eins. マッシュルームのクリームチーズ詰め

 隊舎と言えば、なんだか軍のびしりとした雰囲気の寮を思い浮かべるだろうが、その実そこは独身寮となんら変わりはない。

 部隊で一緒くたにされた一室、敷き詰められた二段ベッド。寝言も生活音もすべて共有した中で、死が常に隣り合わせとなる任務での絆も形成される。


 官舎に移ってわかったのは、この施設は妻子あってこそのものだという事。というか、その生活基盤があった方が断然過ごしやすい場所なのだろうなという想像は容易についた。


「いや、別にいいって。疲れてんなら言ってくれれば陸軍部でなんか食わせてもらって来るからよぉ」


 そう言って不服そうにソファに座っているのは、金髪で首から下がほぼ機械で形成された少年。この部屋の主人あるじであるシルト・バルクホーン中尉が身元を預かる、かつては人間兵器として扱われていた少年兵だ。


「無理な時はそう言うから、大丈夫だよ。バスク、キミはもうちょっとちゃんと食べた方がいいって」

「けっ、それこないだアイツにも言ってたじゃんか。お前、ほんと母ちゃんみてぇでウゼェ」


 憎まれ口と、背中を睨みつけるような視線を依然感じながらも、バルクホーンは「もうちょっと待っててくれるかい?」と目の前の鍋の蓋を開けた。


 そう、食堂やレーションで済ませていた隊舎の時代と違い、家族寮とも言えるこの官舎に移ってきてからは基本的に自炊だ。もともと料理をするのは苦ではないものの、やっぱり何も考えずに出された野郎飯をかっ食らっていた頃は楽だったなぁと内心苦笑いになる。


 出撃が重なり、家を開ける時は少年——バスク——の身柄は担当の整備員でもある陸軍部の開発スタッフに任せているものの、やはり面倒を見ると決めたのだからちゃんと空いた時間には少しでも交流を持っておきたい。

 それが、彼が遠い昔に失った家族というものの温かさに、少しでも近づいてくれればと願いながら——。






「たっだいまぁ!」

「ルセーぞ、くそアマァ!!!」


 がちゃりと玄関が開く音がして、少しハスキーな声が陽気に飛び込んでくると、目の前でスープを啜っていたバスクが応じるように怒鳴り返す。


「こら、バスク。その口の聞き方はいただげないな」

「いや、まずあのテンションがウゼェし、ここアイツの家じゃねーし。……つかなんで鍵開けっぱにしてんだよテメェ」


 木のスプーンでその口元にオニオンスープを運んでいたバルクホーンが、少々困った顔で手を止めたままバスクを窘める。彼の手足は痛ましくも敵の口封じのためなのか目の前でもがれてしまい、現時点では危険な存在と見なされているため再建の手術等も許可されてはいない。

 機械の身体も、エネルギー源となるものは生身の人間となんら変わらない食事からであり、食べなければ動かなくなってしまうため誰かの介助が必要で、それをかって出たのが彼の家族と縁のあった・・・・・バルクホーンである。


「はぁー、相変わらず生意気よねぇ。せっかく面倒くさい接待終わったんだし、ちょっとは労ってくれない?」

「あぁ? 誰がンなアルコール分解酵素激強のくそアマなんか労わるかよ」

「何よクソガキ、脳みそにカルシウム足りてないんじゃないの? 文句言ってないでちゃんと食べなさいよ」


 そのままエキサイトしそうだった二人の言い合いは、「まあまあ、おかえり。とりあえず座ったら?」というバルクホーンの穏やかな微笑みに中断されたのだった。


「はー、肩凝ったぁ。お腹すいた!」

「……あれ? 参謀本部のお偉いさんと会食じゃ?」

「無理よー、なんでダイチェ出身の男ってこんな時間に油ギトギトのソーセージばっか食べるの? 胃もたれしちゃうじゃない。ずっと笑顔浮かべてひたすら喉のアルコール消毒一択よ。やれあの作戦は自分がーいやコッチがぁーって、現場出てみろって言いたくなる」


 この言い草は、同席していた中隊の隊長の分まで飲んだからだろう。昔から世話になっている二人の上官は、酒は本当に嗜む程度の人だ。


 ワイングラスをこの家に置くようになってから、時折休みや午前休の前日にメイヴィスがバルクホーンの部屋にこうして飲みにくるようになった。なんだかんだ言い合いをしながらも、バスクの面倒を見てくれるのでバルクホーン自身も助かっている。

 そして、こうして予告なしに突然やってくる時は、何か決まって後ろ暗い事があった後だという事もなんとなく察していた。


「はいはい、飲み直したいんだろ? 白ですか、赤ですか?」

「今日は赤ぁ〜、あとなんか美味しいおつまみ食べたい」

「了解」


 勝手知ったる顔でネクタイを外し手を洗ってきたメイヴィスが、スッとバルクホーンの手からスプーンを奪う。


「わたし変わるから、準備よろしく〜」

「あー、マジでウゼェ。さっさとしろや」


 悪態をつきながらも、大人しくスープを口に運ばれるバスクを見て「仲良くね」と困ったように笑いながら、バルクホーンはキッチンの方へ消えていった。





 さてと……。と冷蔵庫の中身とスオミのレシピブックをチラ見する。

 ダイチェの料理と違い、寒い北欧では素材の味やスパイスを生かした料理が多く、なんとなく風土にあったこの地の料理を多く作るようにしていた。元来の植物好きも合わさって、今や室内でパセリやミントやディルまで栽培しだす始末だ。


 まずはオーブンを予熱し、余っていたマッシュルームの下ごしらえ。石づきを落とし、軸は切り取ってみじんぎりにする。ニンニクをすりおろして、玉ねぎ少々とパセリもみじん切りに。


 フライパンにオリーブオイルを入れ、中火でマッシュルームの軸をしんなりするまで炒める。

 本来ならブルーチーズとベーコンを使うのがスオミの定番のようだが、さすがにあまり食べ慣れないブルーチーズはないので、先日料理で使ったクリームチーズを取り出す。

 クリームチーズ、パセリ、玉ねぎ、ブラックペッパー、すりおろしたニンニクを混ぜ、炒めたマッシュルームの軸も投下する。作ったチーズのフィリングをマッシュルームの傘の中に詰めて、オーブンで焼く。


 焼きあがったマッシュルームに生ハムを乗せ、パセリとオリーブオイルを散らせば完成だ。


「すごいいい匂いがするー!」


 テーブルに戻れば、すっかり食器も片してありワイングラスが三つ並べられていた。

 そのうち二つには既に赤い液体が入っていて、当然声の主は一人楽しそうに飲み始めている。その嬉しそうな笑顔と、向かいにある捻くれた表情があまりに相対的で思わずバルクホーンは苦笑した。


「俺は酒はいらねぇっつーのに……」

「お子ちゃまはこの味がわかんないのねぇ、ざぁんねん!」

「はいはい、お待たせ。バスク、まだ食べられる?」

「ちぇっ……」


 ちゃんとワイングラスの横には、スライスしたレモンの入った水のコップが置かれていて、小馬鹿にしたような言葉をかけながらも気にかけてくれている事が微笑ましい。


 はい、とフォークで口元に持っていけば「しゃーねぇな」とパクリと食べてくれた事に、内心ふうと息をつく。まだなかなか打ち解けてはくれない少年だが、表情を見る限り嫌いな味ではなかったようだ。


 そう思いを巡らせていれば、トクトクと音が聞こえて目の前のグラスに赤い液体が注がれているのが見えた。


「えっ、俺明日午前中から訓練なんだけど……」

「カタい事言わないで、一杯くらい付き合いなさいよ。飲めないクチじゃないでしょ」

「はぁー、本当キミ女王様だよなぁ……」


 笑顔で差し出されたグラスに、己の分のグラスを持って小さくカチンと鳴らした。




「でね、そのおっさんが手やら頬やらベタベタ触ってくるからさ。うーんと思ってたんだけど」

「ンだよそれ、殴って黙らせりゃいいじゃねーか」

「バスク……そうもいかないんだよ、上下関係とか色々あるからさ。よく我慢したねメイヴィス」

「それがね! それがね! 『大切な部下なのでそろそろ止めていただけないでしょうか』って大尉がね、言ってくれたのー!」


 うふふっ、と言いながら勢いよくグラスを開ける表情は一見すれば可愛く見えない事もないが、飲むペースがやはりいつもよりだいぶ早い。隣でうげっと隠しもせずに引いた声を出すバスクを嗜めながら、よっぽど内心嫌だったんだろうなぁとバルクホーンはため息をつく。


「ビシッとしてさ、やっぱかっこいいなぁ大尉」


 言いながら次の一杯をグラスに注ぐ姿を見て、こりゃダメだとバルクホーンは意を決して立ち上がった。


「……どこ行くの?」

「ちょっと隊舎に連絡入れるから、帰れないでしょそんなグダグダで。あ、あと」

「んー?」


 唇に当たったのは、仄かに温かさの残るマッシュルーム。食べなさいと言われてるような気がして大人しく口を開ける。


「キミこそちゃんと食べないと、やけ酒はほどほどに」

「……ばぁか」


 美味しいってちゃんと言えない自分が嫌い。

 お酒飲まないと本心が出せない自分が嫌い。


 ベーコンは脂っぽいからわざわざ生ハムにしてくれた事も、本当はわかってる。

 

 北欧のマッシュルームは大ぶりで、一口じゃ食べきれないのを差し出した本人はゆっくりと待ってくれた。

 噛めばジューシーなマッシュルームとまろやかなチーズ、生ハムの塩気が口に広がっていく。ささくれ気味だった心が、ちょっとだけ溶かされていくよう。


「今日は良く頑張りました。だからちゃんと食べて、ゆっくり寝なさい」


 ぽんと頭に乗せられた手は、いつも武器や操縦桿を握っているとは思えないほど優しかった——。


 




「お前さぁ、本当損するタイプだよな」


 隊舎に連絡を入れた後、しばらくして完全に寝落ちたメイヴィスを抱えてベッドに寝かせていると、先に横のベッドに寝かせたバスクからそう声をかけられる。


「別に、何も損してないよ?」


 にこやかに返せば、わざとらしいため息をつく音が聞こえた。


「なんでお前がソファで寝んだよ、寝落ちたのソイツの勝手じゃん。……朝から訓練なんだろ?」


 俺だって、それがしんどいのは流石にわかるぜ。そう不貞腐れたように言われて思わず口元が緩む。「姉ちゃんも、本当に趣味が悪い」そう呟いた声はあえて聞かなかった事にしよう。


「おやすみ、バスク」

「うるせぇ、永遠に寝てろ。……明日コイツが起きたらちゃんと言っとくから、家のこと考えずにギリギリまで寝てろや」

「……ありがとう」


 電気を消す音と共に聞こえた声は無視した。

 しばらくしてリビングの電気が消えた音が聞こえると、ふぅーとバスクは一人息を吐く。


「おいクソアマ……、少なくとも隊長サンよりはアイツの方がマシだと思うけどな、俺は」


 少年の独り言は、寝静まった部屋の中で誰にも届かず消えていくのだった——。

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