vier. ルスカとジン・クランベリーのロンケロ

 昼時の市場を突っ切り、銅像の建つ噴水やその先にある公園を抜けて中央駅へと歩く。


「はい! トラムに乗るのと徒歩、どっちにする?」

「お好きな方で」


 行き先すら聞いていないが、選択肢に挙げるという事は別段歩いても問題ない距離だろう。一応少し空腹も満たされた事だし、とバルクホーンは両手を広げてみせる。


「じゃあ帰りはトラムね、もう少し陽が落ちた方が好きだから歩きでもいい?」

「どうぞどうぞ、任せるよ」


 ちなみに行き先はどこへ? と聞くと「内緒ーっ」と悪戯っぽく返される。しかしさっきの揚げパン一つでコイツは腹がいっぱいなんだろうか……と考えていると、「ちょっと待ってて」とメイヴィスはさっさと一人中央駅の構内へと消えていく。

 先に、先に、と急いて見えながらも、常にその判断は間違っていた事はなかったからと、言われるがままに大人しくバルクホーンはその場に立ち尽くす。


「はいっ、足りないでしょバルクホーン。そんな顔してた」

「んんっ? ……ちょっと、自分で食えるから」


 気づけば口に熱くグリルされたソーセージを押し付けられていて、戸惑いながらその串を受け取る。


「えっ? 水渡そうと思って」


 きょとんと小首を傾げたその手にはペットボトルと紙袋が持たれていて、「……もしかしてディーとダムにもこんな感じ?」と少々呆れながら問いかける。


「うん。だってそっちの方が早いし。あの二人ならソーセージ投げ渡しても口でキャッチするわよ?」

「メイヴィス、さすがにそれはちょっと。今度からやめなさい……」

「えーっ」


 不服そうに「だって軍じゃん」と言うメイヴィスに、「軍だからです。キミの小隊のパイロット勢は距離感がおかしい……」と零す。


「シュヴァルべちゃんとルードルマンは? ヒロシ曹長は?」

「アレはまた特殊。キミもほら、女性なんだからそれはどうかと思います」


 とは言いつつ、ソーセージを齧りながら諭す自分も大概マヌケだ。でもパン一個じゃ足りないのも本音なので、遠慮なくがっつかせていただく。


「……女性扱いする人、お前だけだからな」

「はいはい、今日は軍人モードはいいから。とりあえず水ちょうだい」

「ばぁか」


 ぐりぐりと頰に当たるペットボトルは、甘んじて受け入れておこう。


「シナモンロールも買ったからね、足りなかったら言って」

「いや、俺出すよ。さっきのだって、バスクの分まで買ってくれただろ?」

「いいのー、花買ってくれたからこれでおあいこ」


 嬉しそうに眺める袋の中には、新作のカシスベリーワインが入っているのも見えて、本当キミ抜け目ないよね……とバルクホーンは笑った。




***




 中央駅を抜け、トーロ湾と呼ばれる大きな湖沿いの道を歩きながら四十分ほど。確かに行軍行程や訓練をしている身からすれば、身軽な私服での徒歩は問題ないといえばそうだが。


「よくそんなブーツで歩けるね?」

「ナメんな、これでもわたしも軍人ですから〜。それにこれ、男性でも履ける用の踵の低いやつだもん」


 にっこり微笑まれたが、四十分歩くのなら流石に俺でもトラム選んだかもしれないぞ……と呆れた視線を送る。少し低いはずのその肩が今日は同じくらいの高さになっていた。


「だって歩きで良いって言ったじゃない? これで明日任務で足がーとか言ってたら、」

「言いません」


 少々ムキになった口調で被せ気味に返してしまったのが即ばれていて、ニヤニヤとした笑みを向けられた。あー、足痛くなって大尉に怒られてしまえ、と我ながら少年のような考えが浮かんだ事は黙っていよう。


「わたしは楽しかったからいいの。それに……こんな街並みを眺めたり、穏やかな日常を過ごしたらさ、明日からまた一層頑張ろうって思えない?」

「……そうだな」


 あ、楽しかったんだ。そう思うと同時に、根っこの部分というかそうやって自然に言葉に出てくるところが、やっぱりしっかりとした軍人で。


「やっぱキミは凄いよ、メイヴィス……」


 いつも目を覚まさせられるのは俺の方なんだよなぁ……と、ひっそりとバルクホーンは独り言ちた。




「今年もやっぱりきれいー!」


 嬉しそうな声が上がれば、確かにこれはわざわざ来る価値があったと息を飲む。


 草木が生い茂り、大きな池と中央には噴水。そんな自然豊かな市立公園。

 その並木の道の両端全てが黄金色に染まっている。


「すごく……綺麗だね」

「でしょーっ。スオミは寒いけどね、少しの秋の間に見えるRuskaルスカは最高。寒いばっかの国じゃないのよ」


 あっ、ルスカってスオミの紅葉の事ね。満足気に話すその言葉が終わるか終わらないかのうちに、プシュッと小気味良い音が隣で響いた。


「……スマン、それは、一体?」

「えっ?」


 そういえばコイツが、最初のマーケットで缶を四つくらい買っていた事をすっかり忘れていた。もう返事はわかりきっているものの、一応横目で呆れ気味に眺めながら、その赤のラインが入った缶を指す。


「何って……? ロンケロだけど?」


 器用にもう片方の手で缶をもう一つプシュッと開け、当然のようにその缶を差し出して来る。


「もしかして……今日車じゃなかったのって」

「あったりまえじゃなーい! こんな綺麗なルスカ見ながら、ノンアルなんて失礼極まりないっ!!」

「それはキミだけの感覚だって!」


 えーっ、せっかく二人分買ったのにぃとふくれっ面で言われて、渋々ながらそれを受け取る。


「はいはい、どーせ俺に拒否権なんてないんだろ」

「ご名答っ」


 にっこり笑うその顔に、観念したように表情を崩しながら「Kippisキッピス!!」と缶をコツンと合わせたのだった。



 少し陽の落ち始めた中で、視界全てを覆うような黄金色は圧巻で。

 噴水の流れ落ちる音と、そこに棲まう生き物の鳴き声が耳に優しく届いて来る。


 ロンケロとは、ジンがベースになったカクテル系のアルコール飲料で、比較的ここスオミではポピュラーな飲み物だ。

 グレープフルーツ味の爽やかな清涼飲料水のような味が一般的だが、カシスやヴォッカライム味なんてものも存在する。サウナやピクニック、気軽なスオミの人々の交流の場で楽しまれる飲み物でもある。


「好きだねぇ、ベリー味」

「ジン・クランベリーって言うんですぅ」


 あーっ、やっぱ最高っ。と相変わらず軽快な飲みっぷりにはもう笑いしか出ない。こういうところは本当男前だよなぁと言うと、後ろから軽く蹴りを入れられた。


「そっち、ちょっとちょうだい」


 自分のは一般的なグレープフルーツのロンケラの水色の缶だ。

 それ、と指すと渋々ながら缶を渡された。反対に手を差し出されて、ああと自分の缶をメイヴィスに渡す。


「いや、味見程度だって、誰かさんのようにグビグビいかないから俺」


 一口飲んで、あっうまいと呟く。缶を再び交換すると、でしょーっとふにゃりと微笑まれた。


「……俺の、だいぶ飲んだでしょ?」

「だって、コレわたしの一口だから」

「あのねぇ……」


 こちらの声を無視するように、嬉しそうに缶を空けるメイヴィス。もっと買ってくればよかったかなぁ〜と名残惜しそうに呟き、袋をゴソゴソと漁る。


「風情がないよ、風情が……」

「なぁにぃ、楽しみ方は人それぞれ。ちゃぁんと景色も見てるもん」

「もんって……」


 まだ公園の半分にも差し掛かってないのに、メイヴィスはもう二缶目を開けようとしている。別に楽しいならいいけどね、とさりげない仕草でその手にあった紙袋を奪う。



 ……と、その時突然、静かな公園に子供の泣く声が響いた。


 職種上、人の叫び声やSOSには特に敏感になっている。顔を見合わせる事もなく、二人は同時にその声の方へ駆け出した。



「テリーが、テリーが降りれなくなっちゃったの」


 母親に抱きついてベソをかいている女の子と、その子の指す方向。

 飼っている子犬が、リスを追いかけて突然木に登り、降りられなくなってしまったという。


「ああ、なるほどね」


 とりあえず、人命に関わる事ではなかった事に安堵しながらも、二人はふむと紅葉の輝く高い木の枝を見上げる。

 そこでプルプルと震えているのは小さなフィニッシュラップランド。もこもこした黒と茶色の毛がとても愛らしく元気のある犬種。


「枝がなかなか細いしなぁ、登っても揺れたら落ちそうだし……」

「任せて」


 さっきまで酒を飲んでいたと思えないような、しっかりした声でメイヴィスが頷いた。いつも手につけている薄めの手袋、その右手の方をゆっくりと外す。


「お嬢ちゃん、大丈夫だよ。テリーはすぐ助けてあげるからね」


 手のひらの上にそっと息を吹きかけると、空気中の水分の振動と冷気のバランスで氷の結晶が、まるで階段のように空気中に幾つも発生する。その上をトントンと、軽快に高い位置までメイヴィスは登って行った。


「おいで、テリー」


 怯えて震えている小さな身体。落とさないようにしっかりと抱き上げると、怖がらせないように撫でながらゆっくりとまた地上へと降りて行った。


「あっ、ありがとう!」

「大丈夫だよ、外で遊ぶときは気をつけてね。もうちょっと大きくなったら、テリーはとても賢くなるからね」


 よしよしと女の子の頭を撫で、まだ少し震えている子犬をそっと抱かせてあげる。きっと今日帰ってからは、外に出る時のリードを準備してくれるだろう。


 お礼を言う母親に「いえいえ、当然の事をしたまでです」と手を振り、踵を返して歩き出す。穏やかな微笑みで頭を下げると、バルクホーンもその後ろ姿に並ぶ。


「ねぇママ、あの人すっごく綺麗だった。かっこよかったね」

「そうね……王子様みたいなお兄さんだったね」


 そんな惚れ惚れした会話が聞こえてきて、苦笑する。


「いやぁ、スピード解決お疲れさん。流石だったよ、完全に俺荷物持ちだったね」


 朗らかにそう言えば、ふんと拗ねたように呟くメイヴィス。


「なに、どうしたんですか? 酒入ってても流石の切り返しだったって俺ほめてるんですけど」

「……って」

「んっ?」


 わざとらしく笑い覗き込むように言えば、ちょっと拗ねた消え入りそうな声が。


「王子様ですって。やっぱりわたし、お兄さんなんだよなぁって」


 はぁーまたそんな事言って。

 俯くその頭をぽんぽんと軽く撫でる。


 はぁーと長めの吐息が聞こえ、夕暮れの下がってきた気温の中で、メイヴィスがその右手に手袋をしていない事に気づく。


「仕方ないなぁ……」


 ふふっと軽く笑うと、よいしょっとその右手に荷物を寄せて、バルクホーンはその左手を開けた。


「はい、女王様……。んーっ、この場合はお姫様でもいいか?」

「なにがよ……」


 少し寒そうに睨んだその鼻の頭が少し赤い。氷を創ったからか、単に寒いのか……。


 その口元に寄せた手をそっと左手にとると、無造作に自身のポケットに突っ込む。


「……なに、これ」

「頑張ったかっこいいお姫様に、カイロでーす」

「ダッサ、あとお姫様は流石にイタいわよ」


「カイロは喋らないんで、風邪引かないでくれよ」その自分の意見は完全スルーした発言に、少し膨れる。


「もう一本、飲んでいい?」

「あっ、ごめん、ちょっと待って」


 その一瞬離された手が、なんだか嫌で掴み返す。


「お、おい……」

「自分で取る……」

「はいはい」


 困ったように微笑みバルクホーンは少し屈むと、右手の荷物を取りやすいように寄せてメイヴィスに促す。その中からスッと一本ロンケロの缶が取り出された。


 結局、メイヴィスがロンケロを飲み終えても、カイロの役目はトラムでヘルシングフォシュに戻るまで続いたのだった。





 ヘルシングフォシュの基地に戻り、バスクを迎えに行ってから解散する。


「あっ、アスターの水やりと植え替え、俺しとくから。都合の良い時に見にきてやって」

「わかった」


 すっかり仕事モードに戻り、「おやすみ」と告げて隊舎へと歩き出したメイヴィスの耳にバスクの声が響いてくる。


「なんだぁ? 珍しいじゃん青い花なんて」

「綺麗だろう? それにちゃぁんと意味があるんだよ」

「テメェ、家ん中花屋かジャングルにでもするつもりかよ……」



 隊舎に戻り、ふと思い出したようにメイヴィスはコスケラのラップトップを拝借する。


『アスター 花言葉』




 ……調べなきゃよかった。


 少し泣きそうになるのは、きっと酒のせいだと言い聞かせながら頭から布団をかぶる。


 青いアスターの花言葉。

【信頼、あなたを信じているけど心配】



 そこまではよかった。まだマシだった。

 つい視線を滑らせたその下、紫色のアスターの花言葉は。


【恋の勝利】

 

 そして。


【私の愛はあなたの愛より深い】



「……バァカ」


 彼があの時一つ目の意味の方を望んでくれていたのは明白で。

 それが叶わぬものだとはとっくの昔に思い知ったはずなのに。


 あの、心底善意の塊のようなお人好しめ。


 でも——。


「信じてくれて、ありがとう」



 次の日、いつもよりクールな視線でビシバシ仕事をこなしていくメイヴィス中尉に、飛行部隊の面々は「女王様どしたん?」と密かに囁くのだった。

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