163話 開幕

「……うーん…………」


「おはよう、レオ」


 目を覚ますとすぐ隣に、私を見つめるエルシャの姿があった。重い目を擦る私をただじっと見つめてくる。

 一体いつからそうしていたのだろうか。


「婚前にこんなことして、私たち悪い子ね」


「皇女と公爵を怒れる人なんていないさ」


「それもそうね」


 そう言ってエルシャは私を抱き寄せ、額と額を合わせてきた。互いの息がかかるほどの距離でも、彼女は私を見つめ続けている。


「……できればずっとこうしていたいが、そうもいかないのでな」


 何となく気まずくなった私はそう断ってからベッドを出た。


「明るいところで見ると、貴方って意外と筋肉あるのね」


「まああの父と歳三に散々鍛えられたからな。最近は訓練にも行ってないが、馬に乗るから体幹は鍛えられる」


 それでもやはり少々たるみつつある身体をまじまじと見られるのは恥ずかしいものだ。

 私はそそくさと服を着て、すっかり伸びてしまったボサボサの髪をまとめる。


「そう言う君は──、その……、綺麗だな」


「あら、それって誘ってる?」


 エルシャはシーツを手繰り寄せ身を隠しつつも、私に悪戯な視線を向ける。


「そうしたいのは山々だが、そうもいかないんだ。仕事が私を待っているからな」


「分かってるわ。貴方がそう頑張るところが好きなんだもの」


「それは昨日も聞いた」


 そう笑い合って、幸せな一時を噛み締めた。


「それじゃあ行ってくるよ、エル」


「…………!」


 エルシャのペースに飲まれたまま立ち去るのも癪だと思い、私から彼女の頬にキスをしてやった。

 案の定彼女は言葉も出ないほど驚き、頬を赤く染めた。





 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆





 食事を済ませ庁舎に向かうと、警備なのか私を待っているのか、今日も歳三が外に立っていた。


「おはよう歳三」


「おう。……ん?」


「どうした?」


 歳三は私の首元を凝視してくる。


「……あァ! ハハハハハ! そうかそうか!」


「なんだいきなり」


「いやァ、なんだ! レオも男を上げたなと思ってな!」


「……どういう意味だ」


 歳三は私の問いに答えることなく、ただ楽しそうにゲラゲラ笑っている。


「気づいてねェってことは、寝ている間にか! ハハッ、皇女様もやるじゃねェか! ハハハハ!」


「何を言っているんだ。ふざけてないで早く行くぞ」


「おう、そうだな! 消える前に早く見せた方がいい!」






 大会議室の中では、孔明が寝ているのか考え込んでいるのか、羽扇で顔を覆いながら目を瞑っていた。


「よォ孔明!」


 歳三が大声でそう声を掛けるから、孔明はビクンと目を開けた。


「──おはようございます、レオ、歳三」


「おはよう孔明。しかし随分と疲れているようだが大丈──」


「なァ孔明! 見てみろ!」


 歳三が私の言葉を遮った。

 いつにもないハイテンションな歳三の様子に、孔明も多少困惑しつつも細い目を更に凝らして私を見てきた。


「ほう……! ほうほう……! これはこれは!」


「な? レオも遂にだとよ!」


「ふははは! そうですかそうですか!」


 孔明は羽扇で口元を隠すどころか、畳んだ羽扇で手をぱちぱち叩きながら笑い声を上げた。


「孔明お前もか。……全く、なんなんだ一体」


「いやいや、これは失礼しました……」


 そう口では言いつつも、孔明はクックックと声を漏らしている。


「そう怒るなレオ! 俺たちはお前の成長を実感してるんだよ!」


「ええ、その通りです。まさに関関雎鳩(かんかんしょきゅう)ですね。いや、羨ましい!」


「…………」


「ですがレオ、世継ぎを持つには少々早すぎます。そこだけは自重してくださいね」


「その名誉の勲章も、他のうるさい奴らに見つかって騒ぎになる前に隠した方がいいぜ!」


 笑いを堪えきれず半笑いで二人にそう言われてやっと気がついた。

 恐らく私の首元には赤い印が付けられている。それも消えないタイプのが。


「それは……、なんと言うか、……どうにかしとこう」


 私は上着の襟をできるだけ上に寄せ首をすぼめた。


「ふふ……、よろしくお願いします。それで、これからどうすべきか思案を巡らせていたところですが……」


 にやにやしていた孔明の表情が真面目なものに変わった。


「やはり、ここでどちらにつくかなどと考えているうちは泰平の世を築くのは不可能でしょう」


「ああ。和して同ぜず、だ。ヴァルターたちが嫌いだからと言って元老院やらの息が掛かった第一皇子側につくのは危険すぎる。……それに、この国だけでなく、この世界全てに平和をもたらすためにはそんなやり方ではいつまで経っても叶わぬ願いのままだ。……私がこの国を統べる」


「──素晴らしき覚悟です、我が君よ。その言葉が聞きたかったのです」


 孔明はわざとらしく袖の中で腕を組み頭を下げた。


 王国との同盟もいつ破られるか分からない。協商連合とて帝国の体制が大きく変われば今まで築いた裏商売の関係も崩れるから歓迎はしないだろう。

 魔王領のモンスターや魔獣も依然として不気味なまでに音沙汰がない。例年討伐していた分がまとめて来たとなれば一気に国が崩壊する危険もある。


 私には立ち止まっている暇はない。

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