93話 目標達成

「そ、そんな……本当に雨が……!」


 護衛の兵士が冑を脱ぎ捨て、両腕を広げて雨を身体中に浴びる。


 この急な天気の変わり様は偶然ではない。孔明が”必然“として生み出した結果なのだ。

 ここら一体だけが薄い雲に覆われ、細かな雫が天から零れ落ちてきた。


「これもまた、泰平の世への一歩なのでしょう……」


 孔明は濡れた顔に複雑な表情を浮かべながらそう言う。

 孔明の生きた時代の価値観でみれば、これは自然への反逆であり、天への侮辱とすら言えるのかもしれない。


「──風邪をひく前にもどろう。……雨が大地を潤し、川に流れ、それは海へと続き、また雨となる。私たちはそっとその後押しをしただけさ」


「……!『私たち』、ですか……。ふふ、そうですね」


 どこかおかしかったのか、私の言葉を聞いて孔明は顔を僅かに綻ほころばせた。






 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆





 そうして季節はいくつも巡り、一年半もの月日が流れた。気がつけば私も十二歳である。

 この間、それは様々なことがあった。


 歳三の恋愛談はまた今度として、何よりもファリアについて。


 孔明の天候操作魔法により、時に雨を降らせ、時に太陽の恵みを大地に降り注ぎ、やがてそれは豊穣の大地を作った。

 帝都への厳しい税ノルマも余裕で達成し、格安でウィルフリードへの輸出も行った。


 余剰資金は軍備へ回した。平和を望む私が軍拡とは笑えない話だが、力なくして理想は語れない。

 兵士の増強はもちろん、ヘクセルらの開発も進み様々な兵器から何からが産み出された。それらは戦場で紹介できることだろう。


 私なりに善政を行ったつもりだ。


 ファリアの人口はそれなりに増えた。単純に戦争がなかっただけでもあるが、ヘクセルの魔導具などによる生活水準の向上も一因だろう。

 税制自体は決して緩くないが、帝国の基準で言えば優しい部類に入る私の施政下に多くの人が移住してきたのもある。


 特に、かつての戦いでその秘めたる力の一片を見た冒険者ギルドへの投資は惜しまなかった。

 軍という枠に収まらずとも、溢れんばかりの実力を兼ね備えた彼らを置いておくというだけで、敵国含め周辺の輩は手を出しにくいはずだ。




 ファリアだけでなく、帝国の現状もお話せねばならない。


 一言で言えば、帝国は世界の火薬庫だ。(我々が火薬の存在を秘匿し、一手に掌握しているので、これはあくまで比喩的表現である)


 私の手土産の効果あってか、王国との同盟延長は成った。

 そうなれば帝国の休まることなき侵略の手は、亜人・獣人の国へと向けられた。


 小競り合いの中で既に一部の小国は落とされ、帝国はその版図を着実に広げている。現在は難所と言われるエルフの森を攻めあぐねている状況だ。


 この影響は帝国内で地理的に亜人・獣人の国から正反対に位置する我々にも及んだ。

 最も痛手なのはシズネが帰ったことだ。


 私が寂しいだとか恋しいだとかいうのはまだ良い。しかし教育目標の達成が大きく遅れるのは間違いなかった。


 元より力ある者が尊敬される帝国では、種族的に天賦の才を持ち合わせる亜人・獣人は王国と比べ差別は少なかった。

 しかし、戦争とは言わずとも同じような状況の今、種族間の関係が良好とは誰の目にも映らなかった。


「大丈夫ですか、レオ?」


「ああ。……少し考え事をな」


「こうして自室に籠りきりでは、良き考えは生まれませんよ」


「すまない、のんきに散歩する気分にもなれないんだ」


「うぅむ……」


 ぶっきらぼうな私の返答に、孔明も困り顔を羽扇で隠すばかりだった。


 父は王国への圧力としてまだウィルフリードに置かれている。しかし、いつ紛争もとい戦争へと駆り出されるか分からない。

 仮にも地方領主である私も、一緒に招集される可能性はある。


 死と隣り合わせの戦場に……。




「レオ様、こちら頼まれていた資料です。……それと、お客様がいらっしゃいました」


「ご苦労だったなタリオ、そこに置いて置いておいてくれ。……客人の予定はないはずだが?……まぁいい、通せ」


 タリオは相も変わらず私の小間使いとして働いている。

 だが彼も父親譲りの剣技を身につけつつあるようで、その内、私の父とアルガーのように力関係が逆転してしまうのではないかと、内心怖がりつつも楽しみにしている。


「──失礼します。レオ様にお手紙をお持ちしました」


 そこには懐かしい顔があった。


「久し振りだなアルド。元気にしていたか?」


「は。……こちらを」


 いつになく真剣な目つきで私に二個の書状を渡してきた。


 ひとつは見慣れたウィルフリードからの手紙だ。母の筆跡だとすぐに分かった。


 そしてもうひとつ。こっちはご立派な蝋封がされている。

 これは帝都からの嫌なお手紙だと直感的に分かった。


「お前がこれを持ってきたということは、そういうこと……、なんだな?」


「……御自身の目でお読みください」


 私は蝋封を爪で剥がし、その全貌を孔明にも見えるよう明らかにした。


『帝国がその自治を承認する亜人・獣人が治める諸国より、叛乱と言える宣戦布告を受理。レオ=ウィルフリードはファリアの軍を率い、祖国の地を守る為戦場へ馳せ参じよ』


「……何が『祖国の地を守る為』だ。我々は奪う側では無いか」


「そ、そんな……」


「……ふむ。これは手厳しい事態となりましたね……」


 帝国としては向こう側から手を出してきたという建前を獲得できたので、長年に渡る煮え切らない戦いの目標達成となる。

 これから一挙に亜人・獣人の国々を踏み潰すのだ。


「そちらはルイース様から、レオ様へ個人的な書簡となります。ウルツ様からの正式な言伝をよろしいでしょうか」


 私がこれを読んだ後に言うように父に頼まれたのだろう。


「頼んだアルド」


「は。……五日後ウィルフリードにて合流せよ。率いる戦力はファリア全軍の半数。主力は防衛に残し、数だけ後に集めよ。お前はウィルフリード軍が守る。……以上です」


 わざわざ言伝にした理由が分かった。作戦が漏れることを嫌ったのだろう。

 内容も容易に理解できた。要は参戦した形だけ立派に見せかけ、あくまでファリアの地を優先しろ、とのことだろう。


 最後の一言は親心の表れか。帝国の英雄としては頂けない発言だ。これも記録に残したくなかったのだろう。


「泣けてくるな。色々と」


「泣き言など言っていられませんよ。元より険しい道を歩むと決めたのはレオ、あなた自身なのですから」


「……あぁ。死なせないさ。できる限りな」


 シズネがいる妖狐族の村は極東、アリンタール大陸の端にある。

 そこまで帝国軍が到達する前に、私自身の手で戦争を終結させねばならない。でなければ、帝国は全てを血と鉄によって征服し、服従させることだろう。


「なぁ孔明、五日は少々甘く見られていると思わないか?」


 私は不敵な笑みで孔明にそう投げかける。


「三日で準備致しましょう。戦は剣を交える前から始まっているもの。一日もあればウルツ殿やアルガー殿と千思万考せんしばんこうの作戦を考えるのには十分です」


 孔明も目を細めてそう応じた。


 ファリアからウィルフリードまでは、馬なら半日、歩兵でも一日もあれば十分だ。





 もう二年前の私ではない。




 私は、私自身の為に戦うのだ。

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