第2話 獄務員
尻もちをつく。
痛みを感じる。痛覚があるのか。
「ようこそ! 地獄へ!」
見上げるとバスガイドのような制服を着た金髪の少女が腰に手を当て立っていた。帽子はぶかぶかで、被っているというよりも被さっている。
「あ、今私のこと中学生か何かかと思ったでしょ。見た目はこれでも私はここで働いてもう二十年ですよ?」
彼女はぴんと胸を張る。
「二十年? 転生はしないのか?」
さっきと言っていたことがまるで違うじゃないか。
「私達地獄の人間が転生を免れる唯一の方法。それが獄務員になること。」
呆気にとられていると、彼女は手を差し伸べてきた。
「私の名前はノーラ。あなたは?」
「名前? ……あれ? 俺名前なんだっけ。」
「ええ。また閻魔さん名前与えるの忘れちゃったんですか〜。まあ次招集された時でいっか。」
ノーラの手を借り起き上がる。
辺りを見渡すと夜の温泉街のような景色がずらっと並んでいた。木造の建物と暖かい明かりが一直線に遥か遠くまで続いている。
「ここが地獄?」
「そうです。ここは地獄一番通り。ほとんどのものはここに揃ってます。」
ノーラは歩き出す。とりあえず俺もついていく。
「ここは酒場です。あ、ここも酒場。ここも酒場ですね。」
「酒場しかないの?」
「ほとんどは酒場か住人の家ですね。」
「家もあるんだ。」
「はい。地獄に来たら自動的に割り当てられます。今もあなたの家に向かっているところです。」
ノーラは歩きながらため息をついた。
「最近は何故か地獄に来る人が多くて部屋が足りないんですよね……ついこの前に獄務員専用のアパートが完成して、私もそこに移動させられたんです。新築だから綺麗なんですけど、とにかく狭いんですよ。」
ノーラはもう一度ため息をすると、元の明るい表情に戻った。
「愚痴を言ってすみません。左手に見えるのが温泉です。入って一度疲れでも取りますか?」
「いや、とりあえず自分の家に行ってみたい。」
一番通りを真っ直ぐに黙々と歩く。すると右手に今までとは大きさが桁違いの旅館のような建物が横たわっているのが見えた。
「ここは大型娯楽施設の極時館ですね。トランプ、麻雀、映画に図書館、とにかく何でもあります。スポーツも出来ますよ。」
「にしてもデカいなぁ。」
「ここには多くの住民が集結しますからね。1万人は収容出来ます。」
「皆の憩いの場なんだな。」
ノーラはにっこりと笑みを浮かべ手を広げる。
「いえいえ、ここ地獄は全てが憩いの場ですよ。大学生が人生の夏休みならここは魂の夏休み。転生するまで皆さん地獄を満喫していかれます。」
俺達はまた歩き出す。
俺はずんずんと歩を進めるノーラを見てふと気づく。
この子も現世で人を殺したのだろうか。
記憶が無いとはいえ、俺はそれを聞くことは出来なかった。
やがてノーラは立ち止まる。
「あなたの家は十三番通り、ここを曲がります。」
角を曲がると道幅は半分以下になった。一番通りとは打って変わって明かりも少なく薄暗い。
「なるほど、他の通りは住宅街といった感じなんだな。」
「そうですね。」
「単純な疑問なんだけど、家があるということは死んでも寝ることは必要なの?腹は減るの?」
「やっぱり気になりますよね。実はほとんど現世の人間と変わりません。」
「え、じゃあこの世界でも死ぬの?」
ノーラは顔を曇らせる。
「死ぬには死ぬんですけど、そこが不明なんですよ。現世の世界で死んだらどうなるか分からないように、こちらの世界でももし死んだら一体どうなるのか、全く分からないんです。」
「そうなんだ。」
ノーラの表情筋は忙しなく、また笑顔に戻る。
「まあでもここが現世との違いなんですけど、ここでは歳もとりませんし、病気にもなりません。とっても都合のいい世界ですよねえ。」
「今まで死んだ人はいない?」
俺の質問にノーラはまた顔を変える。
「私の知る限りでは一度だけ。さらなる死後の世界が気になって自殺した方がいました。けれど死んですぐ跡形もなくなったそうです。転生したのか、それとも完全に無になったのか。私には分かりません。」
気がつくと俺達はかなりの距離を歩いていた。
「さあ着きましたよ。ここがあなたのお家です。」
その家は長屋で、台風でも来たら屋根が吹き飛びそうなほど古びていた。
ノーラはポケットから何かを取り出す。
「はい、これが家の鍵です。じゃ、私のガイドはここまでなので、後は自由に行動なさってください。」
俺に鍵を渡すと、ノーラは来た道を戻っていく。そして十歩ほど歩いたところで何か思い出したように振り返った。
「あ、言い忘れてたんですけど、この世界には太陽は来ません。ずっと夜です。好きな時間に寝てください。」
そう言うとそそくさと帰って行った。
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