第3章

161話 誓い

「すまないエル。本当は君の傍にいてやりたいが……」


「大丈夫よ。分かってる。貴方は貴方のやるべきことを……」


 私はただ黙って頷き、強く彼女を抱き締めた。

 父を亡くしたという事実をこのような形で知った彼女の心中は。そう考えると私はこの腕を離すことができなかった。


「ミーツ、馬の用意を」


「も、もうできてますにゃ」


「……では行かなくてはな」


 私はエルシャをそっと離す。

 彼女は心配する私に笑って見せたが、その笑顔は明らかに無理をして作っていた。


「すぐ戻る。……シズネさんも、申し訳ありませんがまた今度に」


「レオくん……」


 だがいつまでもこうしている訳にはいかない。

 私は皺だらけの服のまま屋敷を飛び出し、馬に乗り孔明らのいる庁舎を目指した。






 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆






「早かったなレオ」


 庁舎の前で歳三が私を待っていた。


「馬の用意とか段取りが良かった。ミーツは良くやってくれているよ」


「そうじゃねェ。……もういいのか?」


「……きっと彼女は私が思うよりずっと強い」


「そうか。じゃあ行くぞ」


 庁舎の中に入ると、そこは既に大騒ぎになっていた。

 無線機の集まる通信室からはひっきりなしに入電を知らせる音が鳴り響き、ドタバタと情報を伝える伝令が走り回っている。


「レオ、よくぞお越しに」


「孔明、状況は?」


 庁舎で一番広い大会議室には地図や書類が、乱雑に机の上に投げ捨てられていた。


「皇帝陛下が崩御なされたと、エアネスト公爵から情報が入ってまいりました」


「流石の耳の速さだなデアーグ殿は」


「はい。そして中央では早くも皇位継承を巡り、第一皇子派閥と第二皇子派閥に別れ対立が激化。一部では各派閥を支持する中央の高級貴族同士での紛争や高官の暗殺騒ぎなどが」


「次第に崩御の知らせがやってくれば地方でも混乱は免れんな」


 中央での権力争いはエルシャから詳しく話を聞いている。

 保守派や元老院、中央で既に力を持つ皇族の縁戚貴族らが推す温厚で従順な第一皇子。それに取って代わることを目論む強権派のヴァルターや子飼いの近衛騎士団が囲う能力はあるが冷酷な性格を持つ第二皇子。

 水面下の争いはついに白日の元に晒された。


「今のところはこの事実を知るのは中央に近しい人物か、我々の情報網に加わる実力派派閥の貴族のみ。ですので自分たちも早くどちらにつくべきか決め勝ち馬に乗ろうとこうして騒ぎになっているのです」


「本来なら第一皇子が継ぐのが妥当な流れだ。だがこうして正面切ってぶつかっているということは……」


「ええ。第二皇子側が政治的な権力の均衡を崩したタイミングでの皇帝の死。疑う余地もありませんね」


「うむ……」


 恐らく自らを味方する中央貴族の数が上回ったのだろう。そうなれば軍事的な面を抑えている第二皇子派閥が若干有利になる。

 ヴァルターという毒は刻一刻と帝国の体を蝕んでいたのだ。


「それで今はどちらにつくべきか否かという話し合いをしていたのですが……」


「どちらについた所で、結局は元老院かヴァルターかどちらかの言いなりだろうな」


「ええ。ですのでレオ、“その時”が来たということです」


「……ああ。覚悟はできている」


「ふふ……。その顔、劉璋(りゅうしょう)を排することを決めた彼の顔とそっくりですよ……。今度は随分早く事が運びそうです」


 孔明は心底嬉しそうに笑った。

 彼が采配を振るうにはファリアはあまりに小さすぎた。


「レオ、俺もどこまでもお前ついて行くぜ。困難ばかりの人生ってのも悪くねェもんだ」


 歳三は鞘を握る左手に力を込めた。

 懐かしそうに刀を眺める歳三の目には、既に闘志の炎が宿っていた。


「俺には何が何だかさっぱりだ。だが任務とあれば必ず遂行してみせる。そう命令されればな」


 ルーデルは軍帽を深く被り直した。

 命令なんてなくても勝手にやるだろうが、ヴァルターが握る軍事力よりも一個師団に値するとすら言われるルーデル一人の方が心強いのは確かだ。


「見立て通りならすぐに事態は進んでいくはずだ。私たちも動き出す用意をしておこう」


「了解しました」

「了解だぜ」

「了解」


「では私は一度シフの所に寄ってから屋敷に戻る。後は頼んだ」






「──という訳だ。シフ、例のものを」


「そうか。お前さんがこれを使う日がもう来るとはな……」


 私は長いこと預けていた刀と、一つの小さな箱を受け取った。


「刀の方は時間がかかったがその分最高の仕上がりだと約束しよう。もうひとつの方は……、そういうのを作るのは初めてでな。好みに合うかどうか……」


 私は刀を抜いてその様子を確かめる。

 欠けていた切っ先は研ぎ澄まされ、焦げ付いていた刀身には美しい刃文が刻まれていた。少し振るうだけで空気を切り裂く感覚が手に来るほどの斬れ味を感じた。


 もうひとつの箱を開け中を見る。

 それは息を飲むほど美しく、今まで見た店に並んでいるどのそれよりも価値があるものに思えた。


「完璧だよ。ありがとうシフ。このお礼は私の事が成った際にザークとの再会を持って代えさせてくれ」


「ああ。アイツに生きて会えりゃそれでいい」


「それじゃあ行ってくる」


「おう、行ってこい!」






 屋敷に戻るとすぐに上着だけ替えのものを持ってこさせた。そしてその足でそのままエルシャのいる自室へ向かう。


「エル……!」


 エルシャは私が出て行った時と同じ位置のソファにうずくまったまま、側近である侍女たちの言葉にもなんの反応もしてなかった。

 シズネもエルシャの向かいに座ったままどうすることもできず呆然とその姿を見つめていた。


「すまない、今戻った」


 私がエルシャの肩に手を置くと、彼女はようやく顔を上げた。


「もう大丈夫なの……?」


「ああ。私はいい部下に恵まれているからな」


「そう……」


「……まだ何が何だか私にも分からない。きっと君も不安や悲しみでいっぱいだろう。──だからこそ私は君のためにこれからの日々を過ごしていきたい」


 私は彼女の前に跪き、シフから受け取った小さな箱を取り出した。


「少し気が早いかもしれないが──」


 箱を開けると、そこには小さな指輪が納められていた。


「エル、私と結婚してくれ」

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