drei. リハピーラッカ

 昼の時間がグンと短くなる秋のスオミ。

 肌寒い朝にさらに冷たさを足すような潮風がほんのりと髪を揺らす。


「ひっさびさのオフー! さぁっ、見つけるわよ、今年の美味しいベリーとワインをっ!」


 昨夜は日付変わって真夜中まで部下二人と将校クラブで飲んでいたらしいが、潮風に少し長い耳の横のアッシュブロンドをなびかせながらしゃっきりと立ち上がるメイヴィスを追うように、カウパットリの駅でトラムを降りながらやれやれと息をついて出て来たのはバルクホーンだ。


 朝にバスクを送り出した後に「どうせ暇でしょー!」と若干引きずられるように基地の外へと連れてこられ、今に至る。


「あのさぁ、ここ最近出撃とか任務詰めで俺もやっと休みなんだけど……。メイヴィス、キミ疲れてないの?」

「はぁっ? オフに存分に息抜きしないで、何のために日々鍛えて国防してるってのよ」

「……いやぁ、若いね。おじさんはついていけませんよ」


 聞こえるように言ったつもりはないのだが、むっとした顔で振り返られずかずかと近づき、デコピンをされる。


「あのさぁ、いつもおじさんおじさん言うけど、もっとフレッシュでいなさいよ。そんなんじゃ心から老けちゃうじゃない」


 アンタあんまり波並立てないタイプだけどさ、歳上の上官の反感買っちゃうわよ〜? 同い年の下士官勢とかにもね。そうきびすを返しながら言われて、それもそうだなと小さくため息をつく。


 基地のあるヘルシングフォシュからトラムで少し、エテラ港沿いの港町にあるカウパットリ(マーケット広場)は昔から賑やかなこの都市の名物的な場所だ。


 極寒の冬に向けて、九月十月のスオミの人々は大忙しである。短い秋にはきのこやベリーが沢山採れ、収穫や保存食作りに皆余念がない。

 夜の時間帯の電灯の灯火や出歩きは戦時下で制限されているが、いつもこの街並みを見渡すたびに、そこに暮らす人々の笑顔を守れている事に軍人ながらの誇りを感じる。


 そういえば、スオミにやって来てから随分と経つが、視察や最低限の買い出しに出るくらいで、自分もあまり基地の外に出る事はなかったな……とバルクホーンは目の前に並ぶオレンジのテントを眺めつつ思う。


(俺もあんまりアイツらの事言えないなぁ……)


 今年入って来た部隊最年少の部下と直属の無愛想な部下が、何やら毎度基地の外に出かける出かけないで若干揉めているのをいつも宥めながら接していたが、出不精気味なのは自分もあまり変わらないのかもしれないなと苦笑する。


(ま、やさぐれてる時より何百倍もマシだし、たまにはいいか)


 素の自分ではなかなかいられない唯一の同期が、「ねぇまだー?」と広場の向こうからよく通る声で呼ぶのが聞こえてきた。


「はいはい、今行くよ」


 一人傷ついて痣ばかり作っていたころに比べれば、今の彼女の方がずっといい。肩肘張らずにありのままの自分で楽しみたい事だってあるだろう、友達と呼んでいいのかはっきりわからない関係性ながらも、自分が生きている限りはそっと支えてあげられればいいなと思っている。


 できれば、その可愛らしい恋心がいつか成就しますように——。

 そんな事を心の底で願いながら。




***




「ていうか、買い物したいんだろ? 車で来なくてよかったの?」

「うんっ、今日は他にもお目当てがあるからねーっ」


 スキニーとちょっとだけ踵のあるブーツ、アイスブルーのタートルネックニットにオフホワイトのステンカラーコート。別に男性が来てもなんらおかしくない服を、実にオシャレに着こなすもんだな、とバルクホーンは感心する。

 全くもって服に頓着のない自分なんて、全て寒色の動きやすさ第一の格好に相変わらずMA-1を羽織っただけだ。並べばどちらが軍人に見えないかなんて、もう聞かずとも一目瞭然である。


 マーケット広場は各エリア毎に賑わっていて、近くにある花屋のボックスににこりとスオミ語で挨拶を交わしながらメイヴィスは軽い足取りで歩いて行く。


 この街の中にいるどれだけの人が、本来の自分そのまま、ありのままの姿で生きていられるんだろう。ストライドの少し長いそのステップに、いつか戦争がなくなったその時には、全ての人が自分らしい人生を選べる世の中になっていてほしいと願わずにはいられない。


「アスターか、確かに晩秋頃まで綺麗に咲く花だもんな」


 色とりどりのポットマムの乗った台車を眺めてふと足を止めたメイヴィスの隣に追いつくと、視線を落としたバルクホーンはそう呟く。


「アスター?」

「うん、エゾギク属の花なんだけど……こっちの宿根アスターはアスター属でちょっと違うんだ。でもマーガレットみたいな花びらで結構可愛いって人気なんだよ」


 ふぅーん。と呟くメイヴィスがそのうちの小さなピンクのアスターの苗を可愛いと手に取る。


「おや、お兄さん花に詳しいね」


 二人の会話を聞いていたのか、流暢な共通語でその台車の持ち主である初老の男性に声をかけられる。


「実家が花屋だったので……ほんの少しですが」

「ふむ、小さな花に好かれそうな優しそうなお兄さんだね。そりゃぁ、さぞ繁盛した事だろう?」

「ええ、まぁ」


 穏やかな笑みで言葉を濁す。戦火で実家はもうきっと存在しない、家族ももう自分一人きりだ。


「ねぇ、せっかくだしお安いもの。ピンクか白、買わない?」

「えっ、育てるの?」

「隊舎じゃ置けないから、アンタの部屋に置いててもいい?」

「別にいいけど……」

「水はあげに行くからさっ」


 花がいっぱいあった方が、あの子も嬉しいんじゃないの? そう微笑みながらも、話を遮ってくれた事に内心そっと安堵した。


「ほぉ、お兄さんなら何色にするね?」

「えっと……じゃあ青色で」

「紫色じゃなくていいんかい?」


 にっこりと意味深に微笑む男性に、はははっと困ったようにバルクホーンは笑って返す。


「コイツにはそうなってほしいとは思いますけどね、俺から贈るなら青かなって」

「ほおー、思ったより複雑なんかね。お似合いかと思ったんじゃが」


 二人の交わす会話がいまいち分からず、首を傾げながらメイヴィスは一つのポットを不思議そうに指差す。


「えっ、白じゃないの?」

「キミねぇ、俺別に白が好きってわけじゃ……」


 まけとくよ、と皺の寄った優しげな目でウインクされ、少し困ったような笑顔でバルクホーンはポットの入ったビニールを受け取った。


 車がそのまま売り場になっているフルーツのマーケットを巡り、この秋採れたベリーをつまみ食いする。魚市場のゾーンを回って、ハンドメイドのアクセサリーや手芸品の店がまとまった白いテントの一角を眺め見る。昼時も近づいてきた頃には、温かな食事の匂いがそれぞれのフードのテントから漂ってきた。


「そろそろ行きましょっか」

「えっ、キミ何も買ってなくない?」


 アスターは自分が持っていて、メイヴィスの手に提げられた袋には缶に入った飲み物が四本だけ。それと別に、手に持ったホットココアには口すらつけていない。


「いいのいいのー」


 言いながらタタッと小走りで向かう路地の角には、小さなテーブルとそこに座るおばあさんが。

 はいこれ、と自然な手つきでココアのカップを渡すと、寒そうなおばあさんの頰に嬉しそうに少しだけ赤みがさすのが見えた。


「久しぶりペトラさん」

「おやぁ、メイヴィスちゃん、すごく久しぶりじゃないかい」

「もーう、私三十二だよ。そろそろちゃん付けはよしてって。いつものやつ、今日は三つ、ちょうだい」

「はいはい」


 テーブルの上に置かれた保温ケースから、紙に包まれたものを三つ。丁寧に袋に入れてくれたそれを受け取り、お代を渡す。


「こうやってわざわざ買いに来てくれるから、嬉しいもんだねぇ」

「ペトラさんのLihapiirakkaリハピーラッカが一番美味しいんだもん。いつもありがとう」

「……こちらこそ。この歳になってもまだマーケットができるのも、軍人さんが頑張ってくれとるおかげだよ」


 おんや? とグリーンの優しそうな目がその後ろに立つバルクホーンに向く。こんにちは、と頭を下げればにっこりとした温かな笑みを向けられた。


「……一緒にお買い物に来れる人が、できたんだねぇ」

「ふふっ、軍の同期なんだけどね。同じ部隊でもう腐れ縁なんだなー」


 そうかいそうかい、と優しく微笑むペトラさんにお礼を言い、またくるねとメイヴィスは手を振る。

 おい、もういいのか? と慌てて後を追おうとすると、後ろからゆっくりとした声にそれを阻まれた。


「あの子は明るくて、近所でも評判の子だったんだよ。あんまりにも可愛いから、小さい頃ご両親はあの子にドレスなんて着せたりしてたもんさ……難儀な事だねぇ」

「あ、いや。今日はすごく楽しいみたいです。きっと貴女に会えたのも嬉しかったんじゃないかと……」


 ぺこりと頭を下げ、メイヴィスを追おうとするバルクホーンに、ペトラさんは紙ナプキンを数枚渡し、もう一度小さく語りかける。


「よかったらまたおいで、うちの味が気に入ったらでもいいし。メイヴィスちゃんと一緒にでもいいから」

「はい。彼女もすごく嬉しそうでしたし、また機会があれば」


 再度しっかりと頭を下げると「おい、置いてくなよ」とバルクホーンは袋の中のアスターが倒れないよう気をつけながら、小走りでメイヴィスを追いかけていく。


「"彼女"ねぇ……。メイヴィスちゃん、気づいてるのかねぇ」


 ここに来てくれるのもだけど。あの子があんなにニコニコしてるのは、とても久しぶりだったんだけどねぇ。


 にこりと笑いながら、ペトラさんは湯気の立つココアにゆっくりと口をつけた。





 はい、と差し出された袋を開けると、そこにはこぶし大の揚げパンが入っていた。


「いつも買ってるの?」

「うん、美味しいからあったかいうちに食べよー」


 マイペースが過ぎないか……と少し呆れつつも、さっさとそのパンにかぶりつくメイヴィスにならい、バルクホーンもその温かいパンに口をつける。


「あ、うまいこれ」

「でしょーっ、地元の人しか知らない秘密の場所よ」


 揚げパン独特の食感と、中に入っていたのはスパイスと塩コショウの効いたひき肉とみじん切りの玉ねぎに砕いたゆで卵。

 良い塩梅に素材の旨みと塩気がマッチして、パンの生地も油を吸い過ぎずもったりし過ぎずでパクパクと食べられてしまう。


「これ……米?」

「そう! リハピーラッカって言ってね、スオミのピロシキ? そんな感じの食べ物なの。昔は大麦だったらしいんだけど、今はお米入れるとこも多くて。街中のはさ、割ってケチャップやマスタードをつけて食べるお店が多いんだけど、ペトラさんのは味もしっかりついてて、脂っぽくなくてそのまま食べれちゃう」

「ん、うまいよこれ。さすが地元民は違うな」


 えへへーと笑う口元に、米粒がついている事に気付いて。


「キミ本当、行儀いいのか悪いのかわからないよね」


 少し呆れた口調で、さっき渡された紙ナプキンでそっとその口元を拭うのだった。

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