのあるコスケラの機体が数発喰らってしまい、湖面や木の梢スレスレの飛行から切り返した発砲で、三機全てメイヴィス一人で墜としたと言ってもいい。


「無事で何より。あんまり無茶するなよ」


 帰投後に格納庫から戻る通路ですれ違ったバルクホーンには、そう声をかけられた。しかし——。

 

「あれがあからさまだと言うのなら、それは同情からくるものだ。……奴も少し前大変だっただろう、何か不調に気づいたなら教えてくれ」


 さっさと切り上げて歩き去ろうとするその姿に、これ以上何にも考えたくないんだろうなーとランピールはそれ以上は突っ込まずに「りょーかいっ」と軽く敬礼をした。


(明らかお互い心配はしてるのに、ねぇ……)


 ポケットからタバコを取り出し、いそいそと庁舎の外へと向かう。相手の本心が聞こえ、見えてしまう自分やコスケラは恋人ができても長続きした試しがないし、そもそも負け戦には最初から参加しない主義だ。


 派手な戦闘力となる能力ではないものの、一歩使い方を間違えれば犯罪者や詐欺師になるのは容易い。だからこそほどほどに、適度に、悪戯をして悪ガキめいた事をしていれば後ろ暗い陰謀に巻き込まれずに済む。

 悪魔の名を持つ能力者。その出自や人生は、決して明るいものばかりではない。それを十分に知っているからこそ——。


(俺は心配してるんすよ。自分を隠し通すか、曝け出すか、どちらにしろ皆に嘘をついてるって内心今でも悩んでる小隊長殿を、ね)


 その明るさに相棒共々救われた、ディーとダム。

 彼らは願ってはいるのだ。付き随うハートのクイーンが、白い薔薇を赤に塗らずとも、赤い薔薇をその心に咲かせられる日が来るのを。


 ぷはぁと少々大げさに吐き出した煙が、寒さの混じる風に溶けていく。


(なんでもないようなフリして、人のことは散々助けるのに。貴方がたって自分が傷つくことはまるで厭わないんすよねー)




***




 昼間に部下にあんな話をされ、報告に向かった隊長の執務室では笑顔で褒められ、正直なんだか今日はもう早くに休みたい。なのに……。


「あっ、メイヴィス。悪いんだけどさ、卵買ってバスク迎えに行っておいてくれない? 金あとで渡すから」


 進軍中の戦車隊を壊滅させてきたらしい同期は、戻ってきてすぐにまるで会社帰りの父親のようなことを口走ると、いそいそと更衣室の方へ去って行った。


「私は保育士か、ふざけ」

「まぁまぁメイヴィス。君のことを信頼しているんだよ、君もあの少年の面倒をよく見てくれているらしいじゃないか」


 敬愛する上官に、ぽんと肩に手を置かれて、動揺を悟られてやしないかと身体が一瞬強張る。


「ええ、奴一人では負担も大きいでしょうから。憔悴しきった小隊長では隊の士気も下がりますので」


 ぷいと顔を背けながら言ったのは、本当は顔を真正面から見るのが気恥ずかしいからなのだが。上官にもこのクールな対応、と「ドS」だの「女王様」だの、影で呼ばれてしまう始末。


(また、やっちゃった……。いや別に、部下なんだから、ヘラヘラ笑うのもどうかと思うんだけど。うん、でももうちょっと愛嬌があっても……)


「君たちがお互いに良い刺激を与え合っているようで、心強いよ。バルクホーンもだいぶまだ無理をしているだろうから、気にかけてやってくれ」

了解ヤーっ」


 気合を入れすぎたのか、若干凛々しく返事をしてしまったと内心後悔しつつ。


「では大尉、お先に失礼致します」

「お疲れ、君も今日は気が昂ぶっているだろうから、ゆっくり休むんだよ」


 上手く笑えただろうか? 微笑み、深々と一礼をしてその場から立ち去りながら、メイヴィスはその涼しげな視線の奥で、一喜一憂していたのだった。

 うん、やっぱりわたし、大尉が好きだもの。誰に言うでもなく、一人心の中で言い聞かせるように頷きながら。




***




「なんで卵だけしか言わないのよー! 冷蔵庫の中身、ほとんど空じゃない!?」


 バスクを連れ帰り、先に風呂に入れておく。

 これで少しはバルクホーンも早く寝るだろう、と今日の大尉の顔を思い出してはきゃっきゃとはしゃいでいると、「ウゼェェエ!!」とお決まりの罵声が飛んできた。

 ドライヤー片手にツンツンの金髪を乾かしてやっていると、ようやく報告等の業務を終えたバルクホーンが帰ってきたところだ。


「あっ、いや。最近出撃多くて……とりあえず今夜のぶんと思って」


 ありがとう、助かるよと穏やかに微笑まれてしまっては、返す言葉もない。

 ごそごそとキッチンで動く姿を横目にドライヤーの風を当てれば、「おいクソアマ! 目が乾くだろォがボケェ!」と手の下からもう一声罵声が飛んだ。



 少しずつ残った玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン、ソーセージを角切りに刻む。

 バターを溶かしたフライパンにジャガイモを入れ炒め、表面が少し色づいてきたら他の具材を加えていく。


「あっ、なるほどねPyttipannuピッティパンヌかぁ」

「有り合わせで申し訳ないけど、今日は一旦食材使い切ろうと思って……」


 塩コショウで味を整え、好みのスパイスを少し加える。一度炒めた具材を皿に盛り、次は目玉焼きを作る。

 ピッティパンヌ、『フライパンの中の、小さな物たち』の意味を持つスオミの家庭料理。フライパン一つと、細かく刻んだ具材があればササッと一品できてしまうお手軽な代物だ。


「あれっ、わたしのはいいのよ。帰るから」

「いや、買い物行ってもらったし……ほら今日は戦闘もしてきたんだろ、飲んでったら?」


 当たり前のようにグラスを一瞥されて、心が揺らぐ。

 正直に言えば、昼間のランピールの発言で、なんだか都合よく甘えさせてもらってやしないかと少々自己嫌悪気味だったのだ。


(だって、大尉のことが好きなのに、あんまりコイツの優しさに乗っからせてもらうのも……)


「あっ」

「そんな顔して……、何かあったの? ほらもう手遅れだから、グラス出して」


 少しむくれている間に、手際よく三つの卵がフライパンに割り入れられてしまった。諦めたように頷き、皿を三つとグラスを取り出しテーブルに持っていく。


 炒めた具材の上に、好みの焼き加減の目玉焼きを乗せ、パプリカパウダーやパセリを散らす。マスタードとピクルスをサイドに乗せたら完成だ。


 シンプルだけど、ダイチェのソーセージにハーブが効いていて決して物足りなく感じない。炒めるだけなのでコロコロとした食感も損なわれずに、噛み応えもある。


「元気ないね? 戦闘、大変だった?」


 ハッと気づけば、ワイングラスを片手に物思いにふけっていた。

 目の前にいるバルクホーンの方が、戦闘の規模は大きかったはずなのに、こちらを気遣いつつもまずバスクに食事を食べさせているというのに……。


「わたし、そんな頼りないかなぁ」

「えっ?」

「バルクホーン中尉が、気遣ってますよぉって。ディーに言われた」

「はぁ……」


 よくわかっていないような、曖昧な返しを聞きながらワインを煽る。

 今日はいつのまにか出されていた白ワイン。悔しいが、ピッティパンヌの味とよく合う。


「それ、頼りないんじゃなくて……心配してるんだけど」

「えっ」


 手を止めたバルクホーンが、困ったような顔でワインをメイヴィスのグラスに注ぎ、自分のグラスにも同じように注ぎ入れた。


「キミが頑張ってるのも凄いのも十分知ってるけど、シュヴァルべもそうだけど。あまり女の子に危ない目に逢って欲しくないのって当然じゃない?」


 グラスが、静かにコツンと音を鳴らす。


「シュヴァルべちゃんは別として、わたしは男ですけど」

「それは気の持ちようって前も言ったじゃないか」


 困ったように笑ってワインを一口、バルクホーンが口に含む。別に自分のような酒呑みでもないくせに。「あ、これ安かったんだけど味いいね。また買ってくるよ」当たり前にそう言われてなんだか悔しい。


 ディーやダムのような特殊能力を持っていないバルクホーンには、自分の考えていることなんてほとんどわからないのだろうが。


「大尉となんかあった? 別にここでくらい、自分のしたいようにしたら?」


 優しい、で収まりきらない君は。

 そうやって自分を人の悲しみや戸惑いの受け皿として、盾として使おうとする。


「つーかクソアマァ、目玉焼き冷えんだろーが! さっさと食えや! しんみりしてんじゃねーよ、戦闘力だけで言ったらテメェゴリラみてーなもんじゃねーか、ちっ、アホらしっ」

「だっ! 誰がゴリラですって!」


 二杯目のワインを一気飲みし、眦がつり上がった。

 煽り耐性がないわけではないが、ここはおとなしく乗ったモン勝ちだ。


「ちょっ、バスク、さすがにゴリラは……あれっ? そう言えばキミ、先の任務でヒロシ曹長をブッ飛ばしたとかなんとか」

「ちょっとそれはもう忘れてよーっ!!!」


 ころころとした優しさの粒、ピッティパンヌ。

 別々の食材が、余った食材が、フライパンの中でひとつになっていく。


 白ワインは、その夜のうちにしっかりと飲み干してやった——。


 

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