ワインと君と過ごす時間 ~続・春告げ鳥と花の騎士~

すきま讚魚

第一章

null. 3つのワイングラス

 こちらは[連合軍第13師団飛行部隊 ~四◯四分隊のツバメちゃん~]の本編、第二部の『ウタツグミの啼く夜に』の後日の話です。(スキマ三行。の方にも掲載)


ウタツグミの啼く夜に

https://kakuyomu.jp/works/16816452220445705173



***




(九年か……長かったような短かったような)


 基地内にある飛行部隊の隊舎の玄関を出て、ふと振り返る。ここに初めてきた時は、本当に身ひとつで明日のことさえ見えていなかったというのに。


 軍刀と拳銃ピストルは腰に下げ、軍服と飛行服に訓練着、その他細々した私物はボストンバック一つで十分に事足りた。別に明日以降も任務が始まれば顔をあわせるというのに、分隊部屋の敷き詰められた狭苦しい二段ベッドや、部下達の何気ない会話が懐かしい気もする。


「おい」


 ふと立ち尽くしていると、強めの口調で横から声を掛けられバルクホーンは振り向く。


「やぁ、メイヴィス。あれっ、お前任務は?」


 立っていたのは同部隊唯一の同期であり、現在は別小隊の隊長を務めるメイヴィス・リリー。少しだけ耳の横を伸ばしたアッシュブロンドのショートカットに、涼しげな目元と泣きぼくろ。隊内でも一、二を争う優男である。


 白黒ハッキリした物言いと、迅速な対応解決を好む性格ゆえに、穏やかだとか真面目だと言われる自分と比較すれば、確実に対の評価をもらう人物。

 昔は同じ小隊の二番機三番機として、よく共に空中戦を繰り広げていたものだが、互いに小隊長の身分となってからは、中隊任務の際はメイヴィスの小隊が偵察部隊として先行して出される事が多く、主に攻撃の中核を担う部隊にいる自分とは任務中そんなに接点が無い。


 話すといえば、任務外か隊舎で過ごす時間、時折ガードナーと飲みに行った時に近くにいて合流する時ぐらいか。

 しかし自分が休養の期間中は任務を肩代わりしてくれていたはずだが……訝しむような内心は表情にも表れていたらしい。


「今日は午後から休みをもらっていてな、丁度いい、付き合え」

「えっ、だって俺今日は……」


 その高圧的な口調と冷たい視線から、「女王様」なんて揶揄される事もあるメイヴィスの有無を言わせない口調に若干困ったように返せば、ふぅーと呆れたように息をつかれた。


「官舎に移動だろう? 買い物等もあるだろうに、何をのんびりしてるんだ。貴重な休みをお前の買い出し手伝いに使ってやると言っている、ありがたく思えよ」


 腕組みをしながら「ふんっ」とわざとらしくそっぽを向いたその手には、隊の移動用車両のキー。気づいたバルクホーンの口元に自然と笑みが浮かぶ。


「ありがとう、じゃあお願いしようかな」




***




「で? いつから気づいてたのよ?」

「んー? なんのこと?」


 基地の外に出て車を走らせながら、メイヴィスが唐突に切り出した。

 口調が砕けた事に気付きながらも、こちらを敢えて見ないようにしているその姿が面白くてバルクホーンはつい素知らぬふりをする。


「ばかっ。真剣に聞いてるのに、その……私が」

「……本当は女の子だって事?」

「えっ!? ちょっ……」


 動揺がハンドルを握る手に出たのか、一瞬車が変な動きをした。


「あ、いや。言い方が悪かったかな。でもメイヴィス、キミ女性でしょ?」

「……心は、ね。どう見たって男でしょうが」

「んー、まぁ。そうだよなぁ、着替えとかも一緒だったもんなぁ」

「ちょっと!!!」


 キキィーッ!! とコンクリートの上をタイヤが滑る音がして、今度は車が急停車した。後続車がいなかった事に感謝したい、そう思いながらもハンドルから手を離してバルクホーンの襟首を掴む。


「おいおい、危ないよ」

「だって!」

「……何つーか、もうそれは今更じゃないか。同じところで寝食共にしてるんだし、軍隊だぞ」

「うううっ……」

「顔真っ赤だけど、運転変わろうか?」


 バルクホーンの静かな申し出は「……いい」と意固地な声に阻まれた。


「大丈夫だよ、言わないから。ユカライネン大尉にも」

「……さっきからちょくちょく爆弾落としてくるのやめてくれない? 第一どこまでお見通しなのよ、本当イヤな奴」


 街のそばのパーキングで車を停めたところで、自分から振っておきながらも一旦この話が中断された事に、内心メイヴィスはふうと息をついた。






 基地内の官舎は主に家族のいる隊員が生活をする場所で、ある程度の家電や家具は貸し出しもきく。ひとまず、来週から同居する少年のために何が必要だろうかとリストアップしたものを買っていく事にする。


「それ、何?」


 やけに大きな、ふわふわの感触が売りのクッションを両手に抱えたバルクホーンを見て、呆れたような声でメイヴィスが問いかける。


「バスク、手足がないからさ、たまに夜痛がるんだって。クッションがあったほうがいいかなって」

「いや、なんかもうちょい明るい色のにしたら? アンタの部屋殺風景になっちゃうじゃない、せっかくの官舎なのに。髪もブラウン、ジャケットもブラウン、部屋のものもブラウンって味気なさすぎ」

「んー、だってほら、そういうの俺疎くって。もうおじさんだしさぁ」


 困ったように少し傾げたその頭に、メイヴィスはゲンコツを飛ばした。


「……ちょっとぉ、わたし同い年なんだけど? 何それわたしもおじさんって事?」

「あっ、いや、ほらメイヴィスは綺麗にしてるからさ、そんな事ないって。それにほら、歳とったらおじさんじゃなくておば」

「はぁあっ? おばさんっ!? ちょっとアンタ最近ハートマンの天然失礼がうつってきてない?」


 両手が塞がったままのバルクホーンをポカポカ叩いて、ふと気づいて手を止める。


「……歳とっても、わたしおばさんになれるのかな」

「心の持ちようじゃない? キミは。少なくとも俺はそう思うけど」


 ほら行くよ、色どれがいいか選んで。何気ない一言で落ち込みかけたのを察してくれた、その心遣いが若干憎い。もう知られてるのならここで我慢なんてしてやるもんですかっ、今日くらい思いっきり女の子してやる! 内心そう舌を出しながらメイヴィスはその静かな背中に続いた。




***




 なんにせよ、男二人で買い物に来たのは正解だった。食器に寝具に家具に、と揃えていれば結構な大荷物だ。一旦荷物を車に詰め込み、「もうちょっといい?」とバルクホーンは街の一角へと歩き出す。


 戦時中の今、夜の時間帯は規制がかかっていて光を灯して営業する飲み屋などは原則陽の落ちる前までだ。子供の頃はもっと夜に光があったのにな、とこの国で生まれ育ったメイヴィスは長めのため息をつく。


「さむっ」


 吐いた息は少し白く、九月の夕暮れ時のスオミの冷え込みを感じさせた。しまった、そんな長居するつもりもなく、車なのでタイトめのニットで来てしまった事を少し震えながら後悔する。


「あーそっか、ごめん。とりあえずこれ着といてよ」

「えっ……」


 パサッと着せられたのは、さっき散々その色味のセンスに文句を言ったMA-1。さほど身長は変わらないはずなのに、袖を通せばその肩幅はぶかぶかだ。

 直前まで人の手が通されていた袖口はあったかい、「かっこつけ?」と言えば「ええっ、ごめん、だって寒そうだったから」と困ったように返された。


 ちょっと待ってて、と離れるバルクホーンの背中を見つめながら、そっか、アイツ婚約者いたのよね。それくらいの気遣いはできて当然か……そうメイヴィスは少し余った袖口をぐーぱーと握る。

 そんな良き同期が全て無くし、戦火の中にいる事も。失った彼女の弟に憎まれ命を狙われながらもその身柄を預かる事になった事も。全てが切ない。


「はい、メイヴィス」

「……?」

「あ、帰りは俺運転するからさ、気にしないで」


 渡されたのはスパイスやフルーツが浮かべられたホットワイン。湯気とともに甘く芳醇な香りがふわっと漂ってくる。

 一口こくっと飲み込めば、大好きなこの国の温かい味が口の中に広がった。


「色々ありがとう、おかげで俺もバスクも生きることができたんだ。お礼に何か……って思ったんだけど、形が残るものは大尉にもらいたいだろうと思って」

「わぁああっ」


 目の前に差し出されたのは、ちょっとお高いベリーワイン。反射で嬉しそうな声が出てしまったのを、見守るような目つきでにこりと微笑まれたのが少々癪だ。酒に目がないのはもう長い付き合いでバレている。でも。


「ちょっとぉ、こんないいもの、わたし一人で飲めっていうの?」

「えっ? だっていつもラッパ飲みしてるじゃ」

「うるさーいっ」


 どうした? 酔ってないよな? 途端に焦り出したバルクホーンの腕を掴み、まだ空いている店へと歩き出す。

 ホットワイン数口で酔っ払いなんてするもんか、でもなんだか心がとてもポカポカする。


「ワイングラス、買いましょーよ! わたしと、アンタと、弟くんのぶんね」

「えっ、何それ、俺の新居酒飲み場にするつもり?」

「いいじゃない! ディーとダム相手じゃ話せないネタもあるのよ。おじさんは恋の相談も乗ってくれるんでしょーっ?」

「えええっ??」


 いつか、きっと。

 私達のどちらかは先に寿命が尽きて墜ちる日が来るのだろう。それが定められた運命——。

 誰かの明日を守りたくて、自分を差し出した者同士。


 それなら、ちょっとくらい。

 自分らしくなれる居場所になってくれてもいいじゃない。


 優しい君がいつも何かを守って投げ出さなかったように。

 わたしももう自分を投げ出さないから。

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