春のお兄ちゃん離れと恋模様 8

「まあ、びっくりよねぇ」

「………」

「私も最初、行きたいって言われたときはびっくりしたし」

 

 

 

 

 

 ふふって。

 

 

 何かを思い出してるのか思い出してないのか。

 

 

 

 知らないけど、母ちゃんは笑って、俺の横に来てしゃがんだ。

 

 

 

 

 

「春が卒園するまでは、絶対保育園にバレないようにってことで、夜だったみたいよ。会うの」

「………」

「年下の自分がゆず先生にできることは、とにかくバレないようにすることって。いつも土曜日の夜の2時間ぐらいだけ」

 

 

 

 

 

 なっちゃん。

 

 

 

 

 

 ひとまわり年上の、俺の兄ちゃん。

 

 

 

 

 

 兄ちゃんだけど、父ちゃん的で、兄ちゃんだけど、母ちゃん的で。

 

 

 俺はいつもなっちゃんなっちゃんって。今も。未だに。なっちゃんなっちゃん。

 

 

 

 

 

 なっちゃんはもう働いてて、ゆず先生っていう長く付き合ってる恋人が居る。もう何年?俺が年長のときからだから相当。

 

 

 なのにまだ家を出ないで、うちに居る。居てくれてる。うちから仕事に行ってる。

 

 

 結婚は、相手がゆず先生だから、実際問題できないと思う。現実的に不可能。

 

 

 でも、できなくたって一緒に住むとかはできるはずなのに、なっちゃんはそれもしてない。

 

 

 

 

 

「もう春もおっきいし、もっとおおっぴらに出かけたり泊まったりしてもいいんじゃない?って言うんだけどね。春が義務教育のうちはしないよって。あの子、父ちゃんに似て真面目だからね。相変わらず春が寝た頃を見計らって会いに行って、泊まるのも、ゆず先生が体調不良のとき以外はきっちりハタチこえてからで、未だにきっちり春が起きる前に帰って来てる。………まだ、一度もね。一度もあの子は自分で決めたそれを、破ったことがないの」

 

 

 

 

 

 すごいでしょって。すごいよねって。

 

 

 何でか母ちゃんが自慢げに言った。

 

 

 

 

 

 ………ばーか。

 




 

 ばかじゃん。

 

 

 ばかじゃねぇの。なっちゃん。

 

 

 ばかだろ。

 

 

 

 

 

「あの子はほんっと、日本一弟大好き兄ちゃんだわ」

「………」

「日本一弟大好き兄ちゃんで、世界一ゆず先生が大好き」

 

 

 

 

 

 ふふふ。ふふふふふ。

 

 

 

 

 

 母ちゃんが不気味に笑う。

 

 

 

 

 

 こえぇよって思うけど。

 

 

 俺は何も、言えなかった。

 

 

 

 

 

 なっちゃんはきっと、なっちゃんが夜出かけると俺がこんな風になるって、分かってたんだろうな。

 

 

 だから俺に悟られないように。見つからないように。

 

 

 

 

 

 ある種のトラウマ。自分で思うよ。父ちゃんのことは。

 




 

 悪い父ちゃんじゃない。

 

 

 でも、忽然と居なくなって、え?ってなったのは事実だし。

 

 

 悪い父ちゃんじゃない。

 

 

 今も色々してもらったりもしてる。

 

 

 でも、どうしたって、なっちゃんはどうなのか。俺はね。どうしたって、捨てられた感がね。あるから。父ちゃんに。

 

 

 

 

 

 世界一ゆず先生が大好きで、日本一弟大好き兄ちゃん。なっちゃん。

 

 

 

 

 

 本人には絶対に言ってやらないけど、かっこよくて優しくて、絵は相変わらず爆笑レベルでへたっぴだけど、他は何でもできる、何でもできるよう努力を惜しまない、俺の、自慢の兄ちゃん。大好きな兄ちゃん。

 


 だからこそ。

 

 

 

 

 

 ごめん、なっちゃん。

 

 

 

 

 

 いつまでもお荷物な俺が、俺はちょっと、嫌いだった。

 

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