交際 6日目

第25話 褪せぬ思い出は何を語る

 朝、やはり俺の予想通りに真妃乃はいなかった。

 多分途中で合流するあの道にもいないだろうなと思ったので、学校よりも先に確認すべきところへ向かうために、スマホを見ながら道を歩く。


 画面に映し出されているのは住所が入力済みの地図アプリ。

 ベアとの通話を終えた後すぐに中学の時の連絡先一覧を探し出して、すぐに入力して保存した。話し込んでいたせいで、時間はあの時電話をするには既に非常識となる時間帯だったのだ。


 確かに言っていた通り、俺の住んでいるアパートと白兎の家はそう離れていなかった。距離を時間に換算して、大体徒歩二十分のところにある。そうして表示されている道を進み、目的地である白兎の家に辿り着く。

 彼女が住んでいる家は普通の戸建ての一軒家で、庭には珍しく紅葉の木が植えてあった。


 ドクドクと鼓動を鳴らし、一度深呼吸してインターホンを押す。ピーンポーンと軽快な音を奏でてから少しして、『はい、白兎です』と柔らかな女性の声が聞こえてきた。


「朝早くにすみません。あの俺、白兎……菫さんと同じ中学で、三年の時同じクラスだった多田野と言います」

『……あら、あの多田野くんかしら?』


 どこか思い出すようにそう言われ、少し戸惑う。

 卒業してもう一年半年ちょっとなのに、名乗っただけで思い出されてしまう俺とは。何か白兎に対してやらかした覚えはないのだが。


「あの、多分その多田野で合っているかと。えっと、菫さんってもう登校してますか? 最近会って話して、家が近かったこともその時知ったので。今日は途中まで一緒に登校できたら、と」

『あら。あらあらあらあら! まぁ菫ったら、多田野くんが誘いに来てくれたのにタイミング悪いったら』


 ドクリ、と強く跳ねた。

 どっちだ。これは、どっちだ……? もう家を出て学校に向かったのならそれでいい。けれど。


『あの子ね、昨日友達の家に泊るからって夕方くらいかしら、連絡してきたの。だから今日は直接お友達の家から一緒に登校するわ。同じ部活の子の家にお泊りするの、よくあることなのよ』

「あ、そうなんですか……」


 泊り。じゃあ白兎は見えなくなって途中、その友達の家に向かった? でももうあんな時間だった。あんな時間で急に泊めてくれるような、すごく仲の良い友達がいたのか?

 ……いや、あの距離じゃもう家に帰る方が近い。白兎は多分、一昨日と同じように公園で待っていたと思う。その翌日の朝でさえ、俺を心配して待ち伏せしていたくらいだ。

 夕方くらいに連絡をしてきたということは泊りの約束なんてしていなかったし、きっと口実に使った。


 色々浮かんでくる思考の中で、『ふふっ』と笑う声が耳に届く。


『泊るって連絡してきた時にあの子ったら、「お母さんいつもありがとう」って、普段言わないようなことを言ってきてね。久しぶりに多田野くんと会ったからなのかしら? 菫には内緒にしておいてほしいんだけど、あの子が今のように明るくなったの、多田野くんの影響なのよ』

「え……」

『知っていると思うけど、中々人とコミュニケーションを取ることができなくて、大人しい内気な子だったの。でも、多田野くんと話すようになってから、そのことを嬉しそうに話してくれて。あの子言っていたわ。「もっと誰かと話せるようになりたい。私も、多田野くんが私にそうしてくれたみたいに、優しさで誰かを助けられるような人間になりたい」って』

「……」

『だから多田野くん。菫の母親として言わせてちょうだい。あの子と出会ってくれて、ありがとう』



 その時、少し冷たい風が吹いた。

 それは木の葉を揺らし、庭の木から離された紅葉の葉がひらひらと、一枚俺の方へと飛んできた。それが肩へと乗って、葉の形も相まって。


 ――まるでポンと手で叩かれたような、そんな気がした。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 白兎の母親とのインターホン越しの会話を終えた俺は学校に向かわずその足で公園へ赴き、白兎と会話を交わしたベンチに座っていた。

 肩に乗っていた紅葉の葉柄ようへいを指で挟み、くるり、くるりと回す。



『じゃあな、白兎』

『うん、またね』



 またねって言うんなら、足止めて振り返るなよ。

 ちゃんとあのまま真っ直ぐに、気にせずに帰れよ。

 だって俺、あと二日だったんだぞ。ベアじゃないんだから、俺、失言しねーよ。


「バカだな、白兎」


 知らずに言ったんじゃなくて、ちゃんと知ってたんだな。

 言って、どうなるか分かっていて、ちゃんと警告してくれたんだな。ベアみたいに濁して色々意味を悟らせるんじゃなくて、分かるように直接。


 本当にバカだよ、お前。俺はお前が思っているようなご立派な人間なんかじゃないぞ。どこにでもいるような平平凡凡な人間で――……違う。

 違うんだ。中学の時、お前に話し掛けていたのだって、本当は――……。



『もっと誰かと話せるようになりたい。私も、多田野くんが私にそうしてくれたみたいに、優しさで誰かを助けられるような人間になりたい』



「はははっ」


 どうしようもない。

 本当にどうしようもない。間違えた。俺は白兎に対しては、。失敗した。



「ごめん。白兎、ごめんな」



 俺が、俺が間違えたから。

 気安くて、話し掛けやすくて、ペラペラ会話していたから。お前が楽しそうに会話してくれていたから、気づかなかった。そんなに強い感情で俺のことを見ていたなんて、知らなかったんだ。



 ――――あぁ、なんて、業が深い




 くるり、くるりと回していた指先を止める。


「……真妃乃にとっては、今日が七日目。一週間目、か」


 普通に今まで通り、学校生活を楽しんでいるのだろう。友達と会話し、笑って、時にふざけ合いながら。

 この澄み渡った、快晴な青い空の下で。一人の人間の存在が消えたことも知らずに。


 ベアや白兎の言う通りなら、俺があの時言った言葉はに該当していないのだろう。それは話した時に白兎が安堵し、ベアが笑っていたことからも知れる。

 ……あぁ、残念だ。別れ話がしたかったのに、結局できないまま別れることになるのか。


 彼女に対しては心が凪いだまま、それ以上を思うこともない。隣に置いたリュックへと……取っ手部分に付けた不細工カラスに視線を向ける。

 ベアからも白兎からも、幾度となく外せと言われているキーホルダー。俺にとってはお守りで、それ以外にとっては目印とされている。

 恐らくカラスはもう現れない。それならお守りを付けている必要もない。幻覚ではなくなら、病院に行かなくてもいい。


 手元の紅葉の葉に視線を落とす。ジッと見入っていると、思い出したことがあった。


 それはかつて、俺が中学三年生だった頃。季節は確か、今と同じような夏から秋へと変わっていく、そんな時だった。

 放課後に残って委員会の仕事をしていた俺と白兎。薄暗くなり始めた廊下を歩いていて、赤と黄金が混ざるそんな夕暮れを窓から見て、白兎が口にした。



『グラデーションがまるで、紅葉みたい』

『紅葉? うーん、言われてみたらそうだな。風流だな白兎』

『えっ。そ、そうかなっ?』

『うん。俺はもう普通にあ、夕暮れかーしか思わないわ』


 白兎は俺の言葉を聞いて俯いた後、自信がなさそうに言い始める。


『……家にね、紅葉の木があって。それですぐに出てきたの。だから、風流でも何でもないよ』

『? 気にしてたからパッと出てきたんだろ? いいと思うけど紅葉。俺は白兎の感性、好きだな』

『えっ、好き!?』

『うん。感性』

『…………』

『白兎?』


 薄らと頬を染めて、嬉しそうな顔をして見上げてくる。


『あのね。私、紅葉、もっと好きになっちゃった』

『ん? そっか。良かったな』

『うん! 多田野くん。紅葉に花言葉があるの、知ってる?』

『花言葉? あれ葉っぱだろ? 花じゃないのに花言葉なんてあるのか?』


 そんな俺の発言にクスッと笑って、彼女はこう告げた。




『紅葉の花言葉はね、大切な思い出、なんだよ』

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