162話 散らす思い

「これは……?」


「これは何と言うか、愛を誓うことを言葉だけでなくずっと身に付けるモノとしても表す儀式みたいなものだ。本当は結婚する時に渡そうと思っていたんだが、君の十五歳の誕生日と婚約を記念してこれを渡したい。……受け取ってくれるか?」


「ええ! もちろんよ!」


 涙目だった彼女の顔が、めいいっぱいの笑顔に変わった。


 私は箱から指輪を取り出し彼女の左手の薬指に付ける。

 前に買った指輪からサイズを割り出し、ドワーフ随一の技術を持つシフに作らせた指輪は、エルシャの細い指にぴったりはまった。


 プラチナのリングにダイヤモンドのような世にも珍しい無属性の透明な魔石が嵌められた婚約指輪。

 それを彼女は手を掲げ光の加減など物珍しそうに眺める。そしていつも私が贈ったものと同じように、大切そうに何度も撫でていた。


「エル……」


 私は彼女を今一度強く抱き締める。


「こんな時に、と思うもしれない。だけど、こんな時だからこそなんだ」


「ええ、分かっているわ」


「そしてこうして結婚を切り出すこと、それはまるで君を利用したいがために写るかもしれない。だけどそれは違うと分かって欲しい。……いつか言えなかった言葉を今君に伝えたい。エル、私も君が好きだ」


「ええ、分かっているわ」


 生意気にも、自信ありげな顔で彼女はそう応えた。

 私も思わず笑ってしまう。


「──それに、私だって最初貴方の元に来た時は、自分の命が惜しくて安全な辺境まで逃げてきたようなものよ」


「辺境ですまないな」


「ふふふ……。でもお互いがお互いを必要としていることには変わりない。……そして数ヶ月一緒に過ごして、貴方が領民のため、そして大陸の人々全てが平和に暮らせるためにと必死に戦う姿を見て、私は本当に心から貴方を好きだと思えるようになった」


 改まって真顔でそう言われると、なんとも形容しがたい恥ずかしさに襲われた。


「私も最初は警戒心が先に来ていた。だが今は本当に好きだ」


「具体的に何処が?」


「──か、顔……?」


「他には?」


「あ、あと、スタイルがとても良い」


「それで?」


「か、髪も綺麗だ……」


「見た目ばっかりね。中身は?」


「……頭が良い!」


「それだけ?」


「…………普段はクールなように見えて、実は結構私のことが好きでいつも傍に来てデレたり突然甘えてきたりするところが好きだ」


「…………! ──ま、まあ合格でいいわ!」


 ここまで言うと、エルシャは顔を赤くしてぷいとそっぽを向いた。

 だが彼女のその口端が緩み、満足そうに笑みを浮かべるのを私は見逃さなかった。





「──ううぅ…………!」


 振り返ると、今度はシズネが涙を浮かべていた。


「し、シズネ、どうしましたか……!? ……ああいや、これはお恥ずかしいところをお見せして……」


「──う、ううん! ──違うの! こ、この……、この涙はね、レオくんがこんなに立派に成長したんだなって……。もう結婚して大人になっていくんだなって思って……。そう思ったらなんだか勝手にね……!」


「シズネさん……」


 思えばシズネとは五年近い付き合いになる。

 父、母、マリエッタといったウィルフリードで私を育ててくれた人たちに次いで、ずっと私の傍にいてくれた人だ。


「……ごめんねぇ、なんでこんなに泣いちゃってるんだろ…………」


「私、きっと貴女に謝らないといけないわ」


 突然エルシャが立ち上がりシズネの横へ行き、その肩を抱いた。


「──ち、違うの! 皇女様! 謝らないといけないのは私の方だよぉ……」


「いいえ、謝らせて。……ごめんなさい。きっと私は貴女の願いを叶えられない……」


「うぅぅ…………!」


 泣き止まないシズネの大粒の涙がエルシャのドレスを濡らす。


 シズネは私がいつだかに贈った、とうに色褪せた髪留めを今でも大事そうに使っていた。





 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆





 その夜、私は誰かが寝室のドアをノックする音で目を覚ました。


「ごめんなさい、もう寝ていたかしら」


「いや、大丈夫だ」


「どうしても今日、話したいことがあって」


 そう言って入ってきたのは、エルシャだった。


 薄いドレスに身を包み髪を下ろした彼女の姿は、昼間とは全く違った魅力を醸し出していた。


「今、大丈夫?」


「ああ。大丈夫だよ」


 その言葉を聞くと、彼女はベットの上に腰掛ける。

 すぐ横に座った彼女からは、いつもとは違う甘い香りがした。


「あのね、レオ。私、本当はずっと寂しかったの」


「…………」


 私は黙って彼女の言葉を待った。


「……これは仕方がないことなのかもしれないけれど、お父様もお母様も公務でいつも忙しく、お兄様たちは昔から仲が悪い。周りの大人たちは皆私を利用しようと近づいてきたり、陥れようとしてきたり」


 その苦労は絶えなかっただろう。


「皇城から出ることも許されず、唯一の楽しみは庭を散歩するだけ。そんな人生だった」


 私は彼女の手を握る。

 その小さな手は微かに震えていた。


「だけど、お父様のおかげでこうして貴方のところに来れて──って、この話は前にもしたわよね」


「ああ」


「……でも、もうそのお父様は居ないの」


 彼女を陥れようとした大人たちは、彼女から父親をも奪い去ったのだ。


「ねぇレオ……。貴方はまた私を救ってくれる? ……貴方ならこの寂しさを埋めてくれる?」


 震える声で私にそう問いかける彼女の頬に、そっと触れる。そしてこう答えた。


「──君が望むなら、必ず」






 その言葉を聞き遂げた彼女は、レースのドレスを脱ぎ捨て、その陶器のように白くたおやか躰を露わした。

 私は彼女の濡羽色ぬれはいろをしたしなやかな髪を指先で絡め取り、彼女を抱き寄せる。


 暗闇を割くような月光の薄明かりの中、あでやかに光る彼女の唇にそっと唇を合わせると、彼女は微かに頬を赤く染めた。


 そして私は玩具を待ちきれぬ子供のように、彼女の柔らかく小高い丘に豊穣を誇る七月の葡萄を口に含む。

 意地悪にも私が歯を立てると、彼女は言葉にならないとろけた嬌声きょうせいを漏らし、私の心を激しく燃やした。


 その夜、私たちは微睡まどろみの中で融け合った。

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